徹底的に基本から教えることができるか【先生として教える幸せ】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、授業をしていますと、高齢の方が入ってきました。

人としゃべる機会があまりなくて…

と、英語はbe動詞から始めることに。

よく勘違いされますが、僕はめちゃくちゃ基本から教えることのほうがほとんどです。

上級レベルの方も教えることはありますが、当然「自分の教えたいレベル」の人たちだけが授業にくるわけではありません。

その中で、いかに教えられるか

これが大事ですよね。

今日は、どんな相手にも丁寧に教えることの大事さをお伝えしていきます。

初心者だろうが徹底的に教える。これが先生の仕事だ。

自分の背景から

僕が英語をしゃべれなかった大学生の頃は、英語集中演習というゼミに参加しました。

一週間、山中湖畔の宿舎に大学生たちだけで泊まり、様々なアクティビティを通して「英語だけでしゃべる」という、青春を絵に描いたようなイベントでした。

とても楽しかったですし、ツラかった経験もありました。

特に最初の方は、「自分が英語をしゃべれない」という事実となかなか向き合うことができず、自己嫌悪に陥っては八方塞がりとなってしまっていました。

こうした「初心者」の経験があることから、英語初心者の気持ちはよくわかります。

  • 帰国子女
  • ネイティブ
  • バイリンガル

の人たちにはわからないであろう「ツラさ」が、日本の学習者さんたちにはあります。

そこに寄り添ってあげられるのは、そういった経験があるからこそ。

一方で、上のような人たちには、その人たちにしかできない仕事があります。

僕は日本の方々のために、

どうやって勉強したらいいか
どこでつまずいて、どこが壁となるのか

をお伝えすることができます。

それぞれの背景とは、“違うからこそ” 生きるもの。

僕には僕にしかできない、「できること」があります。

自分の経験が生きるのが、こうした「初心者に教えること」だと思っていますね。

自分の背景がどうであれ、それがフィットすることもある。自分に合った「できること」をしていこう。

いつ始めたっていい

年齢を重ねてから始めますと、

自分には遅すぎるんじゃないか?

と思われる人が大勢います。

待ってくださいよ笑。

僕なんて、5言語の学習を始めたのは30代後半ですよ。

世界一周をしたのは30代になってからです。

「始める早さ」の勝負になってしまったら、誰だって「遅すぎた」と言うに決まっています。

早いほうがいいのですから、今始めればそれでいいのです。

始めるのに、遅すぎるということはないということ。

先日、僕は新たに市民体育館のトレーニングルームの講座を受けたくらいですから、まだまだ探究心は消えていませんしね。

よく年齢を言い訳にされる方もいらっしゃいます。

それでも、生徒さんは「英語を話してみたいんです」と言って、授業を受けてくださいました。

  • 徹底的に
  • かつ丁寧に

教えるということは、こちらだって我慢強くなければなりません。

なかなか進みませんからね。

しかしこれは、「誰にでも起こり得る」ことです。

みなさんが、

新たに何かを始めよう

と思った場合、どんなに才能があっても、簡単にできるようになることは、まずありません。

多少なりともセンスが左右することもあるでしょうが、「その道」にずっといなければ、道を極めることはできないのです。

誰だって「初めて」を経験するのは当たり前。

僕は英語の世界やダンスの世界に長くいますが、それでも、

自分はまだまだだなぁ

と思っているほどです。

大事なのは「いつ始めるか」よりも、「いつまで続けられるか(=やめないでいられるか)」ではないでしょうかね。

始める際は、どんな理由があったっていい。

その時に才能を発揮する人もいるかもしれませんが、ずっとやっている人にはなかなか敵わないものです。

あまり、

今から始めても…

と、変に言い訳するのではなくて、まずは挑戦すること。

やってみた上で、考えればいいのです。

その生徒さんは、最後まで一所懸命ついてきてくれました。

だからかは判然のしませんが、なぜか僕は、

  • 初心者
  • 英語嫌い

のほうが、今は教えがいがあります笑。

多分、伸び代があるからでしょうね。

また、

こんなに丁寧に教えてもらえるなら、またやりたい!

と思ってもらえるのが嬉しい、ということもあります。

誰だって最初はしんどいものです。

それでも、年齢を言い訳にせずに始めれば、それ相応の見返りがあるのです。

いつだって何かを始める時とは「初心者」だ。年齢を言い訳にせず、始めたければ始めたらいい。

やっぱり天職

僕はこうして学校の教師から、オンラインの講師(メイン)となりました。

しかしやることは変わらなくて、

  1. とにかくいろんな人に
  2. 丁寧に英語を基本から教える

ということです。

時に、ただただ英語でおしゃべりすることもあります。

それでも、特に「文法」や「なぜそうなるの?」という点にフォーカスして教えていますと、

あぁ、やっぱりこれは天職だなぁ

と思うのです。

一方で現在では、AIも発達し、僕自身も自分の知識の確認に使ったり、わからないことを聞いたりします。

だからと言って別に、

AIなんかに取って代わられるか!

と思っているわけではありません笑。

先述した通り、自分には自分のできることはありますし、そこは適材適所だと思っているだけです。

いつか淘汰されたら…

まぁその時になったら考えます笑。

いずれにせよ、誰かに何かを教えるということは、意外にも「誰にでもできること」ではないようです。

毎日、本当にいろんな世代の、いろんな背景を持つ人と交流をしますが、それでも教えることはとても楽しく、いつまでもやめられません笑。

気づいたらもう、オンライン講師として丸々2年が経っていましたしね。

それでも、先生に就いた最初の頃は、

進学校で教えたいなぁ!

と意気込んでいたものでした。

  • 初心者
  • 英語の苦手な人

に教えたいと思わなかったのですね。

これは、傲慢以外の何ものでもありませんでした。

もちろん、レベルの高いことを教えていますと、エキサイティングな授業になりますし、感謝もされます。

しかし、自分が生徒を選んでいる以上は、それは自己満足でしかありません。

「教えたい人に教える」という意味では、

結局お前のビジネスでも、生徒を選んでいるじゃないか

と思われるかもしれません。

しかしこの場合、「選ぶ」というのはただただやる気がない人や、伸ばす気もない人などを切ることができるというだけのことを意味します。

  • 頑張りたい
  • やる気がある

こんな生徒たちなら、レベルは関係ありませんよね。

そういう人たちを僕は、もう選ばなくなったのかなと。

「天職だ」とは言ったものの、最初はそれだけ好き嫌いがありましたからね。

経験を重ねたことで、いろいろと思うことも出てきたのでしょう。

あぁ、やっぱり丁寧に教ることができれば、その人のレベルは関係ないんだな

とね。

まだまだ僕自身も勉強が必要で、毎日勉強しています。

これからも精進しつつ、いろんな人に英語を教えていきます。

初心者に教えることができていなかった僕も、少しずつ自分のマインドが変わっていくことがわかった。やはり教えることが、僕にとっての天職だったのだ。

おわりに

オンラインの講師がメインになっても、やはり教えることが好きだという事実は変わりません。

初心者の方にも丁寧に教えること。

これができて初めて一流の先生ですね。

もちろん、上級者の人にも教えられるよう、僕自身も努力していきます。

それではまた!

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