こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
今日のブログを持って500記事目となります。
やっと折り返し地点まできました笑。
1,000記事まで、あと500記事です。
1つの区切りなので、今日は僕の「個人的な想い」を書いていこうと思います。
毎日ブログを書き続ける男は、一体何を思うのか。
興味があればぜひご一読ください。
ブログを続けてゆくことは、無意味だとは思わない。
漫画ワンピースをアプリで読んでいて、また感動していました。
その1シーンで、巨人同士が戦うシーンがあります。
巨人たちは自分の誇りを胸に、100年も戦い続けています。
と他人に一蹴されようとも、彼らは理由も忘れて「誇り高き決闘」を続けています。
こうして僕もブログを書き続けていますが、書き始めた当初の気持ちとはだいぶ変わってきており、彼らのように思うようになりました。
以前熊本を旅した時に、日本一の階段の昇降を続けている漢たちと出会いました。
理由を聞くのが野暮なくらい、会った瞬間に、
と思いました。
そこに理由なんていらない。
僕は好きでブログを書いていますし、書いていくことでたくさんの出会いと学びがありました。
人間が生まれてきてからやることなんて、だいたいは「意味のないこと」です。
だから逆に、すべてのことに自由に意味を与えていいのです。
それなら僕は、僕にとって好きなこと、誇りをもてることをやってみればいい。
それぞれが軸を決めて、やってしまえばいいのです。
- お金になること
- 人のためになること
- 自分の精神安定のため
なんでも構いません。
世の中に正解はないのですから。
こうしてブログを書き続けていますと、
と言われそうですが、今一度考え直してみても、やはりそう思ったことは今まででありませんでした。
ダンスも筋トレも英語の勉強もそうですが、好きなことは止まりません。
周りからみたら、もう天井に届いているのかもしれません。
でも当の本人は、「まだまだ下にいる」と思っているのです。
それはみなさんもご自身の専門分野において、同じように感じることなのではないでしょうか。
そう思うから、続けてゆく。
理由なんて、とうに忘れました。
ただそこには確かな、自分なりの意味があるのです。
人生の一部となったブログ
歯磨きが朝のルーティンであるように、2時間ブログを書くことは1日のルーティンです。
始めた当初は、
という反応が多かったのですが、ここまで来ますと、
と言われるようになりました。
嬉しい反面、今の僕には当たり前となり過ぎて、なんと返せばよいのかわかりませんでした。
みなさんにとっても、「自分の人生の一部」のようなものがあると思います。
それを大切に、大切に育てていくこと。
僕はブログを始めてから、その点だけを常に意識するようになりました。
それは、今までの僕に「これ」と言ったものがなかったからでもあります。
部活も英語も中途半端。
と自問自答する毎日。
人生について考えたことなんてサラサラなく、繰り返される怠惰で退屈な日々。
そんな僕の前に、突如現れたのがブログでした。
「稼ぎたい」という単純な気持ちから始めたのに反して、書きたいことは人生観や教育観。
2021年の4月から始めて、20〜30記事くらいでネタがなくなり、頭を抱えてネタを絞り出す毎日。
それでも僕はブログとともに生き、ブログに時間を割き続けました。
いわゆる「稼ぐこと」とは遠くかけ離れている事実に、何度も何度もブログを続ける意味を問い続けました。
しかし一方で、「ブログを絶対に続けていこう」と思えた瞬間が何度もありました。
それは、僕のブログを読んでくれる人が必ずいたことでした。
誰かにずっと想いを届けること。
- 僕自身が悩んだこと
- ツラくて苦しんだこと
- 人生が少しずつ変わっていったこと
どこかの誰かに、1ミリでも伝わればそれでいい。
その想いは文字を通して、少しずつ伝わるようになりました。
想いは「熱」となり「波」となりました。
自分の気持ちをずっと届け続けること。
それがいつしか、自分の生きがいとなっていました。
呼吸を止めたら死ぬことと一緒で、書くことを止めたら、それは僕が僕でなくなる時なのかもしれません。
想いを伝えていくことは、僕にとっての「呼吸」だったのです。
自分だけが、自分を救うことができる。
世の中は残酷でして、最終的には自分1人の足で歩いていかなければなりません。
こうしてブログを書いて「自分の想い」を伝え続けていることで、いつしか僕が僕自身を救っていることに気づかされました。
自分の中に「もう1人の自分」がいるかのように、僕のことを「叱咤激励してくれる自分」がいたのです。
僕はブログの中で、内なる自分と対話してきたのでした。
一方で、この世の中を戦い続けていくには「仲間」が必要不可欠です。
僕の周りは、言うまでもなく素晴らしい人たちであふれています。
奇跡的にも人に恵まれ、どんなに未熟な自分でも、受け止めてくれる家族や友人、仲間たちがいました。
それでも最後は、
- 自分で決めなければならない時
- 自分で始めなければならない時
が必ずやってきます。
- 人と出会い、
- 刺激を受け、
別れた後、やはり動き出すには自分の足に力を入れないことには、何も始まりません。
自分を奮い立たせてくれるのは、他の誰でもない。
内なる自分だけだったのです。
僕は心のどこかで友人や仲間がいることに安心しては、彼らに頼りっぱなしで生きてきました。
でもそれは、自分から逃げ続けてきた証拠でもありました。
そう思うようになったのは、ブログを書き始めて、自分と真剣に向き合ってからでした。
周りの人に感謝することは一見するとキレイな光景ですが、いざ現状の自分を振り返って見てみれば、何もできていないし何もやってすらいない「無の自分」がいました。
そんな力のなかった、弱かった自分をいつも前に進めてくれたのは、実は僕自身だったのだと思います。
500記事を書いてわかったこと。
それは自分が一番、自分のことをわかっていなかったということ。
そして自分が一番、自分のことをわかってやれるということ。
歩き続ける僕には、「僕と言うパートナー」が必要不可欠だったのです。
おわりに
想いを伝えることは、とても難しいことです。
そこにはテクニックや、言葉選びのセンスも必要だと思っています。
ただ僕にはそんなものはないですから、情熱だけで書くことに決めたのでした笑。
しかしどんなに稚拙な文章でも、熱い想いは伝わるものです。
何の足しになるかはわかりませんが、世界のどこかの誰かの胸に届くように、またブログを書き続けていこうと思います。
それではまた!
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