こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、友人たちといろいろとオンラインで話していたところ、
「弁当を作るか作らないか問題」
みたいな話題になりました。
議論するまでもなく、このご時世、
- 外食しようが
- ご飯を作ろうが
- 買ってきて済ませようが
個人の自由です笑。
逆に「こうすべきだ」と言う人は、叩かれる世の中となりましたね。
それくらい、いろんな人が自由に生きられる時代だということなのです。
今日はそんな「生き方の効率性」について考えていきます。
弁当を作るか作らないか
早速話題にあがりました「弁当」や「食事」の問題ですが、まず大前提として、
と言うことを、共通認識として持っておきましょう。
これは紛れもない事実であり、
- 長い時間をかけて作り
- 食べるのは一瞬で終わる
という現実がありますから、できれば料理はやらないほうがいいに決まっています。
例えば「洗濯の手洗い」はほとんどの人がやらないように、
「機械にやってもらったほうがいいもの」
なんてたくさんあります。
しかしなぜか、こと「ご飯を作ること」においては、いろんな賛否が飛んでくるので、僕は理解に苦しみます。
と。
時代は変わり、ホットクック(放っておいたら勝手に出来上がっている自炊の機械)など、「いかに料理に手間をかけないか」という議論も出てきました。
もちろん、
- お手製の料理のほうがコスパがいい
- 自分で栄養を考えながら作ることができる
といったメリットも考えられますが、一人暮らしの僕には逆にタイパが悪く、
と思っています。
栄養面に関しましても、外食のほうが圧倒的に栄養バランスがいいこともわかりました。
強いていうなら「コスパ」の面で、ご家族のいる方々は、一気に料理を作ってしまうほうがいいでしょう。
それぞれの事情に合わせて「作るか/作らないか」を決めればいいだけであり、別段これと言った決まりはありません。
その人にとって効率が悪ければやめたらいいですし、ご飯を作るのが好きなら作ったらいい。
最近では料理系の動画も流行ってますし、他の目的のため(仕事としてのSNS投稿/YouTube投稿)でも構いませんしね。
結局は「その人が作る意味があるかどうか」が大事であって、「作るべき」という考え方は存在しないのです。
効率的に生きることを目指せばいいのか?
僕のように「一人暮らし」をしている人間からすれば、
- ゴミは出るし
- 時間はかかるし
- 調理器具は邪魔だし
- 栄養バランスも微妙だし
と、自炊するメリットがほとんどありません。
決して料理をすることに反対しているわけではありませんが、今の僕にとってはほとんど不要とも言えます笑。
「効率性」を重視すれば、疑う余地のない結果と言ってもいいでしょう。
ただ、だからと言って今度は「自炊すること」を否定しても意味がありません。
大前提として、そもそもが「自由」なのですからね。
- 洗濯が
- 掃除が
- 皿洗いが
自動化されつつある時代ですが、料理を否定するように、「全てを効率化すればいい」ということもまた、間違った認識です。
これは以前に読んだ、「今日、誰のために生きる?」という書籍に書かれていたことでもありますが、
という言葉にも、直結することだからです。
リンク
ただし、だからと言って、
- 洗濯を手洗いをしたり
- 掃除機を使わずに箒で床を掃き始めたり
する人なんて(あまり)いないと思っていますし笑、料理につきましても、
- 外注がしやすくなる
- コスパやタイパの良い別の方法がある
という時代になってしまったら、もう自炊することや料理することは変な感覚になっていくことでしょう。
だから難しいのは、
- 時代は効率重視になっていくが
- なんでもかんでも効率を第一にすればいいわけではない
ということ。
その「手間」に良さがあったり、アナログだからこそいいこともあります。
例えば僕からすれば、家は手狭なので「お掃除ロボット」は不要です。
ささっとクイックルワイパーか何かで拭けば、コト足りるからです。
これはあまりいい例ではありませんが笑、要はそれぞれが目指すようにやったらいいということですね。
効率化を目指しすぎてしまうことで、逆に「それはやり過ぎなんじゃないの?」というようなことにもなりかねませんから。
「他人のやり方を否定すること」が目的ではありませんので、
- 効率的に生きながらも
- 自分なりの生き方を模索する
ことがいいことなのでしょうね。
僕たちはどう生きる?
さて、ここで大切なのは「自分はどう生きたいか」ですね。
僕が「料理は大切だ」と言い切る人に、なぜあえて反論をあげるのかと言えば、
と言いたいからです。
「自炊していること」や「家族のために料理をしていること」を否定されたかのように感じてしまい、思考停止状態になって、ただただ「料理は大切なんだ!」と言う人ですね笑。
- 自分の家庭ではなぜ料理をすることが必要なのか
- 料理をすることで栄養バランスはちゃんと取れているのか
など、根本的な疑問に返ることもなく、
と言いたいがために意見を主張していたら、それは何も考えていない証拠です。
だから僕はあえて、
と言っては、違う視点をぶつけます。
それぞれの家族構成やバックグラウンド、体の作りや目指している生活は微妙ながらも違うからです。
何度か記事にもしましたが、「君のためを思ってだなぁ…」と言っている人は大抵、
という主張を通したいだけです。
「その人がどう生きたいのか?」ということには目もくれず、「自分の意見が正しい」ということを証明したがります。
違うのです。
それぞれが考えて、その選択を行なっているかどうかが大事なのです。
例えば、どうしても「推し」のためにお金を使いたかったら、それはそれで素晴らしいことじゃないですか。
料理でも洗濯でも、キャンプでもサウナでも、
と思えるなら、やったらいいのです。
逆に否定されて怒ることもでもないですし、否定してくることもまたヘンな話です。
僕が否定するのは、「料理は体にいい」とか「手間ひまがいい」ということを信じきって、何も考えずにしゃべっている人ですね笑。
と。
- どう生きたいのか
- 自分はどうしたいのか
が一番に大切なことであって、その上での決断なのかどうかが大事だということだからです。
料理はあくまで1つのことであって、
と思う人もいるかもしれません。
でも人生は選択の連続であり、その「細かな選択」を適当にしている人は、全てにおいて同じような思考回路で動いていることでしょう。
だから「どう生きたいか」を明確にして、地に足つけて歩いていかなければならないのです。
おわりに
とは、よく言われることです。
みなさんは自分の人生をどう生きたいですか。
僕は「たかだか自炊」をやめただけでも、だいぶ気持ちよく生きることができるようになりました。
されど自炊。
毎日のルーティンも、意識を向けるだけで変わってきます。
小さなことにも「意味」を持たせていきましょう。
それではまた!
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