教育でうまくいかなかった時、あなたはどうする?【僕なりの悩み解消法】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

オンラインで授業をしていますと、結構リピーターさんが増えてきます。

一方で、1回授業を取ってもらったのちに、

あ、せいじとは合わないわ

と思われ、自然と去っていく人もいます。(悲しい笑)

実は僕は、やる気がなくなった生徒さんに、

もうやめた方がいいんじゃないですか?

と言ったこともありました。

今日は、僕の「教師としての悩み」と、それに対する解決策を書いていきます。

教員も人間だ。いつだって完璧じゃない。だからまた、前を向いて歩いていこう。

教える立場の悩み

教員として9年間働き、今も個人事業主として働いている僕ですが、やはりそれなりに「悩み」があります。

それは、

先生とは合わない

と言われることです。

これは誰もが経験してきたことであり、自然と友人(だと思っていた人)が消えていっている経験も、みなさんにはあるかと思います。

その場合、最終通告すら言ってもらえないまま、「一生交わることのない人生」を歩んでゆくということですね。

僕は情熱を持って英語を教えていますが、それが鬱陶しくて離れられることもありましたし笑、時に「こちらから切る時」もありました。

先述した、忙しすぎて授業の準備ができなくなってきた生徒さんには、

あの…このままじゃ試験は厳しいと思いますので、お仕事に専念されてはどうですか?

と、授業の継続を辞退してもらったこともありました。

また、毎日のように授業を取っていた生徒さんに、

さて、これからスピーキングの練習ですね。頑張っていきましょう

と、新たな練習を持ちかけたところ、

いや、ちょっと違う話をしましょう

と話を逸らされ、「え?」と思い、

スピーキングの練習、やらないんですか?それだと力つきませんけど…どうなりたいんですか?どうしたいんですか?

と聞き、その生徒さんは結果離れていきました。(が、また授業を受けたいと来てくださいました!)

これはとてもツラいものですが、教員時代でもよく経験したことです。

指導の末、どこかで「合わない」が発生しますと、スッと切られます。

もちろん教員には、

  • 優しい人 ↔︎ 厳しい人
  • 人気な人 ↔︎ ニッチな人

などいろんなタイプがいて、それを選んでいくのも生徒さんの権利です。(学校では無理ですが)

逆に僕にとっても、上記のようなタイプの「なんかヤだな」と感じた生徒さんを、切ることも可能だということですね。

やはりどこまで行っても、人生では人間関係が「悩み」となるものです。

では、僕はどのようにしてこの悩みを解消しているのでしょうか。

教育をやっていると合う、合わないが発生する。それが悩みでもあるが、これは教員に限ったことではないのだ。

僕なりの解決法

なるほど。やっぱり教育者って大変なんだな…

と思ったそこのあなた!

実は他人事ではありません。

先生はどうしても「教える立場」にいますので、性格や教え方など生徒に具(つぶさ)に見られますが、同時にみなさんも、

あ、この人合わないな

と思われることもありますので、ちゃんと考えておかなければなりません。

僕がどうしているかと言えば、

  • 先生だろうが
  • 普通の友人同士だろうが
関係が切れたらそれまでだ

と思うようにしています。

僕が教育者だから、そう言われる立場にいるんだよな…

と、立場のせいにはしていないということですね。

でもこれは、逆に考えれば簡単なことなのです。

切られるということは、「自分も切っている」ということですからね。

この事実に気づきますと、「切られたこと」に対して悩む意味がわからなくなってきます。

だってあなただって、合わない人や興味のない人と一緒にいたくないでしょう?

と。

自分が切られた時だけ「イヤな思いをした!」と言うのは、ちょっと感覚がズレていますし被害妄想です。

要は、「お互い様だ」ということ。

自分は好きなだけ切っているのだから、僕/私と合わないと言われたってしょうがない

この考え方が大事ですよね。

これは名著『嫌われる勇気』から学んだことでした。

教育者(や発信者など)になりますと、

  • なんか嫌い(ほっとけ!)
  • やり方が気に食わない(おい笑)
  • せいじのメソッドが合わない(なんかごめんな!)

