こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
今日は5年振りくらいに、塾講時代に教えていた生徒と会うことになっていました。
場所は横浜ベイクォーターのBUTTERMILK CHANNELでした。
- 久しぶりに会って他愛もない話をしたり、
- 僕が離婚した話をしたり、
- 生徒の結婚の話を聞いたり
して、どこかタイムスリップしたような感覚がありました。
今日はそんな10年以上の付き合いとなる生徒と会い、感じたことをお伝えしていきます。
変わらないもの
久しぶりに誰かと会うとなると、みなさん緊張されるかと思います。
僕くらいのレベルになってきますと、緊張どころか卒倒すらしかねません。
ふぅ…なんとか意識を保つことができました。
駅で待ち合わせをして久しぶりに会ってみますと、最初こそ多少の違和感はありました。
しかし歩きながら話していますと、お互い何も変わっていないのだなと思いました。
もちろん「いい意味で」です。
僕はいろんな形で新しいことを始めてみて、どこか自分の中で人生が大きく変わったような手応えがあったことを、毎日のように書き綴っていました。
しかし、教え子と個別塾のブースで話していた時のことを思い出してみると、
- 話していることは大人や社会人の内容である上に、
- 立場はもう「先生と生徒」ではないはずなのに、
ほとんどあの頃と変わらないような感覚がありました。
実は僕、これにすごく驚いたんですよ。
「あれ?もっとなんかこう、新しいこととかワクワクすることの話をするつもりでいたんだけどな…」
と謎に、無駄に、期待していたからでしょうか。
実際はお互いの近況を話したり聞いたりするだけでしたが、十分満足することができました。
「それはなぜだろう?」と考えてみましたので、いくつかあげていこうと思います。
人との関わり方は変わらない
いくら新しいことを体験しようと、思考や行動が変わろうとも、それはあくまで僕自身の「一部分が変わっただけ」に過ぎません。
- 生活の豊かさについてだったり、
- 何に幸福を感じるかだったり、
- お金の価値観だったり
です。
もちろん人間関係にも多少の変化はあって、新しく付き合う人ができる一方で、結果的に離れていった人もいました。
しかし、以前教え子とコミュニケーションをとっていた「カタチ」は、そこまで変わることがなかったのです。
だからこそタイムスリップをしたような感覚があったのでしょう。
あの当時のまま、あの当時たくさん話したあの情景のまま、僕らの関係は何も変わってなかったんだなと感じたのです。
- それぞれがそれぞれなりに人生の節目を過ぎ、
- 経験し体験し、
- 多くのことを感じ、
- たくさん考えて、
- 新しい視点や思考を持つようになって
いたとしても、2人だけの時間になればまたあの時に戻れるんだなと。
お互いがアップグレードされていても、ひとたび会えば「あぁ、戻れちゃうんだよな」って。
生徒も「あの時のままのスタンス」で会ってくれたからこそ、そう思えたのです。
こんな単純なことを、生徒から教えてもらえるとは思いもしませんでした。
「変わらない部分」のほうが大切
人間、それぞれに変化の波があれば、全くもって変わらない部分もあると思います。
僕の場合は、
「行動することで人生を変えていこう!」
という、あまりにもわかりやすい変化を求めていたため、確かに様々な部分を改善することができたことは間違いありません。
一方で、
- 運動が好き
- 読書が好き
- 人と話すのが好き
- お笑いが好き
など、昔から変わっていない部分もまた僕の中に存在しています。
久しぶりに人と会うようになって気づいたことは、実はこちらの「変わっていないほう」が、僕のアイデンティティの大部分を占めているということでした。
多くのことを試そうと行動に移してみたことで、僕の中で「改革」(と思い込んでいたこと)が頻発し、
「もはや大改革時代の到来なのではないか?」
と疑っていたほどでした笑。
しかし僕が起こした「行動による変化」というものは、実はとても小さな部分でしかなかったのだなと気づきました。
友人や先輩・後輩、生徒に久しぶりに会っても、「すずき、変わっちまったよな…」と言われたことは「ほとんどなかったから」です。
少し痩せましたし、広がりを見せた趣味の話であれば、意気揚々とお話しできます。
でも結局は「その程度」なのです。
僕は僕のままであり、何年経ってもその大部分が簡単に変わることはありません。
こうして生徒と会うことができて、お話しすることができて、いつものように別れて、またそれぞれの人生に戻っていくことができたのは、お互い根っこの部分は変わらずにいたからだと思うのです。
昔塾で話していた時代に、お互いのその部分が好きだったからこそ、また時間が経っても会いたいと思えたのでした。
僕が始めた行動による思考の変化は、小さいものかもしれないし、あるいはもしかしたら劇的なものかもしれません。
それはそれで、僕の人生をよりよいものへと導いてくれてはいます。
しかしそれらの「変化」が人との関わり方を大きく変えただろうかと考えてみますと、会う人たちもまた変わらずにいましたし、ただあの頃にタイムスリップしただけでした。
でもその体験こそ、僕らが求めているものなのかな、と。
「あいつとなら、また会いたい」
そう思うから、時が経っても会いたいと思うのです。
その「変わらない部分」を求めて、僕らは再会を望んでいるのかもしれませんね。
ありのままでいること
僕は以前から思考の変化や感じ方の変化、やってみて変わったことなどをブログに書いてきました。
しかし結局のところ、僕が変化を好んでいるという事実は変わっていないのだなと思ったのです。
そう、それこそが僕の「ありのままのカタチ」なのです。
ここ1年であれやこれやと変化を求めて行動しては、自分が良いなと思えるものに投資をして、生活を改善してきた自分がいました。
この「ありのままの自分」でいられたおかげで、今少しずつ「自分の人生」をよりよいものへと向かわせることができています。
それと同時に、ずっと昔に関わった友人や生徒たちと、ありがたいことに再会させていただいてもいます。(本当にありがとう!)
自分で言うのもなんなのですが、それは「僕が昔と変わらないまま」でいたからこそでしょう。
今回会った教え子も、話を聞いている限り人生の中で大きな変化を経験していたようでした。
それでも、教え子はずっと「ありのまま」でいてくれて、昔のそのままに「等身大」で僕と接してくれました。
こんなに久しぶりに会ったのに、話し始めればなんの違和感もなく、「また会おうね」と言うことができたなんて、本当に奇跡なんじゃないかって、ちょっと感動もしてしまいました。
いつまでも「また会える存在であること」とは、こんなに尊いものなのだなと。
わざわざ会ってくれた、その大切さに気づかせてくれた教え子に、本当に感謝です。
おわりに
- ただ会って近況報告をしただけで、
- 再会を思いっきり感動したわけでもなく、
- 懐かしいねと思うこともなく、
- 「この前会ったよね?」くらいのスタンスで行けた
ことには、正直ビックリしております笑。
でもこうした「再会の積み重ね」が、また僕に活力を与え、生き生きとさせ、人生をより豊かなものにしてくれます。
- 会うまでの時間も楽しみでワクワクしていましたし、
- 会っても楽しかったですし、
- 会った後でもこうして「幸せ」です。
やっぱり旧友たちとの再会は、いつでもほどよくドラマチックですね。
そこに「劇的な人間性の変化」は、いらないのです。
僕は僕なりに自分の人生をよくしていけばいいし、そこで新しい経験を得て、話の引き出しにすればいい。
「その程度」でいいのです。
今後も、
「すずきは相変わらず、変わり続けているね」
と言われるよう、たくさんのことに挑戦していきながら、みなさんとの再会を果たしていこうと思います。
それではまた!
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