今を必死に生きる大切さを教えてくれる場所【現地に来て感じる9.11】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、ニューヨークという大都会に降り立つことができました。

宿泊費が高いので、たった一泊というわずかな時間でしたが、どうしても見たかった「9.11メモリアル」を見に行きました。

ワールドトレードセンターがあった跡地ですね。

水が流れている状態となっており、そこには亡くなった方々の名前が彫られていました。

一番の目的ではなかったのですが、やはりあの時の映像が甦ってしまい、どうしても涙を堪えることができませんでした。

今日は「生きる」ことについて書いていきます。

僕らが生きているこの時代は、奇跡に満ち溢れている。当時のことを忘れるなというわけではないけれど、現地に来たことで今を必死に生きようと思った。

当時の自分

あれは2001年の9月。

全世界に衝撃が走ることとなった映像が、僕ら日本人の目の前にも現れることとなります。

今でも鮮明に残っているこの映像は、若いみなさんにとっては「見なくてもいいもの」だと思っています。

無理をして見る必要はありません。

ただ僕らの時代は「テレビ一強」の時代でしたので、どうしても目に入ってきてしまったのです。

22年も前のことですから、僕は中学生になるかならないかといったところでした。

当時の幼心ですら衝撃的だったのですから、大人になった今となっては、より深く感じるものがあります。

少し前から「幸せ」について考えてきましたが、それは実は「自分の終わり」を強く意識するようになることでもありました。

僕は小学生の時から「」について考えていました。

死んだらどこに行くのだろう?

そんな単純な疑問もありましたし、大人になるにつれもっと客観的な考え方も持てるようになりました。

あぁ灰になるだけなんだな

と。

一方で、すごく「」を意識するようにもなりました。

若気の至りだったのかもしれませんが、毎日を楽しく過ごすことを意識していたのは、高校〜大学時代だったと思います。

今思えば、

「難しいことを考えずに今を楽しんでいく」

といったあのスタイルは、ある意味で死を無意識に意識していたのだと思っています。

衝撃を受けたあの映像は、僕の無意識下の中で「死」を意識させていました。

実は中学高校の時から、僕はとっくに「自分の終わり」を意識していたのかもしれませんね。

当時の自分にとってはただただ衝撃的だった映像。その時に感じたことは、実は自分の中に強く残っている。

現地に来て感じたこと

そして34歳となった今。

22年前に起こった衝撃的な事件の現場に、初めて降り立つこととなりました。

ちょうど9月ということもあってか、多くの人が跡地を訪れていました。

僕は想像力に欠けている人間ですが、当時の様子がフラッシュバックのように鮮明に甦ってきました。

僕は日本人ですし、兄がアメリカにいるとはいえ、アメリカとはほぼ無縁な人生です。(HipHopが好きなくらいかと)

それでも、当時のニュースを見て受けた衝撃が、22年という時を超えて僕の胸をえぐることとなりました。

多くの人がここで亡くなり、希望を打ち砕かれました。

中にはまだ若かった人もいたことでしょう。

とても残酷なことをいえば、それもまたその人の運命だったのかもしれません。

人間、いつどこで死ぬかわかりませんからね。

しかし、何故かわからないのですが、その当時に思いを寄せるだけで胸の中が熱くなり、涙が込み上げてきてしまいました。

こうして今、自分が世界を回ることができていること。

多くの友人に囲まれ、拙(つたな)いながらも「幸せ」を探してそれに近づいていること。

なんて…なんて僕は幸せなんだろう

「今」を生きることができているという、奇跡中の奇跡に、自分が存在しているということを、恥ずかしながら現地で感じることとなりました。

「生きる/生き方」にも程度があります。

しかし以前の僕は、死んだように生きていました。

あの時の青春のように「今を生きる」ことを忘れてしまい、社会人になってからは何も考えずに生きることとなってしまいました。

それを変えてくれたのは、僕の周りの人たちでした。

最終的にそれに気づけたのは自分でもありましたが、やはり僕の周りの人たちが今の僕を作ってくれたと感じています。

今を必死で生きるようになったここ数年でしたが、まさか世界を旅するまでとは思ってもいませんでした。

そしてこうして現地に来ることができて改めて、「旅をしてきてよかったな」と思えています。

あの時に「今」の大切さを教えてくれたからこそ、ここに来ることができた

当時の事件の跡地に衝撃を受けながらも、結局はそこに引き寄せられるように来てしまった34歳の9月。

やっとお礼を伝えに来ることができたのです。

当時の衝撃があったからこそ、僕は生きる大切さを学べた。そして現地に来て身を切る思いと感謝の思いが、同時に湧き上がってきたのだ。

今、そしてこれから

旅を始めて150日が経ちました。

単純に計算すれば、5ヶ月ですね。

しんどいことばかりで、

早く日本に帰って安定した生活を送りたい

と思うことが、何度あったことでしょうか。

しかし一方で、

  • 大切な場所
  • 訪れたかった場所

に出向くことができて、僕は本当に感動しています。

特に、自分が勝手に「ゆかりのある場所だ」と思っていた場所に来ることができますと、

今年こうして旅をしてきて、本当に良かった

と思っています。

ワールドトレードセンターの跡地にきたことは、ベルリンの壁を見にきた時と同じように、僕に「」を考えさせてくれました。

確かに「世界を旅しない世界線」もありました。

無理して資産を減らす意味もないですし、世界なんて見なくたって人生は続きます笑。

でもこの旅は、僕にとって「必要な旅」でした。

これは結果論かもしれませんが、

  • 世界の文化に触れ
  • 世界の歴史に触れ
  • 世界の人々に触れた

ことは、僕の人生を大きく変えてくれました。

「今」を生きるということは、こういうことなんだな

と。

ここ数年では、必死に「今」を生きるようになっていましたが、今年は今年でまたしんどいながらも「生きている」と強く感じる毎日です。

そういう意味では、去年(2022年)と同様に、「いつ死んでもいい」という覚悟を持って生きることができています。

去年も今年も、そしてこれから先も、もっともっと今ある命を必死に燃やしていこう

そう思えている「今の自分」を見たら、「過去の自分」はさぞ驚くことでしょう。

何をそんなに?

と。

しかしはっきり言えることは、今の自分が一番輝いているということ。

過去に「志半ば」で亡くなっていた人たちが生きたかった今を、僕はこうして生きることができています。

そこに責任も義務もありません。

ただそこに存在しているだけでも、それは尊いことだからです。

ただし僕は、そうであってはいけない。

僕には使命があると、勝手に感じているからです。

毎日やれることをやって、いつ死んでもいいようにしておこう

そうやって灰になっていくことが、僕の目指す生き方です。

「当時の人たちの人生まで背負っている」と感じているほど、僕は傲慢ではありません。

ただただ、自分に与えられた「意味のないであろうこの命」を、自分なりに意味を付加して燃やし続けていくこと。

それが今の僕にできる最大限のことです。

  • 今を
  • これからを

また必死に生きていこうと思います。

今を生きるとは、自分の命をできる限り燃やしていくことだと思った。それからというもの、必死で生きられるようになったのだ。

おわりに

現地で感じることはいろいろとありました。

フラッシュバックした過去の映像は、現地では鮮明に僕の脳裏をよぎりました。

今こうして旅を続けることができていて、

僕は本当に運が良かった

と思っています。

やりたいことすらできずに亡くなっていった人たち。

社会的に差別を受けて亡くなっていった人たち。

比べる必要はありませんが、そう考えれば今の僕は十分幸せです。

今に感謝して、また歩き続けていきましょう。

それではまた!

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