こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
本日は、我が学年の卒業式でした。
どうしてもこの手のものにはめっぽう弱く笑、涙が出てきてしまいます。
今回は教員人生で2回目の卒業式ということもあり、グッと堪えることができました。(ほっ)
昨年の2022年にも、卒業式について記事を書きました。
今年もこの季節がやってきたので、卒業式について書いていきます。
僕にとって卒業式が特別な理由
卒業式とは、単なる「別れ」以上のものがあります。
まだ成人を迎えていない生徒たちを預かり、朝から夕方まで「一日の大半」を共有しながら3年間をともに過ごすからです。
- 特別指導や部活指導もして
- 時に文化祭や球技大会で盛り上がって
- 遠足や修学旅行など特別な行事も経験して
と、一人の人間としては計り知れないほどの経験をさせてもらうことができるのが、「教師」です。
この経験は教師独特のものであり、「青春」をもう一度味わいたいがための教員生活だったと言っても、過言ではありません笑。
そんな3年間越しの卒業式ですから、たとえ生徒たちがあっけらかんとしていても、僕にとっては特別な気持ちが込み上げてくるものです。
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と。
地味で目立たない生徒もいましたし、陽気で快活な生徒もいました。
その全部をひっくるめて、まとめていかなければならないので、担任サイドは大変なものです笑。
それもまた、稀有(けう)な経験なのですけれどね。
いろんな出来事があった3年間を終えての卒業式ですから、それはそれはグッとくるものです。
単なる「友人同士の付き合い」と違い、
- 生徒たちの本音に迫ったり
- 本気で向き合って叱ったり
もするからです。
時に「先生と生徒」という関係が崩れ、僕と生徒との間に深い溝ができてしまうこともあります。
そんなギリギリの中で、信頼関係を築きながら数年をともに過ごすのです。
それをやり遂げた瞬間、生徒たちに対する「感謝」が生まれます。
やはり、この職は「特殊だ」と言わざるを得ません。
卒業式とは、単なる「別れ」にとどまらないのです。
愛を返してくれたのは生徒たち
僕がなぜ生徒たちに感謝するのかといえば、僕のほうが学ばされることが多いからです。
生徒たちを見ていますと、
- ものすごい才能を持っている生徒
- 全くやる気がなくて何もしようとしない生徒
- 家庭状況が大変でその日暮らしで必死に生活している生徒
など、様々な生徒がいます。
いわゆる「すごい生徒」のほうが、僕らも感動するかもしれませんし、学ばされている気もするかもしれません。
でも僕は、どんな生徒からも学ぶことがありました。
今まで「勉強一筋」で生きてきた僕には、衝撃の毎日でした。
- プリントはすぐにグシャグシャ
- 課題なんてやってくる気配もない
- 「1」がつかないように必死でプリントを提出してくる
もちろん、こんな生徒だけではありませんでしたが、大抵はこんな感じでした笑。
それでも彼らは、「勉強よりも大切なこと」を僕に教えてくれました。
- 今を全力で楽しんだり
- 先生に忖度なんてしなかったり
- 男として何がかっこいいかを研究していたり
「真面目人間だった僕」が見たこともない世界で、10代を生きている生徒たちがそこにはいました。
僕らが10代だった頃、
- こんなにも考えて
- こんなにも素直に向き合ってくれて
- こんなにも先生たちと意思疎通ができて
いたかと思うと、正直、答えるのが苦しいくらいです笑。
ただ、
と聞かれますと、思いつくものは上のような「新鮮な価値観」くらいですが笑。
では、彼らが僕に教えてくれた「一番大切なこと」とは一体なんだったのでしょうか。
それは、「愛」でした。
- 親
- 仲間
- 家族
- 彼女
どんな形であれ、彼らはどこかに強い絆がありました。
それは「僕」に対しても、簡単に示して見せてくれました。
こちらが愛を与えれば、驚くほど素直に返してくれるのです。
特に僕は男子クラス、通称「男クラ」を持っていましたので、まるで自分の弟や息子のように愛すことに徹しました。
