自分のことを客観視してみると楽になる【第三者視点で進める人生】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

こうして毎日、自分のことを鏡で見てみますと、

こんなやつが、世の中にいるんだなぁ

と思うことがあります。

え?どういうこと?

と思われるかもしれませんが、なんと言いますか自分を俯瞰する感じですかね。

人間、生きていれば、

  • 嫌なこと
  • 嫌われること
  • 失敗すること
  • 追い込まれること

なんて、いくらでもあります。

どんなに優しくて温厚な人でも、どこかで必ずわだかまり失敗を経験しています。

でも僕がそれらを気にしなくなったのは、

こんな「せいじ」っていう人間が、この世というフィールドで生きているだけなんだよなぁ

と思っているからこそ。

今日は「自分を客観視すること」について書いていきます。

自分を客観視してみると、驚くくらい人生が楽になる。感情に支配されなくなるのだ。

自分を自分ではないと思うこと

一体何を言い出すんだ?

と思われた方は多いかと思いますが、僕は最近、自分の姿を鏡で見ますと、

へー。面白い人間がいるもんだ

と、自分のことを自分でないように思うことがあります。

顔の作りや体の作り、考え方や仕事など、他の人から見たら「なんか特殊やね」と思われそうなのですが、それをまさに自分で客観視しているような、そんな感じです。

僕は「自分」という “船” を操縦しながら、「理想の人間」を作りあげてきました。

それはみなさんも一緒ですよね。

そして今も、「自分」(脳?マインドのほう?)が “自分の体” を使っては、

幸せとはなんだろう?

と考えながら毎日行動し、生きています。

  • 体を鍛えたり
  • 食事を節制したり
  • 家計簿をつけてみたり

と、人間かつ意識があるとはいえ、これらは最悪やらなくてもいいことです。

特に俯瞰していますと、

  • 痛いとか
  • 嬉しいとか

感じているのはこの「せいじ青年」であり、それすら客観視してみますと、

なんか、こいつがどうなろうと、どうでもいいっちゃどうでもいいんだよね

とも言えるということです。(サイコパス笑)

例えば先述したように、

  • 嫌われるとか
  • 失敗するとか
  • 怒られるとか

そうしたところに「恥ずかしさ」「プライド」「怒り」といった “感情” が入り込んできてしまうものですが、実際はそんなこと1ヶ月後くらいには忘れ去られていますし、数年経ったらどうでも良くなっています。

極論まで突き詰めていけば、「せいじ」が嫌われようが何を言われようが、別に知ったことではないという感じですかね。(やっぱりサイコ)

もちろん、それは極論であって、幸せを探してきた僕としては、

  • 信頼
  • 社会資本

は今でも大事にしています。

それでも失敗したら、それはそれまでのこと。

別に何かが変わるわけではなく、「せいじ」という人間の人生が転落するくらいなのです。

自分を客観視してみると、感情的にならなくなる。自分の目の前にいる「自分」が、何か感じるだけだからだ。

人間、いつかは死ぬ

これもまた極論ですが、「人間いつかは死ぬ」という圧倒的な事実が、僕らの目の前に置かれています。

この世で、楽しいことや幸せなことをたくさん経験してなくなっていきたいものですが、人間なくなってしまえば、もう何もできることはなくなります。

そう考えますと、

このせいじという人間が、一体最後までどういう風に生きていくのだろうか?

と構えているほうが、なんだか楽しいものです。

まぁこいつの命も持ってせいぜい40〜50年くらいだろう

とね。

だったら、こいつの思うように動かしてみて、いろんなことをさせてみたい

こんな感覚が、僕を世界一周へと駆り立てました。

  • 有名になる
  • 大成して名を残す
  • この世に何かを残す

とは、ある種1つの「幸せ」の形なのかもしれませんが、やはり人は「なくなって」しまえば、もうそこに固執することはできません。

なんだ。だから意味はないのか

と、ポジティブに捉えられますと、怖いものもなくなるというわけですね。

その事実と向き合えれば、

なぜ今僕は、こんなに感情的になっているのだろう?

と思うこともできるようになります。

どうせいつか、僕という存在はなくなります。

そこまでにできることは限られています。

だから適当に生きればいい、というわけではありません。

幸せを感じつつも、この一度しかない人生を、「せいじ」という “キャラクター” を動かして、楽しんでいくことが大事なのです。

人はいつか死ぬ。そうなってしまえば、今までやってきたこともそこまで大事ではない。だから適当に生きていいということでもないが、この考え方ができると楽になる。

幸せを求めつつ気にしない

僕も「いつかは死ぬ運命」ですが、だからと言って、

  • 人と喧嘩していい
  • 人から嫌われまくっていい
  • モラルに反したことをしていい

ということではありません。

一方で、

この世で徳を積んでおきたい…

ということでもありません笑。

この「せいじ」が幸せに感じるような、周りを幸せにできるような、そんな人生を送らせてみること。

それを目指して、僕は「自分という存在」を動かしています。

そこには「感情」も介入してしまいますが、

なるほど。少し感動した
なるほど。ちょっとイヤな気分になった

と思うこともまた、楽しいものです笑。

どうせ数ヶ月後には忘れている感情もありますし、一生残る後悔もあれば、偉人たちが名を残してなくなっていったように、ずっと残り続ける名声もあります。

それらすらも全部まっさらにして、

そんなこと、どうでもいい

そう思えたら、

  • 焦り
  • 怒り
  • 幸せ
  • プライド

など、いい意味で自分の感情から切り離すことができるようになります。

それを「悪い意味」で捉えてしまった人は、

もうどうなってもいい

と感じてしまい、犯罪に手を染めてしまったり、人生にピリオドを打ってしまったりするのですね。

僕はもう、大きな「成功」や「名声」を求めなくなりました。

ただ、

  • 身近な幸せ
  • 小さな幸せ
  • 生きている実感

など、誰もが見落としてしまうような、むしろ僕自身がずっと見落としていたような、そんな「感情」を求めるようになりました。

毎日をこの「せいじ」という体を使って、あるいは配られたカードを使って、生きていくこと。

正直、日本に生まれた時点でとても恵まれているということに、世界を回ってから気づかされたものでした。

自分を愛し、幸せの追求はするけれども、同時に客観視して人生を俯瞰する

こんな風になれれば、

  1. 他人の声にも
  2. 自分の負の感情にも

反応しなくなります。

いつか終わりを迎えるその日まで、

  1. 幸せに
  2. でも時に苦しみ
  3. 成功してもいいし
  4. 失敗してもいいので

生きてみること。

世の中に正解なんてないのだから、ただ「幸せに」生きていくこと。

あとは自分の性格に合わせて、

  • 興奮
  • 感動
  • 信頼

など、人生を豊かにする「イベントごと」を作っていくことですね。

幸せになりたいけど、どうでもいいといえばどうでもいい

こんな絶妙な考え方をするようになった僕(せいじ)は、また何かしていくのでしょうね笑。

人生は幸せを求めるものだけど、決して正解なんてない。いつか終わるその時まで一所懸命生きてみて、後悔しない「自分」というキャラの人生を作っていってあげよう。

おわりに

少し言語化するのに難しく、抽象度が高かったのですが、みなさんも鏡を見てみればふと、

こいつ、なんだか面白いな

と思う時があると思います。(たぶんない笑)

そうやって客観視してみますと、イヤなことも吹っ飛んでいくものです。

一度しかない人生、あなたはどう生きますか。

それではまた!

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