こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
多くの人と出会い、様々な経験をしてきたこの2年間。
先日、考えを巡らせているときに、
そう感じました。
この辺りがストイックと言われる所以(ゆえん)でもあると思います笑。
たぶん僕は「変化すること」がとても好きでして、その場にずっといるのが苦手なのですね。
学校の先生を9年間勤め上げましたが、その中でも異動がありましたし、学年が上がったりクラス替えがあったりと、学校の中でも変化が多かったので楽しかったのかもしれません。
今日は、「甘えている自分」に喝を入れていこうと思います笑。
甘えと幸せ
幸せを求めて生きてきた僕ですが、一方で「あまのじゃく」な性格でもありますので笑、
と思ってしまう時があります。
- 多くの人に囲まれ
- 幸せな時間を過ごすこと
に違和感を覚えたのです。
いえ、これは何もネガティブな意味合いがあるわけではありません。
そう思っているからなのかもしれません。
心中ご察しします笑。
つまり、誰かに何かしてもらうことは本当に幸せなことなのですが、その分、
と思ってしまうのです。
人に囲まれ、愛されて生きていくということは、僕が何かを「与えた結果」だと思っています。
しかしこの考え方は、ある程度「真実」だと思っています。
与える人だからこそ、人に恵まれる。
それが「与える < 受け取る」という構造になってしまったら、僕のセンサーが反応してしまうのです笑。
だからずっと、与え続けていきたい。
これは矛盾しているようですが、「幸せ」とは受け取るものと与えるものが絶妙なバランスで釣り合っている時、あるいは「授受が繰り返されている状態」が続くことだと思っています。
僕は受け取る状態が大きい時、「甘えている」と思ってしまうのです。
その状態が続けば、いつか関係が壊れてしまうからです。
何度も言いますが、決して切迫感があるわけではありませんし、「幸せ」ってそんなストイックなものではありません笑。
ただ逆説的ではありますが、僕が感じていることは、
「自分が動けば動くほど、幸せに近づいていくもの」
ということなのです。
だから現状に甘えるのではなく、次に向かって歩き出したいのです。
どんどん次のステージへ移動しよう
さて、そのように「自分が与えられている」と感じましたら、行動あるのみですよね。
「与えられている」と感じるほど、人に与えたくなるものです。(返報性の原理)
僕はこの2年で「幸せとは何なのか」が、僕なりにだいぶわかるようになってきました。
それまでどうも幸せを感じることができなかったのは、「与えること」をしてこなかったからでした。
いえ、やってはいたのでしょうけれど、そもそものマインドが確立されていなかったのが原因かと思われます。
満たされない自分を満たそうとして、受け取ることばかりを考えていたのでした。
しかしそれに気づくことができたおかげで、今の自分になることができたと思っています。
ひとたび気づけたことで、僕の人生のステージが「一段階」上がったのです。
ステージが上がったのならば、そのステージで再び様々な行動をしていくこと。
この繰り返しです。
僕は今いるステージで、
- 感謝
- give
- 人との繋がり
など、本当に多くのことを学ばさせてもらいました。
その「温かくて心地よい場所」は、僕が思い描いていた「幸せ」そのものであり、何度か記事にしたように「すでに満たされている」状態となりました。
だからこそ思うのです。
と。
- 受け取ってはがりいた
- その場に留まっていた
そんな「以前の僕」ではありません。
その場に幸せを感じることができたのなら、また別の場所へ動き出す。
その繰り返しで、自分の世界を広げていくこと。
それが、僕にとっての「人生」なのだと思っています。
本当は甘えたい
僕は、
- ダンスサークル時代も
- 大学院時代も
- 教員生活時代も
多くの人に恵まれて、ここまで来ることができました。
しかし彼らと一緒にいればいるほど、自分の情けなさや力の足りなさに気付かされます。
できるのならば、ずっとそんな幸せな空間にいたいですし、みんなに甘えたくて仕方のないこともあります。
それが自分に取って良いのであればそれでいいのですが、僕は心のどこかで、
と感じてしまうのです。
それは彼らと一緒にいても、できることです。
一緒にいたほうが心強いですし、何かあれば頼ることや協力をお願いすることもできます。
これは僕自身が、
と、頑固になっているわけではありません。
もともと人に頼ることが苦手だったこともありますが、僕はそうした環境に甘えたくなってしまうのです。
そんな「幸せな時間や空間」に一区切りをつけた時、今まで享受してきた幸せを改めて素晴らしいものだったと確認することができました。
離れたことで、その時間と空間に感謝できたのです。
別に、幸せな時間や空間を「ぬるま湯」だなんて思っていません。
僕の中にある、
という気持ちに区切りをつけるために、あえて離れるのです。
そうやって「区切りをつけるごと」に、僕は成長することができたのだと思います。
時に甘えたり、人を頼ったりすることは、確かに社会的動物としてとても大切な能力です。
それは僕自身の課題でもありますが、
と思ってしまうのです笑。
決して甘えていないのにも関わらず、あえて違うルートを行こうとすること。
そのおかげで、自分のコンフォートゾーンから抜け出せるような気がして、ワクワクしてしまうのですね。
そこにいれば幸せだとわかっているからこそ、現状を抜け出て次に向かいたくなるのです。
僕はそれを素晴らしいことだと思っていますし、本当は甘えたい。
でもそれが、今の自分にとって最適解ではないのです。
自分の甘えたいという気持ちを押し殺す必要はないが、それが過剰になると甘えが止まらなくなってしまう。本当の気持ちはそっと胸にしまい、自分と対話して環境を変えていこう。
おわりに
何度も言いますが、決して「甘えている」と思う必要はないのです笑。
ただ、自分の中の何かが幸せを「甘えている」という状態に見てしまうのです。
これは決してネガティブなものではないですし、「離れたくない」というのが本音です。
しかしそういう時ほど、僕はその環境に依存してしまう。
それをクセにしないように、動いていきましょう。
それではまた!
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