こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、大学時代の友人たちとご飯を食べにいきました。
何だろうと思っていますと、
彼はそれから僕のブログを遡(さかのぼ)って、夜通しで読んでくれたそうです。
と、やはり続けてきてよかったなと思いました。
今日は、そんな僕の「発信力」について書いていきます。
必ず熱量を持たせていること
僕は昔っから「熱い男」だったわけではありませんでした。
何かと自分にウソをついて生きてきた人生でしたから、「一所懸命やること」が恥ずかしくて仕方ありませんでした。
しかし、大学時代のダンスサークルで、
- 熱い漢たちと出会い
- 漫画ワンピースと出会う
それからというもの、
- 人とアツい話をしたり
- イベントを成功させたり
するたびに、涙することが多くなりました。
大学時代に始めていた「mixi」の日記でも、かなりアツい内容を書いていました。
最初こそ、「何か面白いもの」を届けようとしていたものですが、
「素人の書く、ちょっとやそっとの面白いこと」
では、何度も読みたいと思えるような記事にはなりませんでした。
逆に恥ずかしいと思い、
と思ったのがきっかけでした。
僕はオフ(あるいはzoomなどのオンライン)で会う時は、できる限り楽しい時間を提供したいと思っている人間ですので、そこで笑ったりふざけたりできれば、それで十分だと感じ始めたのです。
そう決めたのです。
これが、
ではお話になりませんよね。
一方で僕はモノを持ちませんので、商品を紹介することはあまりできません。
それでも「自分の人生」という意味での「商品」においては、その心境の変化や考え方の変遷が、きっと誰かの役に立つと思い、熱量を持って発信し続けてきました。
まさかこんな形で伝わっているとは思いませんでしたが、誰か1人でも読者がいる限りは、僕は書き続けていきます。
そこに熱量がある限り、誰かの心に必ず届くはずだからです。
読みたいと思わせるために
あまり何人に読まれているかは気にしていませんが、やはりこう言われると嬉しいものです。
まずは「熱量を持たせること」を大切にしていると言いましたが、
と、改めて考えてみました。
すると、
「僕自身がもう一度読みたい記事」
を書いているということに気がつきました。
僕の好きな漫画「ワンピース」の作者である尾田栄一郎さんは、
と言っているくらいですからね。
完璧主義になる必要はありませんし、僕も最初から「今書いているような記事」が書けたわけでもありません。
それでも、
と思えるような、そんな記事を書こうと思っています。
ふとした瞬間、以前の自分の心境を確認するために、記事を遡って読むこともあるくらいです。
「日記」と言いますとブログでは「良くない例」としてあげられますが、僕は自分の、
- 本音
- ドロ臭さ
- 人間らしさ
を毎日書いているため、それはそれでいいと思っています。
読んでいて、
と思うことも多いですしね。
それが誰かの人生と重なることがあったり、あるいは今迷っていることのこれからの後押しになったりすれば、ブロガー(と言っていいのかわかりませんが)冥利に尽きるというものです。
常に「下手なものは出せない」と思っていますので、
- 誤字脱字に細心の注意を払う
- 言葉の意味を調べてから使う
- 誰でも読めるような記事にする
- 必ず一度読み直して修正してからアップする
と、「自分の納得する形」を作ることを心がけています。
自分が「何度読んでもいいな」と思えるもの。
ここにフォーカスしておくことは、「誰かの役に立つように〜」と思うことよりも実は、もっと大切なことなのかもしれません。
自己満足に見えますが、どちらも大切なことですし、結果的に「読みたい」と思われると思います。
変に相手を意識しすぎて、書きたいことを書けないのであれば、それはそれで本末転倒ですからね。
- 自分の発信
- 相手のニーズ
のバランスを意識しながら発信していくことが大切ですね。
思わぬところで届く
以前から発信を続けている僕ですが、それはひとえに「伝えたいこと」があるからです。
言いたいことが何もなければ、こんなことはしません笑。
僕の「伝えたいこと」は、何か特別な知恵やスキルではなく、
「人としての生き方」
のプロセス、そのものです。
僕の生き方それ自体が、別段尊いわけではありません。
- 試行錯誤し
- 思い悩んで
- 自分なりの解決に向かう
これが「共感」を生むという、ただそれだけのことなのでしょう。
こうした「伝えたいこと」を文字に起こすことが、僕は昔から好きでしたし得意なほうでした。
様々なことが合致して、今の「発信のスタイル」に至ります。
そしてここが面白いところでして、発信したことが「思わぬ形」で「思わぬ人」に届くことがあります。
今回のことだけでなく、僕が「ブログを続ける意味」についても書いたように、自分とは全然関係のない「遠い人」に、僕の書いた記事が届いたことがありました。
ネット上で発信を続けていますと、どこかの誰かが読んでくれています。
だからこそ、僕は自分の思いをしっかり伝えることにしています。
この「知らない人」(あるいは知り合いだけど意外な人)に届くことが、僕にとって「発信する理由」になるのです。
- 伝えたいことがある
- どこかの誰かが読んでくれる
ある意味、「win-win」と言っても良いでしょう。
それで、思わぬ誰かのためになったら、それほど嬉しいことはありません。
回り回って、誰かの役に立てたのですから。
- 直接的でも
- 間接的でも
どんな形であれ、人に届くということはそれだけで価値があります。
こうした「巡り合わせ」を一度でも経験してしまいますと、
と思うものです。
ただし、「続けること」に執着し過ぎずに、
- そこに熱量を持って
- 自分の納得する形で
書き続けていくことも大切です。
それがいつか、誰かのもとに届くことを信じて。
おわりに
日記のような、そんな形で続けているブログですが、同じ世代や同じ業種(元教員)だからこそわかることなど、共感を得られることも増えてきました。
「相手を思う記事」を書いていくことも大切なことですが、あまりにもその点に注力しすぎてしまいますと、自分の書きたいことが書けなくなってしまいます。
だからこれからも、バランスを見極めながら続けていこうと思っています。
そして、魂を込めて。
それではまた!
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