僕がやってきたことは大体合っていたのか?【裁量権と気ままさの話】

読書

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日から『低コスト生活』を読み始めました。

これは、

  • 支出を決め打ちしたり
  • 要らないものを削ったり

といった「シンプルな生活」に関する書籍で、

果たして僕がやっている生活とはいかがなものだろうか?

と、先日読んでいた『ゆるストイック』で人生の答え合わせをしていたように笑、改めて自分の生活を見直すきっかけにしてみました。

今日は「自分の生活は完成されているのか?」について書いていきます。

僕の生活はある程度完成されていた。さらに洗練しながら、生きていこう。

ある程度完成していた生活

無理をせずに生きていくこと。

これはみなさんが持っている「テーマ」でもあるかと思います。

僕は教員だった公務員の後半(コロナ禍の2021年〜2023年)は、かなり幸せに過ごしていました。

  • あり余る貯金
  • 満足のいく生活
  • 出ていかない支出

など、申し分のない生活を送れていたからです。

それから教員を退職し、個人事業主として働き始めました。

金銭的に大変なことがあるとはいえ、

それでも「稼いだ額=全額出費」とはならないものだなぁ

という状況です。

確かに、教員時代に比べますと、今年の2025年は旅行も少なくなった年でした。

節制もするようになりましたし、出費も計算しつつ、ちょいちょい投資もしているといったところ。

本書に書かれていることは(わかっていたことではありましたが笑)、僕がここ数年をかけて “完成” させてきた生活とほとんど一致していました。

やり方はとてもシンプルで、

  • お金をかけなくてもいい方法
  • 自分の満足のいく生き方(浪費)

などを考えるものでした。

僕の生活はいわゆる「最低限度の生活」をしており、お金を稼いでいるのはライスワークとしてでもありますが、たまに友人と会うための旅費や交際費のためでもあります。

なるほど。やはり僕の生活は最適化されていたのか

そう思いましたね。

それでも毎日、

うーん、これはさすがに贅沢すぎるかな

と我慢する日もあるのですから、さらにケチ…

いえ、「倹約家」なのでしょうね笑。

これからさらに削っても、別に僕の幸福度はそこまで下がることはありませんし、逆に豪遊したとしても、あまり幸福度が上がるとも思えません。

足るを知り、毎日を清貧に生きていますと、こうした境地にたどり着けるのかもしれませんね。

僕の生活はもうシンプル過ぎていた。これ以上、支出を切り詰める必要性はなさそうだ。

空き時間に本を読み始める

オンライン授業の講師をしていますと、待ち時間も生まれます。

最近は読みたかった本を一気に読んでいるからか、

YouTube見るくらいなら読書するか

と、空いている時間に読書をする徹底ぶりです笑。

僕が思い描いていた「シンプルな暮らし」とは、

  • すごい安い家に住んで
  • 最低限のご飯とか食べられて
  • 楽しく自分の好きなことをして過ごす

だったと思うんですよね。

まるで『年収90万円で東京ハッピーライフ』みたいな。

本日はしとしとと小雨も降っていますので、そんな中自宅でオンライン授業をして、待っている間は静かに読書。

なんだか理想の暮らしじゃないか?!

と、涙を若干目に浮かべながらも笑、生徒さんといろんなことについて英語で話していました。

読書はあくまで一例ですが、こうした「余白のある生活」はインプットの時間をもたらしてくれます。

いやいや笑。せいじは毎日仕事してるじゃない笑

と言われてしまうことは確かにありますし、ほとんど遠出もしないので、

また改めて仙人になってしまったのか?!

と思ってはいます笑。

毎日誰かのために英語を教えたり、友人と会ったり、あるいは空き時間で言語や政治、歴史などについて学んでいますと、なんとなくですが「聖人」に向かっているような気がするんですよね。

一切のムダを省け!

とは言いませんが、自分なりに考えて突き詰めてゆくことで、「余裕」を生み出すことができるのは事実です。

授業の合間の時間だったり、ちょっとシャワーを浴びた後だったり。

そんな時を見つけては、

  • 読書したり
  • 筋トレしたり
  • YouTubeで学んだり

することは可能です。

教員を辞める直前も、いい意味でかなり「最適化」したことで、余った時間をいろんなことに費やすことができました。

だからシンプルさを求めていくことは、決して悪いことではありませんし、その過程で気づけることは多々あります。

個人事業主2年目ということで、改めてまた洗練していこうと思っています。(マジかよ)

授業の空き時間で読書をするような余裕も出てきた。しかしこれは、考え方を変えたことから生まれたものだったのだ。

気ままに生きる生活?

僕が思い描いていた「気ままに生きる」とは、決してダラダラと自由に生きることではありませんでした。

え?豪華なホテルは?
え?高級なご飯を食べるとかは?

と、みなさんの求めている「贅沢」とはそういったものでしょうか。

僕はこうして「裁量権があること」が、何よりの贅沢だと思っており、そのような「豪遊」には興味がありません。

僕はFIRE(サイドFIREすら)していませんが、それでも本書のように、

  1. きちんと支出を管理し
  2. ある程度は投資に回すようにし
  3. 自分の最低限の幸せを確保した生活を望んで

いれば、冗談ではなく半分FIREしたようなものです。

ずっと「支出 < 収入」という状況が続くわけですからね。

  • 以前の教員時代も
  • 現在の個人事業主でも

僕が「なんとなくFIREみたいな生活だ」と冗談でも言うのは、生きがいになることを毎日やっていて、ほぼストレスなく生きられているからなのだと思っています。

確かに、たまにはどこかのホテルに泊まってゴージャスな一夜を過ごしてみたいこともあります。

しかし、それを毎日のように繰り返したいかといえばそうでもありませんし、こうしてたまに図書館やレストラン、カフェに行ってはゆったりとカタカタ作業することが、僕にとっては「至高の時間」なのですね。

本気の本気で、毎日をゴージャスに生きたい人は必死で働いたらいいのでしょうけれど、個人的にはどこかで「飽き」がくると思っていますし、水準が高ければ高いほどいずれはしんどくなります。

「足るを知らない人」の典型例であり、

もっと上を!

と求めると、いずれは自分の欲に追いつかなくなってしまいます。

僕は気ままに生きていますが、その中にはいい意味での「節制」も含まれており、デタラメな自由の上に今の生活があるわけではないのです。

ある程度、程よい「我慢」や「一瞬の立ち止まり/ためらい」などもありまして、

ここは少し控えておこう
本当に今の自分に必要だろうか?

と考えることもあります。

最近では食費や生活必需品(トイレットペーパーや洗剤系など)以外に、普段生活でお金を使うことがほぼありませんしね。(サウナくらいでしょうか)

自由気ままにできるのは、自分なりの節制とルールがあるからこそ。

それを忘れないことですね。

気ままに生きるとは決して、一所懸命生きずにダラダラと過ごすことを意味するわけではない。僕らは清貧に節制を重ね、理想の生活を目指すのだ。

おわりに

たくさん読書をした2021年からの積み上げと実践があったため、改めて「生活で見直すこと」はそこまでありませんでした。

ただ、生活を見直すいい機会ですし、これからもしっかりと勉強を続けていこうと思っています。

もしかしたらもっと削るかもしれません笑。

それではまた!

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