こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、文化祭が終わり、数日経ったある日、1人の生徒が遅刻してやってきました。
生徒は文化祭で自作のアクセサリーを売ってくれて、それはそれは見事な出来でした。
しかし、コロナによって文化祭自体が短縮されてしまったこともあり、残念ながら売れ残ってしまいました。
廊下で泣き崩れる彼に、僕はぽつぽつと言葉をかけました。
今日は「自分のことを嫌いな人を憎むこと」について書いていきます。
やられてもやり返すな
以前の僕でしたら、
と、頭に血がのぼっていたと思います。
しかし、人間の「性(さが)」について多くを学んでから、考え方がだいぶ変わりました。
どんなに悪いことを言われたとしても、相手にしないことを学んだからです。
あるいは「イヤだと思ったもの」から、自然と離れるようにもなったからでしょう。
だいぶ前になりますが、「反応しない練習」という書籍を読んだこともあり、あまり他人から言われることが気にならなくなったのです。
基本的に、人に対してネガティブな声をかけてくる人は、
- とても心が貧しく、
- 他人のことが羨ましくて仕方ない。
そんな人です。
はい。以前の僕はそんな感じでした笑。
「人の成功が気に食わない時」というのは、実は自分が成功していない時に限ったことではありません。
もっと根本的な思考が違っていて、
- 誰かに成功を奪われる。
- 人から尊敬されたいが、尊敬はしない。
といった、とても「残念なマインド」持っているからこそ、起こってしまうことなのでした。
そういった人には人は寄って来ず、ずっと1人のまま、寂しい状態が続きます。
たとえ友達がいても、グチや文句ばかりをこぼすような、そんな友人たちしかいないでしょう。
そんな心の貧しい人たちに、いちいちかまっている暇はありません。
僕らが目を向けなければいけない点は、もっと他にあるのです。
感謝してくれる人に目を向けよう
自分のことを悪く言ってくる人、
- 砂をかけてくるような
- 石を投げてくるような
そんな人たちとは距離を置くべきであり、憎んだって成敗したって、根本の解決にはなりません。
その生徒の気持ちもわかりますが、僕はそっと声をかけました。
と。
確かに教育者としては、そんな人たちを看過することはできません。
ただ僕はそうすることが、彼にとってはあまり意味のないことだと思いました。
彼には、もっと目を向けてほしいところがあったからです。
それは、
「彼の作品を賞賛し、そこにお金を払ってくれる人がいる」
という事実でした。
自分のことをバカにしたり、否定してきたりする人に時間を割くことよりも、
そんな声をかけてくれた友人たちのほうに、目を向けてほしかったのです。
彼の悔しい気持ちもわかります。
それでも、僕は廊下で淡々と伝え続けました。
以前の僕だったら、「あいつらに一泡吹かせてやろう」とでも考えていたことでしょう。
しかし、根本のマインドがそもそも未熟な人に対して、そのようなアプローチはあまり効果がありません。
悪いやつらに指導をいれることは「きっかけ」にはなりますが、最終的に自分で気づかない限り、その貧困なマインドが変わることはないからです。
それならば、自分のやっていることに対して、
- いつも応援してくれる人
- ポジティブな言葉をかけてくれる人
そんな人たちに目を向けて会話をしていったほうが、人生が豊かになっていくはずです。
目を向けるべきは、いつも自分のことを好きでいてくれる人たちです。
果たしてそうでしょうか。
意味もなく悪口を言ってくる人よりも、本当に自分のことを思ってくれている人のほうが、生産的な意見やアドバイスを言ってくれるのではないでしょうか。
僕は、そうやって「僕のことを好きでいてくれる人」と一緒にいるようになりました。
僕のことを好きじゃない誰かのことでくよくよする時間はないんだ。
僕は、僕を大好きでいてくれる人を大好きでいるのに忙しすぎるから。
これはスヌーピーの名言で、僕のブログでもたびたび出てくる言葉です。
彼にも、この感覚を伝えたかったのです。
人を憎んでいる時間はむしろマイナス
生徒を見ていますと、僕の若かりし頃を思い出します。
そう思っている時間は、「負」のオーラで満たされてしまっており、
- 自分の感情がネガティブになるだけでなく、
- リベンジを果たしたところで満たされることはない。
という、何も生み出さない、非生産的な時間にしかなりません。
それに気づくまでにだいぶ遠回りをしたものでした。
でも逆にその「ムダな時間」に気づいてからというもの、そのような感情に支配されることがなくなりました。
生徒はまだまだ未熟であり、悔しい思いもわかります。
しかし最終的に豊かになるためには、そんな人たちのことを気にしないことに尽きるのです。
彼の作品は立派なものでしたし、
- いずれ好きな人たちと好きなように仕事をして、
- 自分を応援してくれる人たちにGIVEをする。
それができた時には、もうすでに「砂をかけてくる人たち」は周りにないはずです。
僕もそうやって、精神的に豊かになれる人たちと一緒にいるようにしてきましたし、今でもくっついたり離れたりが繰り返されています。
みなさんも「意識的/無意識的」に取捨選択や、選り好みをしているはずです。
最初はいろんな人と出会っていいですが、「自分には合わない」と本能的に感じる相手は必ず出てきます。
ましてや「悪口を言ってくるような人」とは、関わるべきではありません。
ただ、同時に憎む必要もありません。
それぞれの道がありますから、
- 自分が豊かになるように
- 周りの近くの人が豊かになるように
自分の人生に集中していくことです。
どうしても相手のことが頭に浮かんでしまうことがありますので、これは練習や経験に加えて、自分の人生を根本から見直すことが必要です。
生徒には、もっともっと自分の得意を伸ばしてほしいですし、応援してくれていた友達の存在を大切にしてほしい。
そう思ったのです。
おわりに
生徒から改めて気づかされたことでもありますが、自分自身が以前よりかなり変わっていることに驚きました。
「対生徒だから冷静になった」というわけでもなく、
と、しっかりと考えることができました。
「人を憎むとき」は決して即時的なものでなく、自分の根の深い部分が関わっていることが多いです。
パッと変えられるものではないため、その生徒にもどこまで響いたのかは定かではありません。
ただ、もっと見るべきものは周りにたくさんあります。
その大切なものを見逃してしまうことのほうが、人生において「損」なのです。
以前の僕のように。
そうならないよう「大切な」ものをしっかりと見定めて、改めて「大切に」していきましょう。
それではまた!
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