こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
いよいよこの記事を持って1,000記事目となりました。
というわけでもなく笑、ただただ淡々と自分の意見を世界にぶつけてきただけでした。
- 雨の日も
- 頭痛の日も
- 疲れている日も
- 海外を周遊している日も
どんな時でも、僕の中にはこの「ブログ」がありました。
大してお金になることもなく、
と自問自答した日もありました。
1,000日も続けていたので、その途中で変化もありましたからね。
今日はいつもと違って「読んでくれているみなさんへ」、気持ちをお伝えしていこうと思います。
続けるということのツラさ
初めて言うわけではないのですが、1,000記事毎日書き続けるということは、本当に大変なことでした笑。
先述した通り、毎日「ブログに充てる時間」があるため、
- 早く起きたり
- 遅くまで起きたり
- 移動時間で無理やり書いたり
と「力技」を駆使しては、気合と根性だけでブログを1,000記事まで書き続けました笑。
本当はここで、
とでも言うことができれば、みなさんとしても、
と思うのかもしれません。
僕はブログでお金を稼ぐこともできず、ほぼ趣味としてここまで来てしまいました。(完全に道を間違えたのかもしれません笑)
そんな中でも、淡々とブログを書き続けたのは、以前から書いているように、
という単純な理由からでした。
とはいえ、1,000日続けることは大変なことです笑。
最初に記事を書いたときは、こんなことになるなんて思ってもいませんでした。
一応、
と思ってはいましたので、とりあえず合格点かなとは思っていますけどね。
とは、意志やモチベーションがあるかどうかの問題ではありませんでした。
という、とてもシンプルで誰にでもできることでした。
ただ、今の僕のように「お金にならないまま終わってしまう」人もいますから、誰もが続けられるわけではありません。
僕も、
と思い、やめようと思ったことなんていくらでもありましたしね。
それでも続けたこと。
何か特別なことが見えてくると思ったから、続けていたわけではありません。
僕は書くことが好きで、いろんな人と交流できたからこそ、ここまで来ることができたのです。
読んでくれている人がいるから届けたい想いがある
僕のスタートはいつもここ(=1)からです。
そこに1つでもニーズがあれば、
- 無料でも
- 自分の身が削れても
やってしまうという悪いクセがあります笑。
友人たちから注意を受けるレベルで、僕は以前に比べて「与える」ようになりました。
過去の僕は、こんな人間ではありませんでした。
このブログも、もしかしたら「GIVE」なのかもしれませんし、もしかしたらただの趣味かつ「自己満足」なのかもしれません。
でも僕は、それでいいと思っています。
なぜなら、
と思うからです。
特にブログは「ストック型」と言って、「フロー型(いわゆるバイトなど)」の稼ぎ方とは異なり、ずっと残ります。
もちろん稼げてはいないのですが(おい笑)、こうして自分の書いてきた記事をたまに見返しますと、
と、自分の意見を一年越しで生(なま)で感じることができます。
その点においても、
とは思っています。
誰でも、僕の過去の記事を遡(さかのぼ)って読むことができますしね。
いまだに毎日読まれている記事はいくつもあって、検索ワードによってはGoogle検索で一番上に出てくる記事もあります。
誰かが読んでくれるのならば、書き続けるのが僕の仕事。
- 小学生(毎日日記を書く)
- 大学生(4年間、毎週mixiで日記を書く)
と、過去にいろんなことを書いてきたせいじ少年。
それがまさか大人になってから、1,000日連続でブログを書き続けるとは思いませんでした笑。
「誰か一人に読まれている」という、たったそれだけの事実に答え続けた1,000日間。
僕は毎日、僕の「想い」を届け続けました。
それが1,000回ともなりますと、
と、そう思いますね。
いつもありがとう
僕がここまで来られたのは、読んでくれる人たちがいたからでした。
特定の友人だけでなくて、知り合いでも何でもない人であっても、読んでもらっている事実に感動したものでした。
最初の数十記事なんて、僕の友人が一人読んでくれればいいだけだったのに、今では毎日読まれている記事もあるんですから、やはり続けることとは恐ろしいことですね笑。
僕がみなさんに伝えたいことは、
ということ。
それはお金かもしれないし、名声かもしれない。
曖昧でフワフワしていますが、こればかりは続けた人にしかわかりません。
僕は結果として、「僕が欲しかったもの」を手に入れることができました。
それが人との繋がりであり、僕という「人となり」を知ってもらえたということでした。
昔の僕では絶対に手に入れることのできなかった、尊くて温かいものだったのです。
「シンプルに続ける」ということが難しく見えてしまうのは、「孤独な戦いだ」と感じる人が多いからです。
僕が続けることができたのは、一人ではなかったからでした。
- 僕の書く文章に反応してくれる人がいて、
- 僕の書く文章に感動してくれる人がいたから。
その「反動」があったからこそ、僕も「続けよう」と思えたのです。
何かを続けることはマラソンによく例えられますが、マラソンランナーも沿道の人たちの応援や、途中にある給水所がなければ、42.195kmを走り切ることはできません。
僕がいつかどこかで、
と思った矢先には、僕の人生は転がり落ちていくだけとなることでしょう。
1,000記事を書けたのは、いわば、
「読んでくださっているみなさんとの共同作業」
と言ってもいいでしょう。
キレイごとに聞こえますかね?
これは、直接的な意味ではないのです。
- 読んでくれて
- 応援してくれて
- 反応してくれるから
僕は書き続けることができました。
何事も始めた最初の頃は不安で、意味のないことに時間を使っているような気がしてしまうものです。
でも意味があるかどうかは、自分が、未来が決めること。
自分の本能に従って、続けていくこと。
自分の周りに、支えてくれている人がいることに気づくこと。
その人たちに感謝をし続けるために、僕はブログを書き続けているのかもしれませんね。
いつも読んでくださってありがとうございます。
2021年の4月12日に始めてから、2024年の1月10日の今日まで、走り続けることができました。
おわりに
僕は特別、稼いだわけではありませんから、
とは、残念ながら1ミリも思えていません。
ただ、
「続けることとはシンプルなことこの上ない」
ということは、変わることのない事実でした。
そのシンプルなことを、ここまで続けられたことに、僕自身もわずかながら感動しています。
何がなんでも続けていくだけで、
- 周りからそこそこの信頼を得て
- ちょっとした感動を与えること
ができます。
それが「僕を少しでも見てくれている人たち」からのお礼であり、みなさんへの感謝の形でもあります。
続けることに特別な力は要りません。
ただ「やめない」こと。
いつまでも戦い続ける男。
それが僕なのです。
1,000日間…1,000記事、書き続けました!
みんなありがとう!
それではまた!
コメント
1,000記事毎日更新おめでとう!
とんでもなくすごい!
ありがとう✨
まだまだ続けていくぜー!
1,000記事おめでとうございます!
私も続ける勇気をいただきました。
ありがとうございます✨
ありがとうございます✨
一緒に続けていきましょう!