こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、ふと朝の5時に目が覚めた僕は、そのまま新しい事業についていろいろと考えを巡らせていました。
いつもだったらもう一度ゆっくり寝るはずなのですが、その日はどうしてもいろんなことが頭を駆け巡ってきて、寝付くことができませんでした。
堀江貴文さんも、
と言っています。
僕も前進しなければいけませんよね。
今日は「悩んでいても仕方ない」ということについて書いていきます。
悩んでしまうのは暇だから
魔女の宅急便に、
おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
というキャッチフレーズがあります。
僕も(ギリギリ)人間なので、たまに悩んだり落ち込んだりすることがあります。
それでもこのフレーズを見ますと、
と思うものです。
年に一回あるかないかというくらい、数えられない回数なのですが、たまにこうして、
と思うことがあります。
特に世界を一周していた時は、多くのことを学ぶと同時に、いろんなことに想いを巡らせていました。
世界の旅の最中も、いろいろとやることが多くて忙しかったものですが、電車やバスで長時間移動している時は、
と、先のわからないことについて考えを巡らせていたものでした。
人間とは、「暇になるほど」いろんなことを考えます。
昔の人を悪く言うつもりはありませんが、哲学者たちが多くいたのは、それだけ時間があったからだとも思っています。
今回も眠れなかったからか、ムダなことばかりを考えていました。
と、「頑張っている自分」を一歩引いて見てしまったことで、
というモードに入ってしまったのです。
定期的に起こるこの現象は、「忙しくない時」に発生します笑。
何かに向かって一所懸命アプローチをかけている時こそ、そんなことを考えている暇はないからです。
そして朝を迎えた時には、そんな悩みもすっかり忘れて、オンラインで授業をしていました笑。
人間、あまりにも時間があるとネガティブに考えてしまうもの。
そんな時こそ、忙しい毎日にするのです。
人生は走り続けること
さて、
- 自分のしてきたこと
- これから自分のすること
に対してこんなにネガティブになることは、実はあまりありません。
落ち込んだりもしますが、僕はたいてい「元気」だからです笑。
なぜこのような「落ち込む」現象が起こるかといえば、先述した通り「頑張っている」からこそなのです。
反射的に、
という潜在意識が、スッと出てきてしまうのでしょう。
人生は走り続けなければなりません。
誰もがわかっているから、時に休むことを欲するのです。
僕は明け方にそうして「落ち込み」はしましたが、次の朝からはフルスロットルで仕事に取り掛かりました。
と思ったから…
と言いたいところですが、実際は朝になってスコーンと忘れていただけでした笑。
人生はマラソンであり、僕はこの命が尽きるまで走り続けなければなりません。
生き方は人それぞれであり、
- ゆったりと生きていたい
- のんびりと過ごしていたい
という人もいることは、重々承知しています。
でも今の僕には、もう「それ」ができないのです。
今は毎日忙しくて、人と会ったり事業の準備をしたりしていて、めちゃくちゃ「生きている」のです。
これは2022年も一緒でした。
先生をやりながらも、日本全国を回ってはいろんな人に会いにいきましたからね。
その年ほど、
と感じたことはありませんでした。
今までどれだけ、漫然と過ごしていたのか。
その時感じた衝撃は、今でも忘れることができません。
人生は長く(短く)、時に落ち込むこともあります。
でもそれは、一過性のものにすぎなくて、ずっと悩んでいるのであればそれは「暇」な証拠です。
時間がないくらい、走り続けるのです。
息が切れるくらい、走り続けるのです。
悩むことは後退。だから前進しよう
先日も生徒さんと話している時に、
- 悩むこと
- 考えること
の違いを話しました。
具体的に解決に向かって策を練っていく過程は、「考えること」になります。
一方で、
- 終わってしまったこと
- これから始まる未来のこと
について、あれこれと想いを巡らせてしまうことを「悩む」と、ここでは定義します。
僕が明け方に「悩んで」しまったのは、典型的な例だったと思っています。
これが解決策です。
あるいはランニングかダンスでもして、我を忘れて運動するのもありでしょう。
サウナや美術館に行って「マインドフルネス」をしてきてもいいかもしれません。
要は、悩んでいる時間ほど「後退している」時間はないのです。
だから堀江貴文さんみたいに、考えて前進するのです。
悩んでいる時間が長ければ、それだけ人生をムダにしているということ。
「ネガティブに考えてしまうこと」を否定しているわけではありませんが、僕はもう、
と思うようにしました。
そんな「わからないこと」に対して “悩む” よりも、解決策を考えて動き出していくのです。
それが「走り続ける」ということであり、前進することなのです。
今までの僕は止まっては休憩して、グチを並べてはダラダラしていた人生でした。
ただただ「教員というレール」に乗っかっていただけであり、自分の人生について何も考えていないどころか、責任すら持っていませんでした。
主体的に生きた試しもありませんでした。
そして変わろうと思った2021年。
2022年に初めて、
と思ったほどでした。
それでも現在、こうして「虚無感」に襲われることがあります。
もちろんそんな風に考えたり、感じてしまったりすることはあってもいい。
ただ、それを一過性のものとするためには、また重い足を上げて走り出すのです。
また足が回り始めれば、どんどん自分の生活を肯定できるようになります。
いえ、肯定することを考える時間すらないくらいに、走り続けましょう。
悩むことは現状維持、つまり後退ですから。
僕らは生まれてから前進するか、止まるかしかできません。
もう後には戻れないし、先の未来なんて誰にもわからない。
ただただ走り続け、悩まずに策を考え続け、前進していくのです。
おわりに
時にふと来る、「俺何してるんだろう…」症候群笑。
人間、生きていれば悩めることなんていくらでも出てきます。
これだけポジティブな僕ですら、悩むことはあるのです。(マジで?)
それでも人生は待ったなしで、ただただ死に向かっていくだけ。
だったら悩んで後退するより、考えて進みましょう。
次にできることは何か。
悩んでいる暇なんてないくらい、走り続けていきましょう。
それではまた!
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