継続することは果たして何を生むか【継続がいいかどうかはナンセンス】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、Abema TVでこんな動画を見ました。

僕は「継続の鬼」ですが笑、この動画を見た時に、

世界にはいろんな「継続」があるのだなぁ

と感じました。

僕も「継続すること」で見えてくることはあると思っていまして、それは決して「お金」や「利益」に繋がるものだけではないと思っています。

ただ、別にキレイごとを言いたいわけではありません。

では、継続はしたほうがいいのか。

今日はまた違う観点から、「継続」について書いていきます。

継続しているかどうかは実は問題ではない。自分が好きで必要だと思うならやればいいのだ。

継続は力なりは本当

まずお伝えしなければならない事実があります。

それは「継続は力になる」という、大大大前提があるということです。

残念ながら、

継続しなくても才能で…

と言い張る人が世界にほとんどいないように、何事においても、

「3日間で天才になり、それ以降は何もやらない」

というだけで、何かを得られることなんてあり得ません。

極端すぎるだろ!

と言われるかもしれませんが、これは全てにおいて「そう」なのだからそうなのです笑。

  • 英語でも
  • 仕事でも
  • 日記でも
  • 筋トレでも

何においても、その分野で「何かを得たい」のであれば、「ある程度の連続性」は必要(必須)です。

例えば僕が超苦手なギターを弾く時に、天性の才能があったとしても、それを弾き続けなければ意味がありません。

仮に一曲リリースしてそれがバズったとしても、それは一過性のものでしかありませんしね。

これだけ極端な話をあえてするのは、それだけ人生において「連続性」はなくてはならないと言いたいからです。

誰もが否定することができないように、

  • 数ヶ月だろうが
  • 数年だろうが

そこにある程度の「継続」がなければ、スキルや経験を身につけるのは不可能。

というより、どう考えても無理なのです笑。

ただ、いわゆる「意味のないこと」のように見えるものを継続していた場合、社会的には価値のない継続になり得ることもあります。

それでも、その「ある何か」に対しては経験が積み上がっていきますし、専門性も養われていきます。

だから「継続は力なり」は自明の理であり、誰も否定することはできないのです。

継続に意味があるかないかではなく、必ず何かしらにおいての力になっていることは間違いない。

継続するかどうかは手段でしかない

僕が最近変に思うことは、

継続って意味あるの?

と言ったように、「継続そのもの」に対して疑問を投げかける人たちです。

先述した通り、結局は何事においても継続は「せざるを得ない」のですから、この質問自体に疑問が湧いてきます。

この質問をしている人というのは、

継続した先に、何か意味のあるバックがあるの?

と、結果を求めている人たちだと思うのです。

お伝えしたとおり、何かしらのスキルや経験、知識はつくに決まっているのですから、それだけで「バックがある」と言えるでしょう。

それでもまだ疑問のある人たちは、

お金や利益になるの?

という質問でも持っているのかもしれませんね。

僕は英語やダンス、ランニングやサウナ、そしてこのブログを続けていますが、それは決して、

継続することが全てだから

と盲信して、続けているわけではありません。

そこに具体的で大きな利益がなくても、そこで養われる「スキルや経験」があるから続けているのです。

そして何よりそれらが好きだから続けているのであり、その先にある結果は後付けなのです。

想像してみれば簡単な話です。

みなさんの趣味(継続)もまた、「意味のないことだ」と言われる筋合いがあるでしょうか。

  • ジムに通っている
  • 英語の勉強をしている
いやいや、ちゃんと「投資」と考えれば意味があるでしょ…

投資とは回収ができなければ「投資」とは言えません。

ジムに通っても、必ず健康になるとは言えませんよね。

週一回通って汗を流すように、リフレッシュのために行っている人もいます。

英語だってそれで利益が出なければ、回収したことにはなりません。

簡単に言えば、

「お金を払って意味のないことに時間を使っている」

とも言えてしまうので、「投資」になっているかどうかは結果論でしかないのです。

なんてひどいことを言うんだ!最低だ!

