僕が悩んだ時にいつも思うこととは?【悩めるだけマシだということ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人たちと会いました。

半年ぶりでしたが、関東と関西なのでそんな頻繁に会えませんので、むしろ多い頻度で会っているほうでしょう。

いろんな「悩み」について話をしましたが、僕の回答はいつもこんな感じです。

悩めるだけまだマシ

と笑。

もちろん、いつも書いている通り、それぞれにはそれぞれの「ツラさ」がありますから、

自分の辛さは小さくなんていない!

という言い分もわかります。

今日は「悩んだ時にすべきこと」について書いていきます。

この世において、悩めるだけマシなのだ。その上で、悩むべきことなのか不要なことなのか、考えてみよう。

悩めるだけマシ

まず最初にお伝えしなければならないのは、

この世の中で、悩めるだけ十分いい暮らしをしている

ということです。

何度も伝えていることですが、

  1. 悩めるだけまだマシ
  2. だから悩むのなんて贅沢
  3. ゆえに悩んでいるやつはダメ

という論法ではありません。

「悩み」と一括りにしてもいろんな悩みがありますし、深刻なものからどうでもいいものまでたくさんあります。

そもそも論として言いたいこととは、まずこうして「悩める」という時点で、いろいろな選択肢があるということです。

これからの人生どうしようかな
どうやったら人生が豊かになっていくかな

こんなことを考えられないレベルで、生活が困窮している人もいます。

僕が悩みを持った時に下す手法としては、

今自分は、悩めるだけの余裕があるんだな

と思うことです。

もっと悪い言い方をすれば、「悩める暇(ひま)がある」ということ。

それだけで、十分幸せなんじゃないかなって。

ある意味、自分の悩みを故意に矮小(わいしょう)化するようなイメージですかね。

いろんな選択肢がある中で、あとは自分が決めればいいだけだからです。

それなら、自分は幸せなほうなんじゃないか

って。

そう考えるようにしています。

  • 明日のご飯とか
  • 人との予定とか

僕はある程度、「裁量権のある生活」ができるようになってきました。

個人の悩みとは尽きないものですが、こうして意図的に比較して(人と比べることはよくありませんが笑)、「自分は十分幸せ者だ」と思うようにしているのです。

こうして悩めるだけでも、僕は十分時間があって余裕があるのだと思う。そこに感謝するだけでも、悩みがちっぽけだと思えるものなのだ。

悩むことは悪いことじゃない

正直、悩むこと自体は「悪くない」と思っています。

僕も僕なりに悩みはありますし笑、払拭できない悩みなんていくらでもあります。

ただ、先述したように、僕は自分が悩めている時点で「いい生活を送れている」という自覚があります。

また、先ほど書いたように、そういう悩みを持っている人たちを「暇人だ」と揶揄(やゆ)するのは、

悩む暇もないくらい、必死に生きよう

と思うからです。

僕は暇な時も悩みはありませんでしたから、もはや「どうなってるの?」というレベルで何も考えていませんでしたが笑。

今は毎日1時間くらい?休めればいいほうで、そのおかげで基本的に何かを考えたり悩んだりする暇がありません。(あるとすればサウナの時くらい)

決して「忙しいアピール」をしているわけではありませんし、というかそんなアピールをしたところでなんのメリットもありません。(承認欲求があるのならば別ですが)

