こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
毎日語学の勉強をしていたり、作業をしていたりしますと、
と言われます。
結論から言えば、

という答えを持っています。
もちろん、そういう “結果” になってもいいでしょう。
しかしそれはあくまで結果論であり、僕らは目標を持っていても、
ということはありません。
勉強とは、一生するものです。
今日は「勉強や仕事」について書いていきます。
勉強を続ける意味
僕が小学生だった頃、とにかく勉強するのが好きでした。
理由はわかりませんが、ただただ、

というイメージを持っていたからでした。(なんじゃそりゃ笑)
英語は中学生から始めましたが、それでも結果的にしゃべるようになることができて、今となっては英語を教えるまでにいたるのですから、人生とはわからないものです。
面白い話、実は僕は「勉強を中学生で終わりにすること」を誓っていました。

と笑。
社会人(先生)になった時も、同じような感覚を持ち合わせており、

とすら思っていました笑。
しかし高校ではさらに勉強を深め、社会人になってからも英検を受けたり英語の記事を読んだりするなど、意外にも勉強を続けていたのです。(世界一周もしましたしね)
今となっては朝活も始めてしまったものですから、毎朝「違う表現」を持って来なければならず、しかもオンラインの授業では「一級レベルかネイティブの演説レベルの表現を知りたい」とまで言われ、さらに磨きをかけている始末です笑。
僕は悟りました。

と。
おかげさまで歴史や政治にも興味を持ち、世界で何が起こっていて、誰が各国を壊そうとしているのかもだいぶわかってきました。
有識者たちはXやYouTubeでも十二分に発信をしており、それらを幅広く見ることで世界を見渡すこともできるようになりました。(マスメディアは見なくなりました)
もちろん、いつでも自分が正しいとは限りません。
だからこそ勉強しているのです。
ある程度僕なりの意見も発信しますが、もう一度自分なりに調べて、「自分なりの意見」を再度作るようにしています。(何度も調べるのが大事です)
勉強とは一生やるもの。
そういうものなのですね。
仕事を続ける意味
一方、仕事のほうはどうでしょうか。
こう思っている人はいるでしょうし、僕も実際「その形」を目指して仕事を変えてみました。
確かに、経済的に自立をしてしまえば、
- 働くか
- 働かないか
を選択することができます。
以前の僕が資産1,000万円を目指していたように、「お金(=数字)」という目標を掲げることもできますが、一体それがなんのためなのかが決まっていなければ貯めている意味がありません。
また、先日は生徒さんで「FIREした方」に出会いましたが、
と言っており、また新しいことを始めたいと言っていました。
僕はもう結論が出ているように、

と思っています。
不当に取られている税金は是正されるべきですが、「誰かのために働くこと」はとても嬉しいことであり、そのお金を少し使ってはたまに外食したり旅行したり、あるいはサウナに行ったりするのもいいものです。
勉強と同じように、「目標を立てること」はとてもいいことだと思います。
ただそこが終わりなのではなくて、もっと深い意味で「どうしたいのか?」を考えておくべきですね。
この前も記事にしたように、
と自分に問いかけてみること。
今まさにお金を持っていれば、多少なりとも生活のグレードが上がるかもしれませんが、僕は豪遊したり浪費したりはしないと思います。
いえ、したことがないので妄想のレベルですが笑、

と思っているからです。
きれいごとではなくて「自分が何をしたら幸せに感じるのか」を、常日頃から見極めておくことですね。
目標があってもいいけれど…
- 勉強
- 仕事
と書いてきましたが、どちらもまずは目標を立て、それに向かっていくことが良いことだと言われています。
一方で、それと同時に僕が気づいたこととは、

ということでした。
たぶん、自分が求めている「目標」を達成することは、誰しもが経験することではありますが、
と考えてみれば、意外にも答えは「NO」なのではないのかなと感じています。
何かを求めている人とは、実はそこには際限のない戦いがあって、
という気持ちを持っている人が、大半なのではないのかなということ。
またこの世界を生きていますと、どうしても目指していくものが変わってきたりもします。
「足るを知る」ことで見えてきた世界もあり、
という問いには、それぞれがそれぞれの答えを持っているのだということもわかりました。
目標を立てること。
それに向かうことはとても大事なことです。
ただし「それを達成したら終わり」ということはほとんどなくて、一生涯走り続けるものなのではないのかなとも思っています。
言語学習においても、僕は各言語の学習を始めたばかりです。(2025年10月で約1年ほど)
当然、その言語を使ってコミュニケーションができるようになることが、一つの目標ではあります。
しかし、そこに “終わり” とはあるのでしょうか。
20年やっている英語ですら、まだまだやるべきことがあるのに、

ということにはならないのではないのかなと。
ずっと勉強し続けてゆくことが基本なのではないのかなと。
もちろん、どこかで「飽き」や「方向転換する時期」がやって来るかもしれません。
それでも、スタンスとしては「ほぼ一生をかけて勉強してゆくもの」であるべきなのだと感じています。
だからこそ、目標は目標として持っておきますが、あくまで道標(みちしるべ)みたいなものであって、ゴールラインではありません。
その認識のもとに、どの作業も進めていきたいですね。
おわりに
勉強をしていますと、

と感じ、仕事をしていますと、

と思うようになります。
確かに若かった頃は、

と思っていましたが、学びも仕事も、どうやら一生続くようです笑。
まだまだ頑張らなければ、ですね。
それではまた!