何事においても限られていることを意識すること【制約の中でできること】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、西野亮廣さんの「新世界」を読み終わりました。

最後の方に素晴らしい言葉がありましたので、引用させていただきます。

ボクらは、使える文字数に制限があると、

わざわざ誰かを傷つけるようなことに文字を割かない。

これは、彼が始めた「レターポット」というサービスから感じたことだということでした。

今日は「制限があるからこそ美しく輝く」ということについて書いていきます。

無制限だと人は際限なく消費してしまう。制限があるからこそ、そのものを大切にするようになるのだ。

限られた文字数で伝えるということ

僕は、

  • X
  • fb
  • ブログ
  • インスタ

など、多岐にわたってSNSを利用しています。

ただ実は、気をつけていることがあります。

できる限り無作為に投稿しない

というものです。

特に「X」で頻繁に「ネガティブ発言」をしている人たちを見たときは、

なんてムダな投稿をしているのだろう?ダセぇなぁ…

と、傍(はた)から見てて思ったことを覚えています。

Xでは文字数が限られていますが、連投をすれば長さなんてどうとでもなります。

でも僕は、ここに「簡潔に伝えること」の大切さを感じています。

時と場合にもよりますが、やはり「長文の投稿」は読む側もツラいため、どうしても長く伝えたいことがある場合は、こうしてブログに落とし込んでいます。

それだけ、長い文章は「本当に僕のブログを読みたい人」に届いてほしいということです。

西野さんの言葉通り「文字が限られていること」で、美しい言葉やその人の「伝えたい核心」が垣間見えます。

僕は大きな節目の時ほど、この文字数に入るように考えて投稿をするようにしています。

そのほうが「伝わる」からです。

  • 制限がある
  • 限られている

という状況の方が、人はシンプルで美しい言葉を選ぼうとします。

ネガティブ発言や誹謗中傷なんて、もってのほか。

こういうことが起きてしまうのは、「SNSでいくらでも発信ができる」という事実と合わせて、文字に対して敬意のない人たちがいるからなのです。

本来はもっと、文字を大切にしなければならないのです。

僕らは手紙や年賀状といったアナログから離れたことで、いつの間にかその素晴らしさを忘れていました。

紙の文化に戻れ

と言いたいわけではありません。(僕はペーパーレス推奨派ですし)

ただ、SNSなどデジタルの世界になったとしても、言葉はとても重いはず。

自ら制限を意識するだけで、人は美しい言葉遣いをするようになるのです。

文字が制限されていると、人々は言葉に慎重になる。今の時代、それを意識できるかどうかで、言葉の使い方が変わってくるのだ。

文字に限らず制限されているもの

僕が世界の旅を始めた時に、無意識にしていたことは、

制約を設けていたこと

でした。

あれ?自由に旅をしてたんじゃないの?

確かに「自由」だったのは間違いないのですが、そこには当然ながら、

  • お金
  • 時間

の縛りがありました。

現実的に資産が減っていたこともありましたし、「1年以内には日本に帰るだろう」という算段もありました。

自ら制約をかけたと言ってもいいでしょう。

限られた予算と時間の中だからこそ、できることがあります。

一度しかない人生の中で、なんでもかんでもできるわけではありませんからね。

当たり前のことかもしれませんが、人には「限られた時間」があるからこそ、その儚(はかな)さに美しさがあるのです。

僕らは何か無限のものがあれば、あるほど消費しようとします。

全てにおいて「悪」だと言うつもりはありませんが、そうして制約のないものには、価値が生まれなくなってきます。

西野さんの書籍の中でも、

お金を刷ればするほど、お金の価値がなくなっていく

といった「ハイパーインフレ」についての言及がありました。

文字もそうですが、

全てのものが永久に続くものだ

と感じてしまっている人は多いものです。

僕が世界を旅したのは、

今しかないんだ

と、「時間や命の有限さ」に気づいたからこそでした。

僕らはいつまで経ったって有機体であり、いつか「終わり」を迎えます。

でもその「終わり」を意識していれば、与えられた状況を嘆くのではなく、美しく生きようとするものです。

僕の「世界の旅」は1つの例でしかありませんが、

今日は休もう

というよりも今は、

早く、早く!次のことをしなければ!

と思うようになりましたね。

本当は人生は、限られたものであるということを忘れてはいけない。終わりを感じることで、毎日を一所懸命になれるのだ。

足るを知ることと制限の関係

僕は以前から「足るを知ること」について書いてきました。

実はこの考え方は、「制限」と関係があります。

僕は制約があることや、自由を縛られることは嫌いですが笑、同時に、

  • 資源
  • 時間

など、「限りがあるもの」を意識するようにもなりました。

日本に帰ってきてからは、豊かだからこそ「食」を選ぶようになりましたし、SNSでもできる限り素材をそろえた上で、「良い」と思ったものを精選してアップするようにしています。

「自ら制約をかけている」ように、ブレーキをかけなければ際限なく続けたり、取ってしまったりしてしまうからです。

これには絶妙な効果があると思っています。

制限があるものは、大切にするようになる

という持論があるからです。

西野さんの書籍にあった通り、もしSNSなどで仮に文字数が制限されていれば、人は言葉を慎重に選ぶようになるはず。

僕が「足るを知る」ようになったのは、そんな「大切にする気持ち」を忘れないようにするためでもあるのかもしれません。

「継続して発信すること」はとても大切なことですが、

  • 想い
  • 熱意

なども込める必要があります。

制限を意識するからこそ生まれるのが、ギュッとまとまった「気持ち」なのです。

足るを知ることで、制限を意識すること。

それだけで、人生の一つ一つの所作に感動するようになるものです。

このブログは、Xやインスタよりも制限がないため、際限なく僕の「想い」を伝えることもできますが、一応「3,000文字程度」と決めています。

時間も限られていますしね。

そのようにして、自分なりに「制約」を設けておくこと。

足るを知るの「別の言い方」と言ってもいいのかもしれませんね。

いろんなことに適用できますので、毎回その意識をしておくとまた世界が違って見えてきます。

足るを知るということは、どこかに自分なりの限界や制約を設けることに等しい。そのほうが、限られた資源を大切に使うようになり、人生を美しく生きていけるのだ。

おわりに

制限や制約をされるのは嫌いですが、自ら、

ここまでかな

腹八分目で抑えることは、人生においてとてもいいことですし、好きです笑。

それだけで「今」に感謝できるようになりますし、「豊かな日本にいる」という事実にも有り難みを感じることができます。

「言葉/文字」は無限に連ねることができますが、それをあえて制限すれば、僕らはムダなことを伝えようとは思いません。

自分の言葉がムダかどうかではなくて、「真剣に言葉を選ぶようになる」ということが大切だということ。

これからも言葉を選んで紡いでいこうと思います。

それではまた!

コメント

  1. おれんじ より:

    なんでもそうだけど、決まりごと(制約)がないと「なにをやってもいいんだ」と勘違いしてしまう人は一定数いるよね。
    配慮に欠けた言葉を乱暴に投げるのは誰にとってもマイナスでしかないから、気をつけていきたいね。
    真剣に言葉を選んでいこう。

    • せいじ より:

      その通り✨言葉を選べない人って、なんでもかんでも言っていいと思ってる。
      それは言葉が無限にあると勘違いしてるから。
      僕も気をつけたいね♫ コメントありがとう!

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