こんにちは。
最近読んでいます午堂登紀雄さんの人生の「質」を上げる孤独をたのしむ力から学んだことを書いていこうと思います。
すずきといえば言わずと知れた一匹オオカミで、悪く言えばぼっちです。
昔から人と馴れ合うのが嫌いで1人黙々と行動することが多かったものです。
その分、嫌われ、省かれ、後ろ指をさされ、散々な人生を送って…きたわけではありません笑。
よく職場の人と仕事終わりに飲んではカラオケに行き、土日は友人と会う約束で埋まり切っていたほど、社交的でフッ軽野郎でした。
一方でやはり1人は大・大・大好きで、コロナのおかげで輪をかけて「孤独好き」となり、1人の時間がだいぶ増えました。
以前にも1人であることの(結果的な)メリットを記事でお伝えしましたが、今また感じていることや書籍から学んだことを違った角度で書いていきます。
めちゃくちゃ内省するようになる
簡単に言うと1人で考え事をすることが多くなったという感じですね。
ただ、以前のようなネガティブなことを頭で繰り返してしまうことや、あれもこれもと様々な思考が巡ってしまうマインドレスになっていた時とは違うなとは感じています。
よく1人で内省している内容は、「幸せとは何か」「人生について」「将来はこうなりたい」「感動したこと」など、その時々の感情に即したものやポジティブな経験の振り返り、将来への前向きな目標などです。
どういう人間でありたいか、どういう30代でありたいか、今後どういう人生を送りたいか。
そういう意味ではぐるぐる回っていますが、その都度たくさん本を読むことでインプットをして自分の思考の手助けにしています。
歩いている時、美術館に行っている時、ご飯を食べている時、サウナに行っている時、カフェでまったりしている時など、その時々で感じている「今」を大切にしながらも、過去と未来と照らし合わせながらよりよい「今」にするにはどうしたらいいかを考えています。
電車ではよく本を読んでしまいますので、それはインプットの時間として確保しています。
また夜こうしてブログを書いている時は、内省したことや感じたことをアウトプットすることで良い循環を生み出すようにしています。
1日の中で「インプット→内省→アウトプット」という流れができたのは「孤独」がもたらしてくれた効果であり、決してみんなでバカ騒ぎしたりテレビを垂れ流したりしている時間では得ることのできない時間でした。
後述しますが「他人と関係を断つこと」が最善だとはもちろん思っていません。
他人との時間もまた確かに貴重な時間なのですが、一方で孤独ならではの時間は内省を深める最高の時間だと思っています。
たくさん本を読むようになる
1人でいると、結構ヒマです笑。
僕は一度、似たような経験をしています。
彼女と付き合っていた頃に1人暮らしをしていましたから、今ほど自由ではなくてもあまり制限はない「半自由」いや「8割自由」くらいの生活を送っていました。
その時の食生活や空き時間へのアプローチの仕方と言ったらもう…
いや別にそういう生き方もいいんですけどね笑。
ヒマな時はYouTube見るかテレビつけるか、どこか友達と遊びに行くか飲みに行くか。
早く帰っても夕方に寝ていたり夜な夜なダンス練に行ったりと、悪い意味で自由気ままに過ごし「すぎて」いました。
ひるがえって今の生活ではきちんと生活リズムを整え、毎日ワンピースを読み(ん?)、食や睡眠に気を使い、夜はアウトプットをするというところまで辿り着きました笑。
様々なことを新しく習慣化したことで自分の行動に責任を持つようになり、その行動から多くのことを内省するようになりました。
そして何よりヒマな時間は本を読むことを心がけ、朝の時間ではYouTubeやPodcastからインプットしたりするという変わりっぷりを披露しました笑。
この行動変容は本がもたらした影響でもありますが、また再びその影響を受けたくて新たな本を読むという好循環が生まれました。
孤独だからこそできる業。
インプット、深い内省、ブログによるアウトプット。
それらがしっかりと噛み合うことで起きた化学反応だと思えば、孤独というヒマな時間(というか自分に使える時間)があったからこそできたことなんじゃないかなと思います。
たくさん本を読んでいますと、普段友人や同僚と会話するときでは得られない知識や経験の疑似体験、科学的根拠など、質の高いインプットができていることに気づきました。
そこから以下のように思うことが多くなりました。
他人と会話していて感じたこと
最近では1人で本を読んでいる時間のほうが、先述したように「質の高いインプットが行える」と思っています。
誤解のないように言っておきますと、「他人と交わる時間は全て無駄である」と言いたいわけではありません。
僕は以前から、飲み会や自分より経験が上の方々(抽象的ですが)と出会う場でこそ、たくさんのことが学べるのだと勘違いしていただけなのです。
