こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、ドラマ「不適切にもほどがある」を見ていましたところ、
という内容を目にして、
と感じました。
生きていれば人は間違えるもの。
そう思う今日この頃。
今日は「寛容ではない社会をやめること」について書いていきます。
そもそも他人の生活
コロナ禍の時の僕は、どうしても人の失敗が許せない人間となっていました。
「マスクを強要されること」が鬱陶しすぎて、
という気持ちが強かったからです。
あの時の日本は病んでいて、お互いがお互いを見張るような、そんな国になっていました。
とはいえそれ以前からも、誰か芸能人が不倫を起こせば、
と言っている「謎の人物」たちが登場していたものでした笑。
確かに芸能人は「清潔さ」や「イメージ」が売りですので、言いたいこともわからないでもありません。
ただ、当事者を起用できなくなるのは企業の問題であって、視聴者や一般の人には全くもって関係のないことです。
と失望するファンもいるかもしれませんが、それは勝手に自分が期待していただけです。
仮にもし、あなたが失敗した時に、
と急に言われたら、
となりますよね笑。
勝手に期待をかけられて、勝手に泣かれていては、もう狂気の沙汰としか思えません笑。
と言う人はいるでしょうか。
そんな人がいるはずはありませんよね。
僕もたくさん失敗してきました。
例えば男女関係となると、「いきなり怒る」人がいます。
一体誰なのでしょうか。
そもそもあなたの人生には関係のない話。
他人の人生に口出ししている暇があったら、自分の人生を豊かにする方法を考えましょう。
ただ、僕もコロナ禍の時に「スレて」いましたので、気持ちは少しわかります。
- 自分にストレスがかかっている時
- 何かがうまく行っていなくて落ち込んでいる時
は人を否定したくなるものです。
でも、他人を批判していても自分の人生は豊かになりません。
自分の人生に集中している人ほど、他人の批判なんてしていないのです。
人間なんだから失敗して当然
以前も何度か「失敗」を記事にしてきたように、失敗することは決して悪いことではありません。
- 不倫だの
- 脱税だの
なんだかよくわからないどうでもいいことで、日本人は騒ぎすぎなのです。
と僕が思っていたら、それもまた「彼らと同じこと」ですから笑、僕は騒いでいる人すら目に入りません。
でもたまにサウナでふと見るニュースは、
というものが多く、すぐに目を背けて自分の人生に集中するようにしています。
程度しか思っていませんが、なんだかターゲットにされている人が可哀想で。
まるで「社会的ないじめ」が日々行われているようで、胸が痛いです。(だから見ていない)
あれだけ子どもたちには、
と言っているくせに、こと大人となると総スカンです。
それで命を落とす人もいると言うのに、です。
大人たちのほうがよっぽど教育が必要ですよね。
人間は間違える生き物ですし、その程度は人によって、時代によって変わってきます。
昭和でよかったことも、令和では「コンプラ違反だなんだ」とすぐに取り締まられます笑。
不倫だって、正直「失敗」と捉えてもいいものなのかすら怪しいです。
と言いたいわけではありませんが、それは「当人たちの問題」です。
男女問題や育児、政治的なものには腹を立てる人ほど、SNSでの誹謗中傷はOKみたく言ってきます。
文化的背景やお国柄もあるのでしょうけれど、どれにおいても最終的には個人の主観で決まります。
結婚していても人を好きになってしまう人だっていますし、一夫多妻の国だってあります。(日本でも事実上一夫多妻で暮らしている家族がいます)
少しだけですが世界を回ってきた僕からすれば、
と思うのです。
昔から変わらない慣習など、柔軟性を失った人たちの凝り固まったものばかりがはびこっているからです。
間違ったっていい。
失敗を許せる社会になっていかないとですね。
常識にとらわれず寛容になろう
「不倫」が騒がれる国ニッポンではありますが笑、先述した通りそもそも「既存の規範」自体が怪しいものもたくさんあります。
法的にいろいろとあるのでしょうけれど(知らんけど)、
と思うこともたくさんあります。
「日本での常識」は「世界での非常識」です。
一方で、Xやインスタと言ったSNS上で意見を述べることも、主観的な発信です。
何を言ってもいいとは思いますが、ひろゆきさんが言うような、
と思うこともたくさんあります笑。
主観であるからこそ、他人を批判して傷つけるためにSNSを使うべきではありません。
- 自分の常識と
- 他人の常識は
全くもって異なるからです。
日本は同一民族の国ですので、ある程度 “常識” の足並みは揃っているかもしれませんが、出身の学校や都道府県が違うだけでも、考え方が全く違う人種になることがあります。
先ほどの「不倫」を1つとっても、男女で考え方が違うだけでなく、
- 男の間でも
- 女性の間でも
考え方が多岐に渡っています。
と思っているのは「あなた」の主観なだけであって笑、それは自分の身に降りかかってきた時に考えればいいことであり、他人がトラブっていたらのならば彼らに任せればいいのです。
世界を見渡してみれば、「自分の中にあった常識」がいかに狭い考え方だったのかがわかります。
日本国内であったとしても、いろんな人と話していれば感じることです。
「寛容さ」とは視野の広さにも関係があると思っています。
自分の常識の範囲内で生きている人は、他人が “常識はずれ” なことをしていることが許せません。
「視野の狭さゆえ」にそう思ってしまっているだけであり、世界はもっと広いのです。
だから常に怒っている人とは、自分の常識を押し付けようとしている人だということ。
もっともっと優しくなりましょう。
寛容になれたら、それはあなたの視野が広がって、自分の人生に集中し始めたということなのですから。
おわりに
いつの時代でも、
- 他人を批判したがる人
- それを煽るようなメディア
がいて、人々は面白いように煽動(せんどう)されています。
僕らはそうあってはいけません。
自分の人生を生き、人の失敗を認め、視野を広くして寛容になっていきましょう。
それではまた!
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