と言うそんな人こそ、「お金を払っているものは投資だ」と言い切ってきます。

そうとは限らないこともまた、世の中にはたくさんあるのです。

つまり僕が言いたいことは、

  • ジムに通い続けたり
  • 英語を勉強し続けたり

している人は、それでいいのだということ。

  • 回収できなかろうが
  • お金を払っていようが

「継続すること」が目的ではないからです。

ただ好きでやっているのだから、それが結果的に「継続」になってしまうだけのこと。

それが苦行であり「やめたい」のであれば、「やめたらいいのに笑」とは思いますけれど、その人なりのジンクスやスタンスがありますから、あれこれ言うことでもないのかなと思っています。

  1. 継続とは目的ではなく手段であり、
  2. 結果的に「好き」が継続となっていることは多く、
  3. その先にある目的は、投資の回収でも利益の有無でもない場合がある。

ただ先述した通り、継続している間にいろんな周辺知識人との繋がりは、必ず生まれてくるのは間違いありません。

投資になっているかどうか、継続に意味があるかどうかなんて、実はナンセンスなのです。

  1. 好きだから続けている
  2. 続けている間に何かが生まれている

「継続」は結果的についてくること。

続けたほうがいいかどうか

と考えている人は、自分自身に聞いたらいいです。

何を目的にしているかで、継続したほうがいいかどうかは違ってきますからね。

継続とは手段でしかなく、また結果的についてくる事象だ。継続をしなきゃと思ってやることは、継続が目的化してしまっているから注意が必要だ。

自分の好きなようにやったらいい

ただし、

  • お金を稼ぐため
  • オリンピック選手になるため

といった明確な目的がある場合は、

  • 継続の強度を変えたり
  • 第三者に聞いて方向性を変えたり

する必要はあります。

そこに明確な「目標/目的」がある場合、例えば、

英検2級に受かりたいのですが、このまま英検準2級の勉強を続けていてもいいですか?

といった問いに対しては、「いや、違うよ笑」とはっきりと答えることができますよね。

それでも「ずっと英検準2級の勉強をしたい」と本人が言うのであれば、目的に対する手段(方向性)が違くても、外野がとやかく言う必要はありません。(その人は成長できませんが)

今の例はほぼありえないケースですが、継続に対して疑問を抱く人とは、その人の「目的」を知らないままに、「それって意味あるの?」と聞いてしまっていることが多いです。

本人に直接聞くことはなくても、他人の継続を疑問視している人はいますからね。

先ほどのジム通いや英語学習もそうですね。

「いいから放っておけ」って感じです笑。

しかし僕のように、

続けていたらいつの間にか…

と言うケースも存在します。

僕は先生になりたかったのですが、最初は「数学の先生」になりたかっただけでした。

それがあれよあれよと英語の先生になってしまったのでしたが笑、継続していたおかげで、

  • 英語の仕事の受注
  • 世界を周遊する手段
  • 国内だけで英語を勉強した経歴…

と、いろいろと “回収” することができました。

いや、今受け取っている以上のものを得られたとすら思っています。

ダンスやブログもそうですかね。

「具体的かつ大きな回収」ではなくとも、

  • 人と繋がる手段
  • 他の仕事への手段
  • 知識や経験、スキル

などとなり、好きで続けていることが結果的に、「自分のためになる/人の役に立つ」ようになりました。

継続は力になるのですから、自分がそこに求める「意味」がはっきりしているのであれば、続けていったらいいと思っています。

大抵は「好きなこと」じゃないでしょうかね。

お金になるとかバックがあるとか、そうした狭義での「利益」だけを求めて継続しますと、必ずどこかで限界が来ます。(悪いとは言っていない)

継続はあくまで手段でしかなく、その先の目的はそれぞれが定義していい。

やめられないから、結果的に継続になるのだ

それでいいのです。

継続の先にある目的は人それぞれだ。自分なりに意味を持たせて、やりたいようにやっていこう。

おわりに

継続とはあくまで手段であり、それを目的化してしまっては、

その先に何を求めているの?

と聞かれてしまうことは当然のことです。

ただ、その先の「目的」は人それぞれでいい。

  • 趣味でやっていようが
  • 楽しんでやっていようが
  • ストレス発散でやっていようが

誰にも侵されるものではないのですから。

ただ、自分の中で疑問が湧くような「継続」に対しては、いつでもその目的を問い続けることは必要なのかもしれませんね。

それではまた!

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