自分の行動に熱量を持たせて続けること【自分が読みたい記事を書く】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、大学時代の友人たちとご飯を食べにいきました。

実はさ、せいじに感謝しなきゃいけないことがあって

何だろうと思っていますと、

いやね。実は俺がすごく悩んでいた時、たまたまFacebookでせいじの記事を読んでさ。めっちゃ元気もらえたっていうか

彼はそれから僕のブログを遡(さかのぼ)って、夜通しで読んでくれたそうです。

そんなこともあるのだなぁ

と、やはり続けてきてよかったなと思いました。

今日は、そんな僕の「発信力」について書いていきます。

人の心に響くものを届けよう。本当に伝わるものを書いていこう。

必ず熱量を持たせていること

僕は昔っから「熱い男」だったわけではありませんでした。

何かと自分にウソをついて生きてきた人生でしたから、「一所懸命やること」が恥ずかしくて仕方ありませんでした。

しかし、大学時代のダンスサークルで、

  • 熱い漢たちと出会い
  • 漫画ワンピースと出会う

それからというもの、

  • 人とアツい話をしたり
  • イベントを成功させたり

するたびに、涙することが多くなりました。

大学時代に始めていた「mixi」の日記でも、かなりアツい内容を書いていました。

最初こそ、「何か面白いもの」を届けようとしていたものですが、

「素人の書く、ちょっとやそっとの面白いこと」

では、何度も読みたいと思えるような記事にはなりませんでした。

逆に恥ずかしいと思い、

それなら自分らしく、真面目に書いてみよう

と思ったのがきっかけでした。

僕はオフ(あるいはzoomなどのオンライン)で会う時は、できる限り楽しい時間を提供したいと思っている人間ですので、そこで笑ったりふざけたりできれば、それで十分だと感じ始めたのです。

文面については、きちんとアツいことを書こう

そう決めたのです。

これが、

今日のラーメンは美味しかった

ではお話になりませんよね。

一方で僕はモノを持ちませんので、商品を紹介することはあまりできません。

それでも「自分の人生」という意味での「商品」においては、その心境の変化や考え方の変遷が、きっと誰かの役に立つと思い、熱量を持って発信し続けてきました。

まさかこんな形で伝わっているとは思いませんでしたが、誰か1人でも読者がいる限りは、僕は書き続けていきます。

そこに熱量がある限り、誰かの心に必ず届くはずだからです。

自分が発信する時に気を付けていることは、必ず熱量を持たせておくこと。その熱は伝わり、人の心に届く。

読みたいと思わせるために

せいじの記事ってなんかこう、読みたくなっちゃうんだよね

あまり何人に読まれているかは気にしていませんが、やはりこう言われると嬉しいものです。

まずは「熱量を持たせること」を大切にしていると言いましたが、

なんで読みたいと思うのかなぁ?

と、改めて考えてみました。

すると、

僕自身がもう一度読みたい記事

を書いているということに気がつきました。

僕の好きな漫画「ワンピース」の作者である尾田栄一郎さんは、

自分が一番読みたいという漫画を世に出したい。僕はワンピースを読んで一番泣いている

と言っているくらいですからね。

完璧主義になる必要はありませんし、僕も最初から「今書いているような記事」が書けたわけでもありません。

それでも、

この記事は何回読んでも感動するなぁ

と思えるような、そんな記事を書こうと思っています。

ふとした瞬間、以前の自分の心境を確認するために、記事を遡って読むこともあるくらいです。

「日記」と言いますとブログでは「良くない例」としてあげられますが、僕は自分の、

  • 本音
  • ドロ臭さ
  • 人間らしさ

を毎日書いているため、それはそれでいいと思っています。

読んでいて、

あの時はそうだったなぁ

と思うことも多いですしね。

それが誰かの人生と重なることがあったり、あるいは今迷っていることのこれからの後押しになったりすれば、ブロガー(と言っていいのかわかりませんが)冥利に尽きるというものです。

常に「下手なものは出せない」と思っていますので、

  1. 誤字脱字に細心の注意を払う
  2. 言葉の意味を調べてから使う
  3. 誰でも読めるような記事にする
  4. 必ず一度読み直して修正してからアップする

と、「自分の納得する形」を作ることを心がけています。

自分が「何度読んでもいいな」と思えるもの。

ここにフォーカスしておくことは、「誰かの役に立つように〜」と思うことよりも実は、もっと大切なことなのかもしれません。

自己満足に見えますが、どちらも大切なことですし、結果的に「読みたい」と思われると思います。

変に相手を意識しすぎて、書きたいことを書けないのであれば、それはそれで本末転倒ですからね。

  • 自分の発信
  • 相手のニーズ

のバランスを意識しながら発信していくことが大切ですね。

自分が「何度も読みたい」と思えるような記事を書くこと。相手のことを意識することも大切だが、自分の気持ちに寄り添うことも忘れてはならない。

思わぬところで届く

以前から発信を続けている僕ですが、それはひとえに「伝えたいこと」があるからです。

言いたいことが何もなければ、こんなことはしません笑。

僕の「伝えたいこと」は、何か特別な知恵やスキルではなく、

人としての生き方

のプロセス、そのものです。

僕の生き方それ自体が、別段尊いわけではありません。

  • 試行錯誤し
  • 思い悩んで
  • 自分なりの解決に向かう

これが「共感」を生むという、ただそれだけのことなのでしょう。

こうした「伝えたいこと」を文字に起こすことが、僕は昔から好きでしたし得意なほうでした。

様々なことが合致して、今の「発信のスタイル」に至ります。

そしてここが面白いところでして、発信したことが「思わぬ形」で「思わぬ人」に届くことがあります。

今回のことだけでなく、僕が「ブログを続ける意味」についても書いたように、自分とは全然関係のない「遠い人」に、僕の書いた記事が届いたことがありました。

ネット上で発信を続けていますと、どこかの誰かが読んでくれています。

えー、誰に読まれているかわからないのはなんかちょっと…

だからこそ、僕は自分の思いをしっかり伝えることにしています。

この「知らない人」(あるいは知り合いだけど意外な人)に届くことが、僕にとって「発信する理由」になるのです。

  1. 伝えたいことがある
  2. どこかの誰かが読んでくれる

ある意味、「win-win」と言っても良いでしょう。

それで、思わぬ誰かのためになったら、それほど嬉しいことはありません。

回り回って、誰かの役に立てたのですから。

  • 直接的でも
  • 間接的でも

どんな形であれ、人に届くということはそれだけで価値があります。

こうした「巡り合わせ」を一度でも経験してしまいますと、

毎日全力で記事を書こう!

と思うものです。

ただし、「続けること」に執着し過ぎずに、

  • そこに熱量を持って
  • 自分の納得する形で

書き続けていくことも大切です。

それがいつか、誰かのもとに届くことを信じて。

自分の発信は、思わぬ形で誰かに届いている。届けるために、全力を尽くすこと。熱量を持たせて、発信していこう。

おわりに

日記のような、そんな形で続けているブログですが、同じ世代や同じ業種(元教員)だからこそわかることなど、共感を得られることも増えてきました。

「相手を思う記事」を書いていくことも大切なことですが、あまりにもその点に注力しすぎてしまいますと、自分の書きたいことが書けなくなってしまいます。

だからこれからも、バランスを見極めながら続けていこうと思っています。

そして、魂を込めて。

それではまた!

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