何事にも動じないように生きるには?【行雲流水の生き方】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日読了しました「開き直る禅思考」に、「行雲流水」という言葉が出てきました。

「行雲流水」とは、

空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。

また、一定の形をもたず自然に移り変わってよどみがないことのたとえ。

だそうです。

実はこの言葉は、僕が中学時代に「書き初めの宿題」で書いた言葉でした。

今日は、どんな困難や逆境でも「行雲流水の生きかた」をしていくメリットをお伝えしていきます。

なにがあっても雲のように形を変えながら漂い、流れる水のように川の流れに身を任せよう。ありのままの自分でいられるからだ。

形は変えても本質は変えない

現代は目まぐるしいスピードで変化しています。

その変化に乗ろう乗ろうという姿勢を持っていますと、なかなか追いつけなくて逆に疲れてしまうことがあります。

また一方で、

その変化を受け入れまい

と、頑なに変化を拒否してしまいますと、時代の流れから取り残されてしまいます。

ここで大切なことは、

本質は変えないままでいつつも、形は変えてゆくこと

だと思っています。

ちょっと難しいですよね。

雲や水は、人間の目には形を変えているように見えますが、どちらも気体(水蒸気)と液体(水)であり、構成されている物質はずっと変わりません。

人間も「同じ」だと思っています。

自分という人間の「本質(=あり方)」がコロコロと変わってしまっては、

この人は一体なにを考えているのだろう?

と思われてしまいます。

もちろん、

  • 成長してゆくこと
  • 良い方向へ変わってゆくこと

は必要なことです。

ただ人間の本質は、昨日今日で変わるような、そんな簡単なものではありません。

だからこそ、表面上では形を変えながら、環境には順応していくこと。

僕自身、その境地まで達することはできていませんが、雲や水のようにある程度身を任せられるようになりました。

それは、

  • ありのままの自分でいること
  • 他人から何を言われても動じないこと

そういった姿勢に直結していると思います。

「ありのままの自分」とは、自分の信念を貫きつつも、他人の意見や世間の波に柔軟に対応していくことです。

頑固になったり、拒否したりすることとは、少し違います。

本質(幹の部分)は変えずに「自分は自分」でいながら、周辺(枝葉の部分)は適宜変えていくこと。

そうして「自分の本質」は残しておくこと。

それが僕の目指す生き方です。

中心に据えている「自分のあり方」は簡単に変えられない。しかし、周りの枝葉の部分は適宜変えて、柔軟に対応していこう。

人との関係でも「行雲流水」

僕はもともと感情の起伏は小さかった人間でしたが、

  • 怒ること
  • グチを言うこと
  • イライラすること

は、かなりあったほうでした笑。

しかし、雲や水のように形を変えてうまく受け流せるようになりますと、人間関係でもそこまで感情が爆発するようなことはなくなりました。

先日、会議をしていた時に、生徒に関する不平不満をマシンガンのようにぶちまける先生がいました。

司会として横で見ていましたけれど、

うんうん。なるほどねぇ

と、ゆったりと話を聞いていました。

この人は自分の感情がコントロールできず、人に当たることでそのストレスを解消しているんだろうなぁ

と考えつつ、

このままだと周りの人は離れて行っちゃうだろうなぁ。いつか自分で気づかないと、ずっとこのままなんだろうな

とも思いながら聞いていました。

いちいちその「土俵」に上ってしまっていては、お互いに疲弊すると分かったからです。

それなら、自分は自分の意見をしっかりと持ちつつも、うまく受け流してしまおう

と思えるようになりました。

特に相手が感情的になってしまっている時には、まさに「行雲流水」のごとく身を任せることをオススメします。

意図的に冷静になること」とは少し違い、

あぁ、うん。はいはい大丈夫よ〜

というような、柔和でおおらかな姿勢でいる感覚です。

とても汎用性が高いですので、この「行雲流水」の生き方は様々な面で効果を発揮すると思っています。

「体得する」というほどのものではないのかもしれませんが、禅僧の方々が柔らかい物腰でいられるのも、修行でこの姿勢を意識をしているからなのかもしれませんね。

人間関係においても、行雲流水の姿勢を持ってみよう。うまく受け流しながらも、人の意見になびかずに、自分をしっかりと持とう。

「まぁ、いいか」の精神を持つ

本書には、「まぁ、いいか」という精神についても書かれていました。

一見するとネガティブと言いますか、「諦(あきら)め」にも近い言葉のように思えます。

しかし、

こうあるべきだ!

という姿勢と比べてみますと、おおらかに構えている「まぁ、いいか」の精神のほうが、余裕があって柔軟な心のように見えます。

世の中に「絶対的な正解」がないように、何ごとにおいても、

まぁ、そんなこともあるよね

と思えるほうが、執着しているようには見えません。

「自分」をしっかりと持った上で、仕方のないことや変えることのできないことに対して柔軟にアプローチをかけること。

この生き方こそが、まさに「行雲流水」なのです。

世の中には、

  • 障壁があったり
  • 当たってくる人がいたり

と、生きづらいように見えます。

これらに対しては、実はこちら側の捉え方次第でどうとでもなるものなのです。

すぐに反応せずに、ゆったりと受けて流す。

空にたゆたう雲のように、川を流れる水のように、優しくおおらかでいること。

そうすれば、どんな困難や逆境にあっても、

まぁ、いいか。そんな日もある

と思えるようになります。

すべての行為は「過去」となりますから、また今から再スタートすればいいのです。

また頑張ればいいじゃない
  • 人に対しても
  • 過去に対しても
  • 社会に対しても

そんな柔らかな姿勢でいると、もっと生きやすくなるはずです。

「まぁ、いいか」と思えることも大切なことだ。過去に、世の中に縛られずに、ありのままの自分でいよう。また頑張れば、それでいいのだ。

おわりに

中学生の時に書いた「行雲流水」。

今でもとても好きな言葉です。

ありのままの自分でいながら、社会にはびこる障壁に負けない生き方だと、僕は思っています。

生きていますと、目の前に立ちはだかる壁はいくらでも出てきます。

それを乗り越えるために努力を要する時もありますが、あえて取っ組み合いをする必要のないこともあります。

  • 自分の感情
  • 他人との関係
  • 世の中の理不尽

など、制御ができないことどうしようもないことはたくさんあるのです。

そこに対して、どういう自分でありたいのか。

僕は「行雲流水の生き方」を心がけて、今後も生きていきたいと思っています。

僕も人間ですから、心が動じる時ももちろんありますが、以前よりゆっくりと受け止めて、ちゃんと考えて対処できるようになりました。

修行の賜物ですね笑。

これからも、

  • 空にただよう雲のように
  • ゆく川を流れる水のように

流れに身を任せて生きていきたいと思います。

しっかりと自分を持ちつつ。

それではまた!

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