と、いくらでも難癖をつけられることがあります。

いえ、難癖というよりも「正論」なのです。

だって僕たちだって、

あの人の教え方は微妙だよね〜

と、普通に意見交換するじゃないですか。

人間は完璧ではないですし、僕もいろんな人の英語の教え方を見てきましたが、

これはいいね。あれはダメだね〜

と、散々言ったり言われたりしながら、ここまで歩んできたものです。

いつの時代にも正解なんてありません。

だから僕は僕なりにやっていけばいい

もちろん、見直す必要はありますけどね。

でもそう思えない限り、いつまでも、

  1. 万民に満足されるサービスを提供しようしては
  2. 切られたら落ち込み、自暴自棄になってしまう

という悪循環を、繰り返してしまうんですよね。

自分だって人を切っている。だったら、切られても当然なのだ。

軸はブラさないこと

「人に切られる」ということは、誰にとっても心苦しいものです。

それでも僕は、以前より悩まなくなりました。

これは決して、

自分は正しいんだから、付いて来れないやつ、合わないやつは切り捨てればいいんだ!

という、「独裁政治/唯我独尊スタイル」ではありません笑。

ただ、僕には僕なりの「スタンス(=姿勢/立場)」があるだけで、それを貫いているだけなのです。

それは、

生徒のニーズに合わせてコミット(=遂行)すること

というもの。

だから、

教えてほしいと言われても、やる気がないのなら僕には教えることはできない

ということもありました。

その生徒が「頑張りたい」と思っているのならば、それに応えるのが僕の義務だからです。

「その人の求める理想の授業」を提供していきたい

それだけのことなのです。

僕はいろんな生徒が求める「ニーズ」に応えるようにしていますので、例えば、

英語には興味ないけど、楽しく授業してもらいたい

とか、

英語なんてどうでもいいから、ただ話を聞いてほしい

など、一見すると僕が怒りそうな笑、そんなニーズに応えることもあります。

しかしその中でも、

あれ?なんか言ってることとやってること違くない?

と、生徒自身に「齟齬(そご)/乖離(かいり)」が生まれているなと思った時には、ちゃんと指導(=注意)をします。

先述した生徒のように、指導した末に切られることもありますけどね。

このように僕が違和感を覚える時というのは、「本来のニーズと本人の意志」がズレてしまっている時です。

やりたいなら頑張らなきゃ
グチを言っているままじゃ、変わりたくても変われないよ?

と、そこに正論というメスを入れます笑。

だって、それが僕の仕事ですから。

生徒さんが、

  • 成長したい
  • 変わりたい

と思うところに、僕は僕の指導を乗せてゆきます。

「それができない/やりたくない」というのであれば、それは仕方のないこと。

もうすでに、僕の手中に収まっていないのです。

一方で「話を聞いてほしいだけ」だとしても、それは問題なし。

「寄り添うこと」は大切にしていますので、そこにメスを入れることはしません。

ただ、さすがにグチばかりですと、僕の時間も限られていますので、

じゃあどうしたいの?

と指導することはありますけどね。

でも基本的には、いつでも生徒さんが求める姿に向かって努力している横を、サポートしていくこと。

この軸をブラさないことですね。

生徒の成長や変化をサポートしきれないと感じた時に、指導を入れる。その上で、切られることはやむを得ないのだ。

おわりに

教育をしていますと、うまくいかないことなんて山ほどあります。

それでも僕が続けるのは、生徒さんたちの「変わりたい」にコミットしたいからです。

それが合わないと “思われる” こともあれば、僕が合わないと “思う” こともあります。

もうこれは、人生における経験や直感からくるものです。

そうしたらそれまでのこと。

自分の軸はブラさずに、ずっと教育を続けていきましょう。

それではまた!

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