特別な存在にならなくてもいい【誰かにとっての日常になる】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、僕の友人からこんな名言を聞きました。

Never forget you’re someone special.

あなたが誰かにとっての大事な人なんだってことを忘れないで。

これは漫画スヌーピーにおける名言です。

みなさんは、誰かに愛されているでしょうか。

僕もこの手の考え方については、幾度となく考えてきました。

今日は「誰かにとっての日常的な存在」になることについて、書いていきます。

あなたという存在は、誰かにとって大切な存在だ。人に好かれようとする必要なんてない。ありのままのあなたが一番心地よいのだ。

人に好かれる人とは?

僕の周りには「人に好かれている人」がたくさんいます。

いわゆる「愛されキャラ」ですね笑。

その人たちを見た時に、

その人たちは一体何を意識して、そのようになったのだろうか?

と考えるようになりました。

まず「好かれない人の特徴」を述べます。

逆説的に聞こえますが、

「人に好かれようとする人ほど、本当の意味での信頼関係は築けず、人に好かれることはない」

僕はそう考えています。

そのような人は、僕がよくテーマにあげる「他人の人生を生きる人」だからです。

人に好かれようとすることは、言い換えれば他人の顔色ばかりをうかがってしまうということです。

ありのままの自分を出すことはできず、「嫌われまい」と強く意識し過ぎてしまい、本来あるべき姿の自分が現れることは、いっさいありません。

そんな人を相手にした時のことを考えてみますと、多少は関係を築けるでしょうが、

何か隠しているのかな?
僕/私のことを信じていないのかな?

と疑ってしまいます。

一方で、

  • 他人に媚(こ)びない人
  • 無理に他人に好かれようとしない人
  • 他人に好かれることがステータスだとは思っていない人

このような人は、

  1. 自分の人生を楽しみ、
  2. 自分のことを好きでいて、
  3. 人から何を言われても真っ直ぐに道を歩いている。

そんな風に見えます。

僕でしたら、そんな真っ直ぐな人のほうが魅力的に見えます。

ただし、

「とにかく自分を貫いてさえいれば、周りから好かれる」

という因果関係は、どうも成立しないように思えます。

そこで僕が大切にしていることをお伝えします。

それは「自分の魂を磨くこと」です。

人に好かれる人は、他人から好かれようだなんて思っていない。自分を貫き、ありのままの自分でいる人だ。

自分の魂を磨くこと

ありのままの自分でいることは、とても大切なことです。

そんな人は魅力的に見えますし、裏表のない人柄が人を引き寄せます。

僕自身、以前はそんな風に振る舞うことができず、人の目を気にしてばかりいました。

何年かかけて、少しずつ変わり始めたのはいいのですが、

うーん、もっと魅力的な人間になるにはどうしたらいいだろう?

と考えにふけった時期がありました。

僕の考え方は徐々に変わっていきましたので、「ここだ!」という転換点ははっきりとは言えませんが、

  • 本を読み、
  • 考えを広げて深めた。

この繰り返しが僕を変えたのだと思っています。

このことを「魂を磨くこと」と言うことにしましょう。

僕は社会資本(=人とのつながり)を広げることにおいて、とても大切にしていることがあります。

それが「自分自身を高める」こと。

すなわち「魂を磨くこと」です。

たとえ「ありのままでいること」ができても、

  • 自己中心
  • 性格が最悪
  • 人の意見を聞かない

こんな状態だとしたら、みなさんはその人のことを好きになるでしょうか。

答えは火を見るよりも明らかです。

「人に好かれる人」は、自分の軸を持ち、真っ直ぐに生きているだけでなく、「魂を磨き続けている人」だと思っています。

  • 優しい
  • 明るい
  • 思いやりがある

など、ポジティブなイメージが湧き上がってくるような、そんな人なのです。

キレイな魂」を持っている人を見ますと、

あぁ、この人がみんなに愛されている理由がわかるなぁ

と感じずにはいられません。

そんな人には人が集まってくるだけでなく、「この人とずっと一緒にいたい」と思うものです。

そうした「ロールモデル(=理想の人)」が僕の近くに多くいてくれたおかげで、たくさんのことを学ぶことができ、結果的に多くの人と交流することができるようになりました。

ぼーっとしていても、人は寄ってきません。

自分の「魂」を磨いていきましょう。

社会資本を広げる前に、まずは自分の「魂磨き」だ。自分を「魅力ある自分」にするために、毎日魂を磨いていこう。

「特別」な存在になろうとする必要なんてない

おいおい、スヌーピーは「special」って単語を使っているじゃないか

おっしゃる通りです。

この名言が意味するところは、他と比較しての「特別」という意味ではなく、和訳にあるようにその人にとって大切な存在でいることなのだと、僕は思っています。

「特別」と言いますと、

  • どこか遠いような
  • 触れることが難しいような

そんな印象を受けるからです。

それよりも、他の誰にも置き換えることのできないような、そんな唯一無二の存在であること。

言っている内容は同じかもしれませんが、こちらのほうがしっくりくるのです。

ただし「置き換えることができない」と言いましても、一方で「その人がいなくなってもいい」とも僕は考えています。

「好かれている人/愛されている人」というのは確かに、

  • 代え難い存在
  • 誰かにとっての大事な存在

ではありますが、決して依存されるべき存在ではないからです。

その人がいてくれなくては、生活が成り立たない!

そんな存在ではなく、もっとその人にとっての日常である存在。

そこにいてくれれば、ただただ嬉しくて幸せになる存在。

いたらそれだけで、意味のある存在。

みなさんには、特別でもなく、それでいてそこにいてほしいような、そんな存在であってほしいと思っています。

僕らがやるべきことは、ただただ自分の魂を磨き続けること。

これに尽きます。

内面から魅力的な人間になっていくことで、社会資本は自然と増えていくからです。

そんな人は、決して「特別な存在」になろうとなんかしていませんし、自分が雲の上の存在だとも思っていません。

もっと日常的で、大切にしたいと思えるような、心地良い存在でいるのです。

だから、

  • 人に好かれようとしなくても
  • 特別な存在になろうとしなくても

いい。

ひたすらに自分の魂を磨き続けて、ありのままの自分でいて、周りにいる人たちを愛していくこと。

それがかけがえのない日々を生み出し、「本当の意味での好かれる人」へと成長する土台となります。

僕の周りにも、そこにいてくれるだけで僕の生活を幸せに、豊かにしてくれる人たちがたくさんいます。

僕はその人たちのことを、

  • 「特別」とも
  • 「当たり前」とも

思ってはいません。

ただそこにいてくれる「日常的な存在」として認めて、その「一瞬一瞬の関わり」を大切にしているだけです。

無理をして「誰かにとっての特別な存在」になんか、ならなくたっていい。

あなたがそこにいることが、僕にとって、みんなにとってすでに何よりも嬉しいことなのですから。

それを忘れずにいてくださいね。

誰かにとっての「特別」になろうとしなくていい。あなたはもう、誰かにとっての「大切な人」だからだ。

おわりに

人に好かれるようになることは、目的ではありません。

「自分を磨き続け、成長し続けることで魅力的になること」

が人を引き寄せるのだと思っています。

誰かを「特別」視する必要はありません。

日常的な存在であることを認め、出会いと別れを繰り返していくこと。

本当の意味でつながれた人とならば、いつでもきっと再会することができるはずですから。

You don’t have to be special. You’re already “special”.

それではまた!

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