「〜たら、〜れば」で話せるととても楽しい【仮定して話すこと】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

節制を始め、ゆったりとした生活をしていますと、友人や生徒さんたちとの会話もまた楽しく感じる毎日です。

特に会話をしている時に大事だなと思うことは、

「〜たら、〜れば」の話ができるかどうか

だと思っています。

これはよくネガティブに捉えられることがありますが、僕の言うところの「仮定の話」というのは、

こうだったらどうする?

という未来志向の話であって、過去志向の、

〜だったらよかったのになぁ!

ではありません。

今日は「仮定の話」をする楽しさをお伝えしていきます。

友人たちと「〜たら、〜れば」の話をしてみよう。それができて始めて会話を楽しむことができる。

「だったらよかったのに」は不毛

僕は数年前から、「ネガティブな話をする人」とは会わなくなりました。

その時間が不毛であり、イライラするだけだからです笑。

人生には変えられないものがありますよね。

  1. 過去
  2. 他人

です。

僕も、

以前もっと投資していれば…
あの時もっと性格が良ければ…
世界一周の前に言語をもっと学んでおけば…

と思ってはグチを吐いていたものです。

これからの自分自身を変えることはできても、今までの自分を嘆き悲しんだところで何も生まれません。

「過去を書き換えること」は、できないからですね。

僕はこの発想があるからこそ、毎日を必死に生きているのだと思います。

「後悔をする =毎日を必死に生きていなかった

ということと同値だからですね。

僕がこうしてブログを書いて節制生活をリスタートしたり、新たなことに挑戦するようにしたりしているのは、何より「未来」を見ていたいからです。

今までのことは過去の集積となりますから、

今日は何ができるだろう?

と、常に考えておくことですね。

過去の話ばかりをする人たちを見ますと、

それだけ自分は何もしてこなかったってこと?

と思ってしまうのです。

僕は自身の過去の失敗も生徒さんたちとシェアしますが、自分からその理由をクドクド言ったり、

マジであの時は最悪だったよ。しんどかったわぁ

なんてグチを吐いたりはしません。

それがムダな時間だとわかっているからですね。

過去について考えてしまうことは意味のないこと。

それを糧にすることはいいですし、客観的なシェアならいいですけどね。

でも人と話す時には、できるだけ避けたい話題ですね。

過去のことについてとやかく言っても現実は変わらない。人と話す時にはそんな話題が出ていないか気をつけてみよう。

未来についての話をしよう

過去の話はやめて、未来の話をすること。

未来の話はいつでも楽しいですね。

もちろん、生徒さんたちにも、

今日は何をしたんですか?先週末はどこか行ったんですか?

と聞くことはあります。(英語の勉強にもなるので笑)

「あれがイヤだった」とか「本当にもう最悪だった」っていう、なんとか自分が変えられたはずのことについて言う人は、ちょっと無理ですね。

だって、

じゃあやらなければよかったじゃん

という意見しか出てこないからです笑。

もっとなんかこう、楽しい話をしよう!

って。

グチを聞くのも先生の役割ですが、

  1. ずっとグチを吐かせること
  2. それを当たり前にさせてしまうこと
  3. こちらが毎回「聞く側」に回って自分が擦り減ること

は先生である前に、人として絶対に避けるべきことなのです。

だから、「仮定の話」をするときのほうがもっと楽しいのです。

この場合だったらどうします?

とね。

未来の話」とも言えますかね。

「この手の話ができない人」は、

想像力が足りないのかな

と思っています。

私はこう思う。だからあなたの意見は聞かない。私の意見が正義

という人は、たぶん「仮定の話」ができないのかなと。

そういう人は、すごく損をすると思います。

コミュニケーションで楽しいこととは、

こういうこともありますよね

という、柔軟性発展性があることだと思っています。

そうでなければ話ができない(≒ 始まらない)からです。

「話ができない人」とは、当然のことながら一緒にいたいとは思いませんよね。

すると人は離れていきます。

僕は幸運にもそんな生徒さんにあったことはないですが、「頭の硬い人」は教員時代にとても多くいました。

こうだからこう!

の一点張りで、何も変えようとしない人たち。

もっと…もっと未来の話をしましょうよ

と、何度思ったことか。

  1. 考えることをやめてしまったら
  2. 「それはそれ」と決めつけてしまったら

もう議論は終わるのです。

それでは、話していても何も楽しくないですし、生産的じゃないんですよね。

人と話すなら変えられたはずの過去の話よりも、これからをどう生きたいか、今何をしているかを語り合おう。

そうだったらいいのにな

僕はいろんなことをやっていますが(ざっくり笑)、未来のことなんてわかりませんし、何に需要があるかなんていうこともわかっていません。

ただこれに関しては、

始めてみないとわからない

この一択だと思っています。

だから、

こうしてみたらどう?
今はこんなことに取り組んでいる

という話をすることは、とても楽しいのです。

特に友人たちが、

  • 成果が出たこと
  • 取り組んでいること
  • 改めて始めていること

を聞くことが自分ごとのように嬉しいですね。

とにかく現代って、何が起こるかわからない

そんな時代ですからね。

そんな中で、新たに挑戦していく姿は見ていて気持ちがいいですし、特に若者たちの頑張りに関して言えば、めちゃくちゃ応援したくなりますね。

余談になりますが、僕が若かった頃は「応援してくれる大人」はあまり多くいなかった印象です。

もちろん、僕が目指したような大人もいましたし、尊敬できる人たちもいました。

でもそれがあまり多くなかったのは、

  • 年功序列・終身雇用
  • 変わらないことが正義

という考え方が、流布(るふ)していた時代だったからなのだと思います。

だからちょっと激しい意見や、無謀だと思われる「夢」に、過度に反応(ネガティブに)していた人が多かったのだと思っています。

今は僕の世代を始めとして、より若い世代に多様性が生まれてきていて(「なんでもあり!」みたいなところがあってある意味怖いことでもあるのですが笑)、以前より柔軟性が育まれているような、そんな気もします。(あくまで個人的感想)

でもどんな世代の人とでも、「これからの話」に花を咲かせることのできる人とは、一緒に話していてとても楽しいですね。

そしてそれを糧に、僕自身も行動して変わっていくこと。

常に考えることをやめずに、前に進んでいきたいですね。

「こうだったらいいよね」と、未来について話ができる人と話をしていこう。みんなで未来を形作っていこう。

おわりに

いろんな世代の人と、壁もなく話せる今の立場は、とても楽しいですし自由です。

僕からシャットアウトすることもできますしね。

これは決して悪いことではありません。

ただ、僕が自己中心的で、

俺と意見の合わないやつとは話したくねぇ!シャットアウトする!

ではダメですよね笑。

お互いに尊重し合いながら、

こうだったらどうするかね?こうしたら楽しいかね?

という「未来の話」をしていきましょう。

それではまた!

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