こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近もまた、チャーリー・カーク氏の討論動画などを見ています。
オンラインで生徒さんたち(大人たち)と話していますと、たまに、
と言ってくることがあります。
別に僕は「〇〇政党を支持している」と表明しているわけでもありませんし、どこかの党員でもありません。
ただ、日本を守ってくれるような人たちを心から尊敬しています。
だから、僕を正そうとしてくる意見に対しても、
とも思うんですよね。
そこには先入観と言いますか、どうも最初から敵対視(?)しているような側面があることは否めません。
今日は偏見や議論について、再び書いていこうと思います。
「嫌い」からスタートしてないか?

僕自身も、誰かを説得したくて自分の意見を発しているわけではありません。(強制していませんよね)
最終的に自分の信念は、自分で決めることです。
しかしそれは、僕にだって与えられた権利でもあります。
いやいや笑。
それって、他の誰にも言ってはいけないことだと思うんですよね。
例えそうだったとしても、僕は別に自分と異なる考え方を持っている人を、
- バカにしたり
- 考えを改めさせるようにしたり
はしていません。
世の中に正解などありませんし、それぞれが支持するところを頑張って応援すればいいのです。
このように、
- 考え方の相違があったり
- 生理的に拒否反応があったり
して “嫌い” になることはあるかと思います。
人間ですからね。
でもだからと言って、それが「相手を攻撃していい」という理由にはなりません。
支持されなければ(ファンがいなければ)、自然消滅していくだけですから、それでいいじゃないですか。
僕も、
と仮に騙されている人を見ましたら、ある程度は注意をしますし、
とも言います。
ただ、それはあくまで僕の一意見を提供しているだけであって、別に相手をそこから引き剥がそうとは思っていません。
と、その程度です。
叩く理由もないですし(悪い点については批判しますが)、本人が「いい!」と思っているのであれば、そうすればいいのです。
僕がその人を救う義務もないですし、逆に僕が何かを狂信しているとしても(それはないと信じたいが笑)、それはそれで僕の勝手でもあります。
そうやって「嫌い」からスタートしている人ほど、自分にコンプレックスがあるため、
と思ってしまうんですよね。
相手に攻撃をしてくる人は信じない

さて、そうやって「攻撃してくる人」とは、基本的に僕は距離を置くようにしています。
こうした類(たぐい)の人は「どんなにいい政党」にもいるものでして、いわゆる「過激派」ですね。
- 他党を貶める
- 他人を誹謗中傷する
そんな人たち。
これは僕のこのブログでも散々書いてきたことですが、そうやってネガティブなことばかり言っている人からは、離れたほうがいいです。
例え自分の好きなグループや、政党だとしてもです。
みなさんだって、仲のいいグループ内にそういう人がいたら、その人からはスッと離れますよね。
例えば「好きなアーティストを応援しよう!」と思って行ったライブで、競っている別のアーティストをディスっている人がいたら、
と思いますよね。
僕が応援している複数の政党内にも、残念ながらそういう人は一定数います。
しかし、その政党や好きな人の考え方、コミュニティから離れるかどうかは、最終的に僕が決めればいいことであり、みなさんだってそのアーティストのことが嫌いになるわけではないですよね。(ネガティブな個人からは離れたほうがいい)
僕は僕の信じるものを貫いていけばいいですし、盲信することなくいろんな情報から判断すればいいだけです。
- 相手を丸め込もうとしたり
- ただただ他人の批判ばかりしていたり
- 自分の考えは正しいのだと主張し続けたり
している人を見ていても、僕からすればイタいだけです。
「紹介/アドバイス」くらいはいいと思います。
という発想からスタートして他人批判をする人は、僕は基本的に信じていませんね。
柔軟に考えて受け入れる

いろんな考え方があっていいと思いますし、僕が、
と思ったり批判したりしてもいいわけです。(それを認めてもらえなければフェアじゃありません)
ただ、
- 自分の考えは合っている
- あの人は信じられないから全部ダメ
- とにかく誹謗中傷をして貶めようとする
といって意見を押し付けている人というのは、「思考停止」している人だと思っています。
ここで大切なことは、これらの「思考停止状態の物言い」とは、「批判」とは全く違うということ。
そうやって問題提起をすること自体は、議論を活発にするため、見ていて(受けていて)楽しいです。
しかし対話をしようともせず、自分の主観から「誰々がキラいでさ〜」と延々と言い続けていましたら、聞いてるほうも、
と思い、離れていってしまいますよね。
僕も「〇〇は受けれない」と思ったり、口に出したりすることはありますが、それ以上その人を叩いたりはしませんし、考え方や行動に対して「あれはいただけない」と “批判” する程度です。
“意見を受け入れた上で”、指摘しているかどうか。
ここが重要ですね。
最近僕は、
と思ってしまうのです。
と。
- 人の意見を聞かず
- 自分の意見を一方的に押し付けている
人とは、柔軟性に欠けていて自分で考えようとしていません。
僕も「揺るぎない信念」みたいなものはありますが、相手のどの部分と相違点があるのかを明確にした上で「違う」「自分には合わない」と結論を出すようにしています。
最近では、国内外の対談動画を見ては、
という点を見るようにしています。
感情的になって相手のことを蹴落とそうとするのに必死な人とは、大抵は論理破綻していることがほとんどです。
世界は広いからこそ、いろんな意見を聞いて受け入れること。
かといって押し付けることもなく、自分で考えて「正しいな」と思ったことを信じてみる。
少し疑いながらも、いろんな情報を取捨選択して信念の礎(いしずえ)にしてゆくこと。
この点は自戒の念を込めて、これからもリサーチしていこうと思っています。
おわりに
他人の批判とは、実は僕が10代〜20代の時にめちゃくちゃやっていたことでした笑。
いやぁ、今となっては仏になったものです。
自分と意見の合わない人と長く対話してもいいのですが、やはり時間も消費されますし、人によっては、
と思っている人もいますから、時間のムダになってしまいます。
お互い、それぞれの意見をぶつけ合ったらそれでいいのではないでしょうか。
もっと柔軟になれるよう、たくさんのデータを調べて、自分なりの論理を構築していこうと思っています。
それではまた!

