こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、こんな動画を見ました。
と思う反面、部活動については、
- 教員を増やせばいい
- お金を当てたらいい
という意見も見られて、
と思いました。
ものごとには必ず両面がありまして、100%誰からも賞賛される意見とは存在しません。
朝活でも友人たちと、
- 部活
- 委員会
- 修学旅行
などの話になり、特に教員経験者からは「部活は人員の問題ではない」という話も上がってきました。
今日は日本の教育のあり方について探っていきます。
日本の教育のいい面

先述したような、部活動や修学旅行など、
と思えるようなイベントが、学校では目白押しです。
特に高校教員だった僕からすれば、彼らが一所懸命汗を流して頑張っている姿を見ますと、
と思わされます。
それ以外にも体育祭や文化祭など「学校でなければできないこと」はたくさんあって、それらをなくしてしまえば、学校は学校ではなくなるとも思っています。
これらのいい面とは、
- 勉強以外の面
- 集団行動や帰属意識
- サードプレイスとしての居場所
のような役割があって、勉強だけが全てではないと思わせてくれるのは、こうした行事や活動があるからこそなのです。
僕が部活動を全否定しないのは、自分自身もその “青春” を味わっただけでなく、教員時代も幾度となく感動させられたからです。
間違いなく「心」の成長に繋がりますし、ただ勉強だけでよかったら予備校で事足(ことた)ります。
みんなでいろんなことができるからこそ、『学校』なのです。
ただ以下のような、
というご意見もあるかと思います。
部活動だけ敵視するのは、確かに違いますよね。
まず、元教員としては、
というのが前提です。
先生たちだって楽しめますからね。
では現在は、一体何が問題になっているのでしょうか。
しっかりとその問題を直視することが大事ですよね。
量の問題ではなく質の問題

この意見には、少し違和感を覚えます。
部活動顧問の前提として、「そのスポーツや芸術の専門性がなくてもいい」ということがあげられるのがまず第一の疑問。
そして何より、人海戦術やお金で解決するような「量的な問題」ではないと思うこともあります。
「やるべき業務なのだ」といったように、ずっと残ってしまうからです。
一応、元教員としてはそこに線引きはあります。
これらは文化的な活動であり、「行事」として年に一度や二度の話です。
修学旅行も負担は大きいものの、そこまで否定的ではありません。(ただし多くの先生から負担感の声は聞いていますが)
一方で部活動とは、
- 定期的にある
- 大会の引率がある
- 土日もやることがある
など、他のものとは一線を画すような、日常的な業務に入ります。
どれが悪いというのではなく、それぞれに悪い面があるということは間違いありません。
大切なのは、
という疑問を投げかけることです。(他の行事も一緒です)
「量を担保すればなんとかなる」と言われてしまいますと、根本は解決しません。
「部活動は良い」と思うからこそ、本当にそれが教員の本分であるかどうかを問わなければなりませんよね。
- なぜ存在するのか?
- どんな効果があるのか?
- 逆に何が負担となっているのか?
- 人が増えれば解決するものなのか?
などなど。
と動画内で先生がおっしゃっていましたが、元教員からすれば、
というのが一意見です。
もちろん、どちらに「100%賛成する」とかではなくて、そうした教員の負担や業務を減らす考え方も、してみてはどうかなということ。
「日本の伝統を守りたい」という『保守』の僕からすれば笑、そりゃ残せるのならば残していきたいものですし、教員が見られるのならば見てあげたいものです。
そこでわかる生徒観などもありますし、生徒の活躍できる場が増えますからね。
でも「いいね!いいね!」と言っておきながら、先生の負担となってしまい先生が離れていってしまったら、元も子もありません。
伝統的なものにも、時代に合わせてしっかりと意見を突きつけるべきだと思っています。
時代についても考える

やはり考えるべきは、
だと思っています。
僕も現場を離れていますが、今でも繋がりで現場に行くことはありますし、たかだか2年前(2023年)の話ですから、まだキャッチアップできています。(しかも現場はそんな劇的に変わることはない)
そこで大事なのは、
をしっかりと見てあげることです。

ただでさえ大変なのに、
- やれ部活だの
- やれインクルーシブだの
とにかく “負担が増えるムーブ” しかやっていないんですよね。
だから部活に限らず、様々な行事や業務に対して疑問が湧いて出てきてしまうのです。
と。
何度も申し上げている通り、“生徒にとっては” とてもいい活動ばかりです笑。
行事なんて、あればあるだけいいのですから。
でも全て負担するのはいつでも「教員」であって、
と言われてしまったら、先生たちも追い込まれてしまいます。
だから、地域が一丸となって支えることには、賛否はあれど僕は賛成です。
今住んでいる埼玉でも、自転車を漕いでいますと、おじいちゃんたちが小学生の下校に合わせて交通整理をしてくれているところを見かけます。
それこそ、このような日本のお家芸である「和」の精神による助け合いが、大切なのではないかなと。
少子高齢化は止められないものだと言われています。
その中で、業務の見直しを一切せずに、
はちょっとどうなのかなと。
教員の量を増やすこと自体にはなんら反対はありませんが、質は担保されないのかなと。
時代に合わせて変化させてゆくことも、大事なのではないかなと。
これだけ変化の激しい、かつ危機的状況の日本で、
と、一方的に押し付けるだけではいけません。
良い文化だからこそ、どうやって教員たちの負担を減らしながら継続させられるのか。
- 人を増やすだけでいいのか
- 負担を感じなければそれでいいのか
など、根本について話していきたいですね。
おわりに
この手の話になりますと、
と思ってしまうのです。
もちろん、いい意味で部活動や行事の「感動」を知ってほしいという気持ちもありますけどね。
客観的な意見も大事ですが、現場の状況も加味して改善に取り組んでいってほしいですね。
それではまた!