それぞれ男女(性別)なりの悩みもあれば、

  • 外見
  • 将来
  • 人間関係
  • 家族や恋人
  • 経済的余裕

など、悩みは多岐に渡りますから、それらを「どう解決していこうか?」と考えることは大事なことです。

ただし、人間とはなかなか優秀な生き物ですから、実は僕らが抱えている “悩み” なんて、先人たちがもうすでに何度も経験してきた悩みでもあるんですよね。

ゆえに、「解決」に導くならやはり「読書が最強だ」と言えます。

僕はある程度の量の本を読んだおかげで、大体の悩みは消えました

それでも悩みがある友人たちがいるものですから、それはもはや、

「その人が個人的に気になっているだけ」

であって、悩みはほぼ解決していると言っても過言ではありません。

本当に解決していない悩みだとしたら、生きていかれないからです。

今生きられているだけでも、ある程度の生活の保証はされているのではないかなと。

その上で、解決すべき(改善のできる)問題を抱えている機関や組織、つまり、

  • 政治
  • 経済
  • 人間関係

などに主張をして、既得権益者たちや既存のシステムに不公平さや不平等さを訴えてゆくことはいいことでしょう。

悩むことは悪いことではありません。

しかし、

  1. 悩めないほど忙しくして
  2. ある程度たくさんの書物を読めば

個人の問題の8〜9割は解決しています。(現に生きられていますし)

他の悩みとは、「枝葉の部分」であるということ。

それでももちろん、体制やシステムには物申すべきですけどね。

それはまた別の話です。

悩むことそれ自体は悪いことではない。しかし忙しければ悩まないだろうし、大体のことは本に書いてある。それでも悩むことであれば、とても瑣末な部分であることが多い。

結論:悩んでいてもいつかはなくなる

さらに僕がいつも思うのは、

こんな悩みも、もう数十年後に老いてしまったら、どうでもよくなるんだろうな

ということです。

こう言ってしまうと元も子もないのですが、いずれ僕たちは火葬されれば灰となり、土へ還っていきます。

「この世に残っていない自分」からしますと、悪く言ってしまえば「どうでもいい世界」が続いてゆくだけです。

もちろん、僕たちは「今」を生きているからこそ、現代人なりの悩みがあるわけでして、

  1. 悩むことを否定しているわけでも
  2. 悩みなんて大したことないと言っているわけでも

ありません。

でも、本当の「終わり」を考えてみた時に、

ま、こんな悩みなんてどうでもいいか

となることは間違いありません。

これは “ポジティブな” 考え方であって、自分の人生に対して投げやりになっているわけではありません。

大抵の悩みとは、時間が解決します。

もちろん「トラウマ」もありますから、そうしたトラウマを抱えている人たちに対して、

そんなもん、いつかは消えるから気にするな

とは言えません。

ただ、突き詰めてゆくほど、

今悩んでいることは、本当に自分の人生のためになっているのだろうか?

と考えることは、たくさんありました。

僕も離婚やコロナの時に、たくさん内省(内観)をしましたからね。

答えが出たような出なかったような気もしましたが、コロナ禍が明けてから人と再会し始め、

あぁ、これってもう幸せなのではないか?

と思うようになりました。

立ち止まっていたって仕方ない。いずれは終わりが来るのだから

父が亡くなったこともあってか、僕の人生はより熱を帯びて弾(はじ)けるように輝きを増しました。

  • 自分の人生を肯定的に見ること
  • 世の中に課題や悩みなんてないと思い込むこと

これらは全くの別の話であって、後者はよろしくありません。

僕はこの「前者」を、できる限り意識するようになりました。

悩みがないわけではないけれど、「いつかの終わり」を意識すれば、大したことじゃない

と。

僕らは自分で勝手に理由をつけて、納得できる生き物です。

時には言い訳もできますし、見過ごすこともできます。

だったら、それを肯定的かつポジティブに持っていくことだってできるはず。

いつか消えるものだと思って、僕は毎日を生きようと思っているのです。

僕らの人生はいつか終わりを迎える。だったら、それまでにできることをやっていく他ないのだろう。

おわりに

僕らの抱えている悩みとは、大なり小なりありまして、なかなか消えるものではありません。

それでも「悩めるだけ暇なんだな」と思うのは、世界を見てきたからでもありました。

これをどう捉えるかはその人次第です。

でもずっと何かに悩んでいますと、短い人生の中で「もったいない時間」ができてしまうのだとも思っています。

そうならないように、考え方を工夫してみてはいかがでしょうか。

それではまた!

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