ですから今となっては友人や同僚と話す時は、アウトプットに重きを置いていることのほうが多くなりました。
自分が学んで自分なりに消化したこと、あるいは行動してみて感じたことや経験したこと。これらをパッといろんな人に言ってみる。
また普段から内省したり整理したりしていたことを、自分の言葉を使って伝えてみる。
すると「その考えだけでなくてこちらの考えもある」とか「実はこういう素晴らしい場所もある」とか「オススメはこれこれこういうこと」など、会話がスパークし自分の意見をまた内省リストへと戻すことができます笑。
これはある意味インプットとも言えるのですが、正直言うと情報という意味では書籍に比べると荒削りですし、いい意味でその人なりの考え方で語ることばかりです。
だからそれらはあくまで「一個人の一意見」。僕の発言もまた同様のことが言えます。
したがって普段の会話の中で「いやぁ〜今日もあの方からお話をたくさん聞いてインプットしたなー!」と思うことはあまりありません。たぶんそれはみなさんも同じように感じるはずです。(セミナーや勉強会などは別だと思いますが)
比較すればするほど、インプットにおいてはやはり読書のほうが情報の密度が高く、その精度も高い。
さらに信頼性も高くコスパもいいと言ったように、周りの人たちと話し合って得られるインプットよりもはるかに質の高いインプットが得られているということがわかりました。
確かにエンタメとして友人や家族と過ごす時間は楽しいですし、ストレス発散や人との繋がりを確かめられるだけでなく、お互いの情報交換の時間となります。
またインプットとは違った人間関係やデリバリー能力、プレゼン能力やコミュニケーション能力の向上など、違う側面の力を鍛えることにも有効です。
しかしそれらが劇的に減ってしまった今の時代で、最低限他人との時間を確保できているのであれば「残りの時間は自分のために使おう」と思うことは大変良い試みです。
その試みはすずきに恩恵をもたらさないわけがなく、以前の「自堕落な自由時間」とは打って変わって孤独な時間はすべて「学びの時間」へと変貌しました。
以下が最近のすずきの好循環モデル(笑)です。
- 孤独を選択する
- 他人との時間が減り、自分の時間が増える
- 増えた時間を自己投資や体験/経験に使う
- 質の高いインプットができる
- 内省とブログなどでアウトプットして思考を整理する
- 他人と会うときによりよいアウトプットができる
- 他人と会うのが楽しみになる/人間関係がよくなる
- それまでにまた「インプット・内省・アウトプット」をしようと思える
いかがでしょうか。
「1人孤独な人生」を押し売りするつもりはありませんが、僕の最近の生活はこの好循環が描く一番外側の輪がどんどん大きくなっていっているイメージです。まるで雪だるま式ですね。
ちなみに「読書してますよ」アピールをしていますが、実際は大した量を読んでませんしまだまだ未熟なもんです。
そういった自分の伸び代がある部分も含めて、今は自身の成長をとことん楽しむことができています。
おわりに
他にも本書には孤独を恥じない人はこうなるとかあぁなるとか、孤独の魅力が全面的に書かれており、僕の「孤独力」をサポートするために自ら進んで読んでいるんじゃないかと思うほどです笑。
実際はありがたいことに、すずきにはこうしてアウトプットする場所がありますのでネガティブな孤独感は一掃されております。
ですから悪い意味の「独り」を感じることはほぼなく、とても人生を楽しむことができています。
1人で行動することにはなんの恥じらいもなく、むしろ行動制限はないし失敗して迷惑をかける相手もいないので相当ラクです笑。
自分の感情と素直に向き合ったり、人生について考えたり、はたまたその場その場の感動を一身に感じてみたりと、まさに孤独の時間は今の自分に必要だと思われることのオンパレードです。
最近は他人との時間が少ないため、改めてその時間を噛みしめることができているとも思っています。
特に仕事はチームで動くものですから、教師間の雑談や愚痴も別に無駄な時間ではないですしむしろ大切にしてます。
さらに生徒たちとは、以前よりもしっかりと落ち着いた姿勢や感情で会話することができています。
どれもこれも、1人でインプットと内省とアウトプットをぶん回している結果が生んだ賜物であり、それらもまた好循環サイクルへと飲み込まれて栄養となっていくのです。
人生の中で本当に大切なこととは何かを考え抜く孤独で貴重な時間。
そこに答えはなくとも、それを追求して毎日アップデートしてゆく姿勢を持つことが好きなのです。
今一度1人孤独な時間をうまく使って、みなさんも自身の「孤独力」を磨いてみてはいかがでしょうか。
それではまた!
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