とにかくネガティブにならないことがいい理由【徹底的に前向きに】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人たちと「ポジティブ/ネガティブ」について話しました。

大前提として、ネガティブになることは悪いことではありませんし、

だからこそ人間が生きてこられた

と言っても過言ではありません。

いろんな可能性を考えるからこそ、それらへの対策も打てるわけですからね。

でも僕は、昔かなりネガティブだったこともあり、

今はネガティブになることは本当に意味がない

と思っています。

今日は「ネガティブを出さない理由」について書いていきます。

ネガティブを人前で出しても意味はない。何も得にならないのだ。

ネガティブ発言は評価を下げる

以前にも何度か、ネガティブに関する意見は書いてきました。

僕は「ネガティブ発言をする人」を嫌っているわけではありませんが、

一緒にいても全く楽しくない

と思うようになりました。

とはいえ、悩みについて考えたり、前向きに考えたりする時間とは「紙一重」ですから、

「ネガティブっぽい発言=キラい」

という単純な公式ではありません。

ここら辺は僕自身の肌感覚ですし、その時の状況やその人の人柄にもよります。

一応典型的な例をあげてみますと、

  • 会ったらいつも暗い顔をしている
  • 常にパートナーや職場のグチを言っている
  • とにかく自分にまつわることしか言っていない

と言った感じで、話していますと、

いいよそんな話。もう飽きたよ。聞きたくないわ!

と思ってしまいます笑。

先に言っておきますが、僕は「真剣な話」や「哲学的な話」も大好きです。

でもネガティブな発言とは、どうやらそれらとはちょっと毛色が違うのです。

聞いててこっちがどう反応したらいいかわからないですし、「そうだよねー!」と言ってグチを言いたいかと言われれば、そうでもありません。

だから僕は、まっぴらごめんですね。

もうこの人と会うのはやめにしよう

と思います笑。

結局その人って「自分の話を聞いてほしい」と言っているようなものでして、それにも「限度」はありますよね。

そういう発言ばかりしている人となんて、誰も一緒にいたいわけがありません。

この人は会えばいつも、しょうもないことしか発言していないなぁ

と、その人への評価はダダ下がりです笑。

ネガティブ発言をするな

とは言いません。

しかしそんなもの、空気感ですぐにわかります。

はいはい。そうやってネガティブな話をしたいのね

と、誰だって気づきます。

ネガティブ発言で得られることは一切なく、

  1. 非生産的で
  2. 信頼を失い
  3. 空気を悪くするだけで
  4. 一緒にいたいと思われなくなる

と、自爆するだけです。

人前で不愉快になるような発言は、何も生み出さないのです。

人前でネガティブ発言をしている人は豊かになれない。非生産的だから人が離れていくのだ。

ネガティブだったからこそわかること

かく言う僕も、コロナ禍くらいまでの人生は結構ネガティブでした笑。

たくさんテレビも見ていましたし、人の批判ばかりしていたものでした。

口を開けば職場のグチでしたし、何かぼんやりと “社会” に対して不満を持っていました。

だからこそわかることは、

ネガティブ発言なんて、しないに限る

ということでした。

何も生み出した試しがなかったからです。

僕だってこうしてブログで書いているように、

  • 学校の課題点
  • フリーランスのしんどさ
  • うまくいかなかった時の経験

などを書くことはあります。

ただし、記事の書き方や僕の人生に対する姿勢次第で、受け取り方は変わるのかなとは思っています。

ちゃんと、

  1. 学校も辞めましたし
  2. 個人事業主としても頑張っています

からね笑。(もっと頑張れ)

前向きに生きていれば、ちょっとしたネガティブ発言も、

だからこうこうこうしたい

と、「どうしたら解決できるだろうか?」という生産的な発言になります。

  • 解決策を探そうとしない
  • 変わらないものに対して文句を言う
  • 自分や環境を変えればいいのに変わろうとしない

こんな人から「成長しよう」「これからどうしていこうかな」という姿勢が、見られるはずがありませんよね。

だから僕は、そうした発言を意識的に控えるようになりました。

この「意識的に」という点がポイントです。

  • 嫌なニュースを見たり
  • 友達とお茶しながらグチったり

している人は、自然と考え方もネガティブになっていきます。

それをシャットアウトすることができなければ、

なるほど。自分からネガティブになりたいだけなのね

としか思われません笑。

僕がそうだったからわかるのです。

それはハマると抜け出せない「沼」のようなものですね。

まずはそこから出ること。

そしてポジティブな人と一緒にいようとすることです。

意識的な働きかけをしない限り、ネガティブな人は一生変われません。

ネガティブだった時は、そういう情報を取りに行っていた。意識的に変える必要があるのだ。

無理をしなくてもいいけれど…

私、ネガティブなんだよね…

という人を変えたいわけではありませんし、その按配なんて人それぞれです。

僕だって「こうなったらいいな」とグチのように取れる発言もしますし、世の中に対する不満も多少はあります笑。

でも「そんな気持ち」にいつも包まれているわけではありませんし、常にそれらをポジティブに考える(あるいは離れる)ようにはしています。

無理してポジティブになる必要はありませんが、

ネガティブであって何が悪いんだ!

と言っている人は注意したほうがいいです。

そうやってなんだかんだと言ってネガティブを肯定することで、

  • グチを言ったっていいじゃない!
  • 落ち込んだ空気を共有したっていいじゃない!

という姿勢がスタンダードになっているからです。

それは言い換えれば、

こんな私/僕を見てくれないのか?

と言っているようなものです。

こうした発言には、必ず「自分の意見を聞いてほしい」という背景があります。

吐き出すことは時に大切ですが、逆に「それを聞かされる側」に自分が立ったとしたら、どう感じるでしょうか。

この時間は一体なんなんだろう

と感じるか、一緒になってグチを言うかの2択くらいなものです。

どちらも生産的ではなく、本人はストレスを発散したように見えていながらも、心はもっと「ネガティブ」に染まっています。

自分で発した言葉は、自分自身を作っていくことになるからです。

僕は先生でしたので、生徒たちから「先生ちょっと悩みを聞いて!」と言われたことはたくさんありました。

でも教員時代の後半は、

だからどうしたいの?
それで自分はどう変わりたいの?

と、生徒に考えさせるように促しました。

「変わらないことへのグチは意味がない」とも、はっきりと言いました。

大人も一緒です。

  • それを言って何を変えることができるのか
  • 自分はどう変わりたいから悩みを共有しているのか

がなく、ただ闇雲にグチを言っている人はずっと変われません。

それでいいのかどうか。

それは自分が一番知っているんじゃないんですかね。

グチを言っている時の自分が一番、自分に現実を突きつけているのです。

だからやめた方がいいです。

ネガティブを肯定したところで、生まれるのは自分への言い訳

「グチを聞いてもらいたい」という人柄を、主張しているようなものですから。

無理してポジティブになることは難しいが、ネガティブを肯定するのはやめにしよう。それで変われることなんてないし、心はどんどんネガティブになるだけだ。

おわりに

徹底的にネガティブ発言を避けるようになった僕は、言い訳をしなくなりました。

グチを言ったり、友人たちとネガティブな発言をしている時は、

「何をやってもうまくいかない自分」

に対するぶつけどころがないだけだったからです。

それに気づけますと、

グチを言ってるくらいなら、行動するか

と思えるようになってきます。

それでもみなさんはネガティブでいたいですか。

僕は甚だ疑問ですね。

さぁ、変わっていきましょう。

それではまた!

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