どうやって次のステップへと進んでいくのか?【僕は強くないけれど】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕は昔からずっと弱い人間でして。

それでも、父の葬儀がある中、一週間変わらずに毎日を過ごしました。

学校の先生も辞めていますので、

すみません、忌引きで早退します

という「職場でのやり取り」なんかも当然なく、淡々と自分のやるべきことをこなしていました。

すると多くの生徒さんたちから、

そんな中、授業をするなんて、せいじ先生は強いですね

と言われることがありました。

僕は「そうではない」と思っています。

今自分が何をすべきか。

これを常に考えておくことが大事だと思ったからです。

今日は「僕が実は強くないけど決めていること」について書いていきます。

僕は強い人間なんかじゃない。でもいつでも、自分の人生についてきちんと向き合うようにしてきた。

僕は弱い人間

僕は昔から弱い人間でした。

よくイジメられていましたし、よく泣いていました。

そんな僕を変えてくれたのは、大学時代の友人たちであり、その時に紹介された『ワンピース』という漫画が、僕に一番大きな影響を与えました。

本作では、どんなに強く見えるキャラクターでも、

  • 友人の死
  • 家族の死
  • 大切な仲間の死

を経験し、多くの涙を流しながらも、そのツラさを乗り越えてゆきます。

そうか。こんな強そうなキャラクターたちでも、どこかに “弱さ” があるんだ

そして誰よりも笑い、誰よりも強く生きていました。

それからというもの、僕は「自分の弱さ」を認められるようになりました。

誰だって泣きたい時だってありますし、苦しい時、しんどい時もあります。

ワンピースの作中だけでなく、この現実社会で笑顔で接している人たちも、それぞれにツラい過去やバックグラウンドがあります。

それらをひた隠しにしろ

と言うわけではありませんが、あえて彼らが「言わないで過ごしている」のは、それだけ自分の中で咀嚼(そしゃく)して納得したからなのだと思っています。

僕は今でも弱い人間ですし、強かったからいつも通り授業ができたというわけではありません。

でも僕が以前より “強く” なれたのは、自分の弱さを認められたからなのだと思います。

たくさん泣いていいし、たくさん弱音を吐いてもいい。

でもその分、前に進まなければなりませんからね。

まずは自分のことを認めてあげること。

ここが出発点ですね。

僕は今も昔も、変わらずに弱い人間だ。でもそれを認めることで、前に進むことができた。

ちゃんと「考える」こと

僕がこうして今を生きることができているのは、たくさん、本当にたくさん考えたからでした。

もちろん、何か悲しいことやツラいことがあったのならば、時に休むことも大切なことです。

体を壊してまでも何かをすることは、このご時世では非効率的ですし「ムダな時間」となってしまうからです。

ただ、僕はたくさん考えた上で、

やっぱり、いつも通り「正しく」生きよう

そう思ったのでした。

僕以外にも、たくさん悲しんでいる人がいますし、やり切れない人生を送っている人もいます。

そんな人を目の前にした時に、僕だったらなんて言うでしょうか。

君が止まっている間に、僕は前に進むよ

そう声をかけると思うのです。

それは決して、悲しんでいる人のマウントを取りたいわけではありません。

ただただ、

自分は自分の人生を生きてゆくだけだ

そう思っているのです。

僕が悲しみに暮れていたとして、それが、

  • 一週間ならいいのか?
  • 一ヶ月ならいいのか?
  • 一年ならいいのか?

じゃあいつになったら、僕は次へと歩を進めるのでしょうか。

すごく、すごく考えました。

でも考えれば考えるほど、「僕が今を生きること」の大切さを感じるのです。

こうして過ごしている5分、10分。

そして一時間、一週間、一ヶ月が積み重なり、僕はいつか “最期” を迎えることになります。

確かに、時に立ち止まることも大切です。

しかしそれが「意味のない時間」として過ぎてゆくことのほうが、僕には耐えられなかったのでした。

「悼む」ことなんて、僕の父が望んだことではありません。

みんなそうやって何かを乗り越え、今を懸命に生きている人たちで溢れているということ。

じゃあ僕は今、何をすべきなんだ?

僕にとってやってはいけないことは、何もしないで突っ立っていることです。

何があってもやり切るのは、

  • 勇気でも
  • 強さでも
  • 気合いでも

なんでもありません。

たくさんたくさん考えて打ち出した「想い」こそが、ブレることなく、僕を次へと突き動かしてくれるのです。

僕の強靭な精神が、僕を次へと動かしているのではない。たくさん考えたからこそ、僕は次へと歩を進められているのだ。

かまってもらいたいは不要

僕が「やるべきではない」と思っていること。

それが、

こんなしんどい自分をわかって欲しい

という態度です。

もちろん、悲しみに暮れている人に対して、

甘ったれてんじゃねぇ!

と言いたいわけではありません。

それは、人それぞれで好きなようにしたらいいです。

でも自分の弱さを理由にして、何も動き始めずにみんなに慰めてもらったところで、僕の中で踏ん切りがつくわけではないのだと、僕自身が一番よくわかっていました。

Xやインスタ、fbで父の訃報(ふほう)を報告することも、多少ためらいがありましたし、多くの方々から心配のコメントもいただきました。

もちろんそうしたメッセージを受け取ることは本意ではなかったのですが、自分の中で整理がついたので投稿しただけです。

別に授業で自分から切り出す内容でもないですし、

悲しいんだ…俺

と言いたいわけでもありません。

「強い」だとか「すごい」だとか言われたいわけでもありません。

ただただ、

  1. 自分の中でちゃんと消化し
  2. 前に進んでいるという事実

これが僕には必要でした。

周りの友人たちだって、僕の家族の訃報(ふほう)なんて覚えてはいません。

そうだったんだ…ご愁傷様です

くらいしか言えませんし、またこの世の中は普通に流れていきます。

そこで僕が注目を集めることが、父の本意でもありません。

僕は僕なりに考えましたし、ちゃんと次に進もうと決めました。

もちろん、周りに慰めてくれる人がいることは、とても嬉しいことです。

しかし僕がいつまでもブルーな雰囲気を出していたら、悪気はなくても、

ちょっと落ち込んじゃうよ

と言われ、離れられてしまいます。

僕に今必要なことは、「無理をして強がること」ではなく、

  1. 何度も考え
  2. 今を生きることを選び
  3. 自分と向き合ってゆくこと

です。

悪く聞こえるかもしれませんが、そこに「他人の介在」なんてなくていいのです。

その悲しみを僕自身が背負って、また強くなっていけばいい。

それはそれ、これはこれ。

僕が歩みを止めずに歩き続けることこそが、人に勇気を与えます。

過去や他人に囚(とら)われてはいけないのですね。

自分は止まってないか?歩き続けられているか?今を後悔なく生きているか?自分の人生を生きられているのか?

ずっと問い続けていきましょう。

それが僕を僕たらしめる行為であり、僕がやるべきことなのです。

 

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かまってもらいたくて悲しんでいるのなら、それは前に進んでいない証拠だ。過去や他人に囚われることなく、自分の人生を生き抜いていこう。

おわりに

僕は強い人間じゃありません。

でもちゃんと自分の人生を考えていますと、自ずと答えは出てきて、震えている足も力強く前に踏み出すことができます。

今を考えれば考えるほど、弱い自分を受け入れて前に進むしかないのです。

言い訳せず、僕は自分の人生を生きていきたいと思っています。

みなさんはどうしたいですか。

それではまた!

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