こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
みなさんは未来に対する不安はありますか?
僕はもうほとんどありません笑。
いろいろ人生について考えましたし、
と思ったからです。
先日から「開き直る禅思考」という本を読み始めました。
以前から仏教については興味を持っており、改めて学びたくなったからです。
まだ読み始めですが、今の僕の考えに役に立つと思いましたし、多くの人に伝えたいこともありましたので、シェアしていきます。
失敗なんて存在しない
かの有名なエジソンの言葉にも、
私は失敗したことがない。
ただ、1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ。
とあります。
失敗を失敗と認めるかどうかは、本人次第だと言えます。
以前にも、失敗について記事を書きました。
少し前までは、「失敗が恥ずかしい」と思っていたものでしたが、今となっては「失敗した」と思わないようになり、すると「恥ずかしい」という感覚もなくなってきたのです。
- 「失敗は恥ずかしい」それなら…
- ▶︎「失敗した」と思わないようにする
- ▶︎ 結果的に「恥ずかしい」とも思わなくなる
こうして失敗を恐れず(そもそもそんなもの存在しない)、挑戦した今年(2022年)。
- 多くの資格を取ったり
- フルマラソンを走りきったり
- 見たことのない景色を見にいくことができたり
刺激的で新鮮な経験ばかりが募っていきました。
もし、
と、以前のように挑戦する前から「妄想」に浸り、ためらっていては、このような夢の実現はできませんでした。
周りからはいろいろ言われたこともありましたが、僕は今までで一番幸せですし、その幸せを奪う権利は誰にもありません。
間違っても、失敗してもいい。
自分が「こうだ」と思ったら、「自分で」挑戦していくのです。
と思うのは、全て妄想です。
いつまでも何もしないままでよければ、そのままでいていいです。
しかしそれは「以前の僕」のようであり、何も学びのない毎日が過ぎ去っていっただけでした。
そんなもの(失敗)はないものだと開き直って、挑戦して行動していきましょう。
動けばその分、何かしらのバックは必ずあるはずですから。
失敗や恥を恐れなければ即行動できる
僕はここ1〜2年ほど、
と思ったら、即行動に移すようにしています。
とバカにされたり、不安視されたりしたこともありました。
ある程度の準備は確かに必要ですし、「準備しないことがかっこいい」と思っているわけでもありません。
ただ、あれこれ考えている間に時間はどんどん過ぎていき、あっという間に人生は終わってしまいます。
そう思って行動した最たる例が、
- フルマラソンにノリでエントリーする
- 文化祭代休でド平日に熊野古道を目指す
- 70〜80点でもいいから毎日ブログを書く
といった行動です。
顕著に「即行動」が現れています笑。
また、人から「会いたい」と言われれば、先約がない限り会うようにしています。
いや、だから!
そんなもの会ってみなきゃわからないでしょう!
心の底から苦手な人なら、断り方を考えればいいですが、そうでないならいいじゃないですか。
行動した後で「なんか良くなかったな…」と思うのは、未来の自分が決めることであり、今行動することができるのは「今」の自分です。
やってもいないことに悩みを膨らまして先延ばしにしていたら、「そういう人生」をずっと送ることになります。
僕は来年(2023年)には、海外に行ってみたいと思っています。
計画は、特にありません。
でも自分で決めたことですから、絶対に行ってみたいのです。
そうやってすぐに、
- 自分の目で見たいもの
- 死ぬまでに体験してみたいもの
これらを即、自分の経験値に変えることが、どれだけ人生を豊かにするかがわかってきたのです。
思い立ったらすぐ行動。
本書でも、
「お寺が雨漏りしてしまった時に、『ざる』を持って一番にかけつけた小僧を褒めた」
という話がありました。
「桶」をもって遅れてやってきた小僧たちは、確かに合理的かもしれませんし、一番に来た小僧は結果的に役に立たなかったのかもしれません。
それでも、なりふり構わずにざるを持って来た小僧を禅師は褒めました。
捉え方は様々あり、
という人もいます。
しかし僕は、前者のような小僧でありたい。
後者は多くの人の「比喩」だと思うからです。
行動しようと思っても、あれこれ考えて行動しない人。
僕は、そうなりたくないのです。
周りとのバランスをとりつつ自分を貫け
こう思っているのに、それを阻(はば)むものはたくさんあります。
- 自分
- 他人
です。
「自分」は、妄想に支配されていることがほとんどです。
「マインドブロック」とも言われます。
「他人」は、あなたのやりたいことに対して口出ししてきたり、否定したりしてくる人のことです。
それによって、
と思って行動しない人がいます。
先にお伝えしておきますが、老婆心ながら意見を言ってくれる人もいますし、
- 「心配だから」
- 「経験者として」
- 「気をつけてほしいから」
アドバイスをしてくれる人もいます。
それらを大切にすることも良いのですが、やはり最後に何かを感じるのは自分自身しかいないということを、わかっていなければなりません。
僕の場合は、アドバイスをもらおうが否定されようが、まずはそれらを一身に受け止めます。
しかしそのあとは、自分なりに考えて行動するようにしています。
- 自分から聞く場合
- 親切心から言われる場合
- 勝手に否定されバカにされる場合
言い方は悪いですが、結局は「どれも一緒」なのです。
だって、それらを取り入れるかどうかも自分ですし、意見を取り入れたからと言って100%良い結果になるとは限らないからです。
という人がいますが、それはその人の勝手であり、反省したり経験に変えるのは本人ですから、それでいいのです。(反省しない人は良くありませんが笑)
確かに、他人に全く耳を貸さないのもよくありませんが、一方である人の助言のすべてを盲信するのもよくありません。
結局は「都合よく解釈するかどうか」の話だからです。
最終的に、その人の「おかげ」にするのか、「せい」にするのか。
その違いだけなのです。
どちらも「他人ありき」の考え方ですよね。
最後の最後、責任を取るのは他人ではなく「自分自身」です。
程度問題もありますが、やり方に正解・不正解はありません。
- 家庭環境も
- リスク許容度も
人それぞれ違うので、自分で1つ1つ判断していかなければならないのです。
だったら、自分のマインドブロックも、他人の心配や懸念も超えて、行動してみるしかないですよね。
そこで蓄積された経験のほうが、
と悩むよりも、圧倒的に良い経験になることは間違いありません。
バランスも大切ではありますが、自分の本能に従って行動してみるのも悪くはないでしょう。
おわりに
以前の僕は、何か言われたら、
と思って、行動に移せなかったことが多々ありました。
現在は「失敗」(?)をしつつも、その1回の行動で何倍もの経験を積むことができています。
それは「失敗する」と思わず、どんな形であれ経験のほうがよっぽど価値があると思っているからです。
優しさから言ってくれる人もいますから、それには感謝しつつ、最後は自分の頭で決断し、体を動かしましょう。
そのほうが学べることが多いはずです。
僕もできる限りたくさん、行動に移していこうと思います。
それではまた!
コメント