僕は兄妹に「弟」がいなかったので、どうしても男子だけのクラスを持ってみたかったのです。
すると、面白いくらいにしっかりと意思疎通を図ってくれましたし、つまらないことやイヤなことには耳も貸してくれませんでした笑。(おい)
彼らは勉強が苦手でしたが、与えた愛を純粋に返してくれる、気持ちのいい生徒たちでした。
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そんな純粋無垢な「素直さ/誠実さ」は、今までの僕には欠けていたものだったからこそ、衝撃を受けたのです。
だから彼らは、「人として一番大切なもの」を持っていました。
それは社会で「良し」とされる学歴だとか、社会通念だとかを飛び越えた、全ての人に通用する大切なものでした。
僕はその一番大切なものを学ばせてもらったからこそ、彼らには感謝しかないのです。
彼らの未来は明るいと信じている
僕は勉強を一番に重んじており、勉強ができない人を見下していた時期がありました。
着任当初も、そんな「上から目線」が伝わってしまい、生徒と不仲になってはしばしばトラブルを起こしていました。
少しずつ彼らのことを理解するようになり始めますと、お互いに信頼関係が築けてきました。
そして彼らから、本当に大切なことを学ぶことができました。
みなさんなら、こんな「勉強のできない若者」を目の前にした時、どう感じるでしょうか?
そう感じる人もいるかもしれません。
僕もそうでしたから。
でも今は、彼らのような生徒たちのほうが、日本の未来は明るいのではないかと思わせてくれます。
中には本当にやる気のない生徒もいましたし、心のどこかで先生たちや学校を嫌っている生徒たちもいました。
どこかの一部分を切り取って、
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と言うことはできません。
しかし、現場にずっといた僕の肌感覚からすれば、彼らは「確かな愛」を持っていました。
先ほど書いた通りです。
話していても反応がいい生徒が多いですし、反応が悪い生徒もその子なりに一所懸命やっていました。
「若者」というだけで、僕は応援したくてしょうがないのです。
僕もまだまだ現役でいろんなことを頑張っていますから(そのつもり)、
- 年齢がどうとか
- 始めた時期がどうとか
そういう議論をしたいわけではありません。
ただ、教壇に立って生徒たちの顔を見ていますと、
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と信じてしまうのです。
先生たちが、生徒たちの未来を信じてあげること。
それは自分たちの生きる「未来」でもあります。
若者たちに投資しつつ、自分の年齢や始めた時期を言い訳にしないこと。
彼らに任せっ放しにせず、自分たちも頑張り続けること。
- 未来を信じることのできる人
- 彼らを応援することのできる人
は、現在も間違いなく、ご自身が一所懸命頑張っている人に違いありません。
僕は彼らの未来に賭けています。
そして「彼らと一緒に歩む未来」も思い描いています。
そうやって「明るい未来」を描いていけば、いつか本当に描いた未来が訪れるはずです。
だから信じるのです。
彼らが生きる未来は、きっと明るいに違いないのだと。
おわりに
卒業式にいろいろ感じてしまうのは、先生の「性(さが)」です。
それだけ、この3年間は他の誰にも経験できないものだからです。
- だから偉いとか
- これは高尚な仕事だとか
そういうことを言うつもりはありません。
むしろもっと原始的で根本的な、「人としてのあり方」を学べるような場所が学校であり、それを教えてくれるのはいつも生徒たちだという、それだけのことです。
彼らが作る未来に賭けてみたい。
それと同時に、自分もずっと前を走り続ける「先生」でありたい。
僕はこれからも教育に生き、教育を愛すのだと思います。
生徒から学んだことをまた活かし、次の生徒たちに与えていけるような、そんな先生でありたいと思っています。
みんな、卒業おめでとう。
それではまた!
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