こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、こんな動画を見ました。
僕は新聞なんて読んだこともありませんし、読もうと思っていたこともありましたが、
と思ってやめました。
この動画では、議論がなかなか進まなかったのですが、内容としては面白かったので共有しようと思いました。
今日は「デジタル機器について/学力の低下など」について書いていきます。
いつまでも石器時代にいるわけではない
当然のことながら、僕らはデジタル機器を駆使して生きています。
アナログの良さもわかっているつもりですし、僕みたいなミニマリストからすれば、あまりにも機器が多すぎても「邪魔なだけ」です。
子どもたちもどんどんデジタルの世界に入ってきており、むしろデジタル機器(=スマホやパソコン、AirPodsなど)を使わない人はいないくらいのレベルになりました。
もちろん、
- 本当のミニマリスト
- 自給自足の生活をしている人
は要らないかもしれませんが、僕のように、
- 遠くの人にサービスを届けたり
- いろんな友人たちと毎朝zoomでわちゃわちゃやったり
したいのであれば、こうしたツールは必須となります。
多くの人が、
- 洗濯機
- 掃除機
- エアコン
などの家電を使うように、機械にとって代わられた「手作業」はたくさんあります。
それは携帯も一緒ですから、
と言っている人は、ちょっと時代錯誤しているのではないかと思っています笑。
僕も本は紙で読む派ですが、だからと言って、
と言われたら、そんなことはありません。
「eBook」を読んでも別に何の問題もないからです。
結局、偏りすぎてはいけないということ。
文明は発達し、生活環境はいろいろと変わっているのに、なぜかことスマホとなると、
と言われます笑。
個人的に申し上げますと、そんなものその人の姿勢次第だと思うのです。
と言ってみたいですね笑。
1つのことだけ取り上げて、それを一般化することは良くないかなと。
僕らの文明は進み、どんどん便利な方へと向かっています。
と。
アナログの部分で大事なこともありますが、うまく折り合いをつけながら、否定せずに過ごしていけばいいのです。
アナログだろうが書いているのは人
さて、新聞の話に戻りますが、僕は別に新聞を否定しているわけではありません。
ただ、誤解を恐れずに申し上げますと笑、
- 再生紙だろうと紙のムダ
- 別にデジタルでも読むことができる
- 結局書いているのは人なので思想が介入している
など、ボロクソに言うことができます。(ごめんなさい笑)
要は「アナログにこだわる必要性」があまりない部分なのかなと。
いわゆる「洗濯の手洗い」なんかもそうですが、
ということが起きます。
機械なら熱湯で洗えますし時間も節約できますから、「手洗いをする人」なんて今ではもういません。
ちなみに僕がいた教育現場につきましても「紙」の文化でしたから、いつまで経っても文書を印刷させたりします笑。
と、今でも笑ってしまいます。
新しいものを受け入れるのには、時間を要するわけですね。
TSUTAYAはいい例ですが、
- Netflix
- Amazonプライム
といったサブスクが現れてしまったおかげで、ほとんど実店舗が潰れていってしまいました。
なぜなら、CDやDVDを借りたり返したりするのが面倒になってしまったために、需要がなくなってしまったからです。
新聞についてもその点は一緒かなと。
また新聞の「内容」に関しましても、
と言える人はいないでしょう。
僕も疑っている部分が多いですしね笑。
僕が書いているこの文章も「素人」が書いていることではありますが、新聞を書いている方々は玄人だとしても同じ「人間」です。
そこに思想は介入するでしょうし、意見が偏ることもあります。
以前は新聞やニュースくらいでしか情報を得ることができませんでしたが、今はスマホ(つまりはネット)でサラッと情報を入手することができます。
それなら、
- 利便性が高く
- 多くの情報を比較し
- 信頼できる個人が発している情報
を取りに行くほうが、利点が多いのではないでしょうか。
一番よろしくないのは、「自分のやりやすいやり方」に固執して新しい考え方やあり方を否定すること。
時代は目まぐるしく進んでいるのです。
学力との因果関係はない
この動画でもなぜか、
だなんて、根拠のないデータが出てきます笑。
僕は確かに学生時代、紙で勉強しましたし、今でも単語帳など使っていますが「英単語を書いて覚えたこと」なんて一度もありません。
なんてコメントまで見受けられましたが笑、ぶっちゃけそんなの「個人の能力による」としか思えません。
- 書いて覚えるのが得意な人
- 見て読んで覚えるのが得意な人
もいます。
僕は断然「書きません」し、その時間がもったいないので、書いて覚えたことはありません。
こうしてブログもタイピングしていますが、キーボードを使って書いたこともほとんど覚えています。
能力に限らず、要はその人の「姿勢」にも意味があるんじゃないかなと思っています。
覚えようと思っていれば覚えますから、「書く/書かない」は関係ないのかなと。(あくまでその人に合うかどうか)
- アナログでやった
- 一所懸命書いて覚えた
ということを、わざわざ「振りかざす必要」なんてないのです。
と思われるのが関の山ですからね。
まるで「書いたほうが覚えるもの」とでも言うかのように、学力との相関関係を持ってきていますが、別に「デジタルでの教育」が学力低下を招いているとは言い切れないのは、誰が見ても明らかです。
教育とは、そんなに単純なものないから。
学力低下にはいろんな要因があります。
逆にデジタル機器を使うことで、
- 調べる手間が省ける
- 図解や動画で理解が深まる
- もっと深いところまで探究できる
など、あげればいいことだってたくさんあります。
僕はいろんな意見があっていいと思っていますが、「短絡的な発想」には反吐(へど)が出ます。
と。
いろんなことを加味した上でしゃべっているとも思えませんしね。
確かに「どっちつかずの表現をすればいい」ということでもありませんが、あまりにも行きすぎている表現や、
と思えることには、積極的に突っ込まさせていただきます。
自分の意見を何とか通そうと思って、無理やり理由をこじつけるのは反則です。(というより全然論理立てられていない)
デジタル時代にはデジタルの良さもあると理解しておくべきです。
おわりに
新聞というアナログの良さもありますが、
- そもそも紙であること
- 書いている人への信頼
などを考えると、僕的には淘汰されていくのではないかと思っています。
新聞なりに頑張ることは殊勝なことですが、それでデジタルを否定することはお門違い。
何のおかげで自分の生活が成り立っているかについてもよく考えた上で、新聞やデジタルの是非、利点などを考えていきましょう。
それではまた!
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