こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
友人からこんな言葉をもらいました。
Give it your all!
自分の持てる全てを、出し切ってこい。
ここでの「it」には、あまり意味はありません。
僕は大学生4年生の頃、最後の講演の際に、
と思って、踊ったショーケースがありました。
かの有名な漫画、スラムダンクの安西先生の言葉ですね。
技術も…気力も…体力も…持てるもの全て…
全てをこのコートにおいてこよう
今日は、僕が「フルコミットしたこと」について、話していきます。
死ぬ気で生きるとはどういうことか?
以前の僕は、空いている時間をできる限りリラックスすることに全振りしていました。
もちろん、「リラックスすること」それ自体は悪いことではなく、今でもサウナや美術館、公園に行ってはリラックスすることがあります。
ただし、当時の感覚はちょっと違いまして、簡単に言えば「ぐうたら」な生活を送っていました。
人生は1度しかないんだと多くの書籍から学んだ僕は、人生を根本から見直しました。
- 明日死ぬとしたらどうするか
- 今自分のやりたいことはできているのか
そんな自問自答を繰り返し、いよいよ教師を辞めることを決断します。
ただ、実はそれまでの1年(2022年)は、僕にとって次の年(2023年)を決める大事な年だったのでした。
それから、とにかく毎日を追い込んでみました。
僕は箕輪さんの「死ぬこと以外かすり傷」も好きです。
成功している人たちは、どうしても「天才扱い」されがちですが、彼らはとにかく死ぬほど努力をしていました。
そう思ったのがきっかけとなり、
- 試験を受けたり
- 文法の授業をしたり
- 人に会いに行ったり
- 修学旅行分のブログを書き溜めたり
と、自分のできる最大限のことをしてみました。
そうやって毎日を文字通り必死で生きたのは、生まれて初めてだったのかも知れません。
確かに今までは、「それなりに頑張ること」はできました。
しかし一方で、「やり抜いたこと」はありませんでした。
しかも、
- 人のために
- 自分のために
何もかも投げ打って時間を費やしたのは、本当に初めての経験でした。
やってみてから、初めて分かったことだったのです。
全てをぶつけると何よりも輝く
僕が命を燃やすように生きた1年は、今までの人生で一番「生きた心地がした時間」となりました。
もちろん、
- ビーチに座ってのんびりと
- 大自然に触れて感動しながら
「生」を感じることだってあります。
「静的」な「生の感じ方」ですよね。
一方で多動な僕は、死ぬほど行動してみたことで、
と感じたこともありました。
まるでサメとかマグロみたいな感じですかね笑。
自分自身、これほどまでに一所懸命になれたことはなかったために、やり切った感もさることながら、また次に繋げたいと思う原動力にすらなりました。
そうやって行動ばかりしていたら、エンタメを楽しむ時間なんて残されていません。
テレビやゲーム、YouTubeを見てる時間すら惜しいのです。
でもやっぱりそのほうが、「自分の人生を生きている」と思えるようになったのは間違いありませんでした。
全てをぶつけるということは、文字通りです。
それ以上でも以下でもない、ただ全力投球し続けることです。
そうして初めて、見えてきた景色がありました。
- 人に感謝されたこと
- 人生はもっと輝けるということ
- 自分の限界にウソをついていたこと
自分の持てる全てを、そこに置いてくること。
これは、やってみないとわからないものです。
僕は不器用なので、0か100かしか生き方がわかりません笑。
しかし自分の「100」を投入して(した気になって)初めて、まだ余力があることがわかるのですから、人間とは面白いものです。
今までしてきた言い訳が全部なかったくらい、もっともっと誰かのために行動し続けました。
こんなに尊いことは、なかなかできないものです。
- 仕事でも
- 部活でも
- 副業でも
- サークルでも
なんでもいいです。
自分の持てる全てをぶつけてみてください。
自分が壊れない程度で。
と、気づくはずです。
全力を出してひたむきに行動し続けている人は、誰よりも輝いて命を燃やしていけるのです。
自分の全てを与えよ
「Give it your all!」
この言葉を聞いた時に、もう1つの言葉が浮かび上がりました。
When you give yourself, you receive more than you give.
サン・テグジュペリ
「あなた自身を与えれば、与えた以上のものを受け取るだろう」
ここでのポイントは、「自分自身丸ごと」という言葉です。
僕はこの言葉の意味が、今ならわかります。
自分の持てる全てを与えるということは、多くのものを犠牲にします。
- 時間
- お金
こんな気持ちが先行していた時の僕は、自分の全てどころか1%も与えていなかったと思います。
当時、何かしら形としては与えていたかも知れませんが、根本的なマインドは「貧乏/欠乏マインド」でした。
しかし、自分の持てるものを全て与えた時、信じられないほどのバックを受け取ることができました。
とてもシンプルなことでしたが、気づくことができていなかったのです。
それを知るためには、命を削るくらい誰かのために生きてみることです。
そうすればその命は輝きを増し、人々の目にとても眩しく映ります。
眩しい光に惹かれ、熱量を受け取った人たちは、必ず何かの形で感謝をしてくれます。
僕はそれを望んでいたわけではなかったのですが、自分の持てる全てをその場に置いてこようとする姿勢は、どうやら周りの人々には稀有(けう)な存在として映ったようでした。
命を燃やしていれば、その眩しさゆえに多くの人の目に留まるからでしょうかね。
もちろん、それを目的としていては「承認欲求を満たしたいだけ」になってしまいますから、注意が必要です。
僕が知りたかったのは、
という、シンプルな「幸せの探究」でした。
結果は言うまでもなく、多くのものを手に入れることができました。
それは富でも名声でもなく、「愛」と「幸せ」でした。
人生で愛や幸せを感じることができたら、それだけで生きる価値を感じることができます。
ただし、1つだけ大切なことを言います。
それは、自分の全てを先に与えるということです。
先に「自分の持てる全て」を置いてこようとすれば、必ずそれ以上のものを受け取ることができます。
これは、僕が知りたかった答えでした。
長い時間をかけましたが、「これは真理だ」と思わざるを得ない結果となりました。
だから僕は、今を一所懸命に生き続けていくと決めています。
- 全てを置きに行くくらい
- 命を燃やし尽くすくらい
自分自身を全て、与えてゆくのです。
おわりに
- 全力で生きる
- 死ぬ気で生きる
頭では分かっていても、なかなかできないのが人間です。
僕だって、ぐうたらな時期がありましたからね。
人によってタイミングだったり、友人に気付かされたりと、マインドが変わる時期はわかりません。
1つ言えることは、
「頭で分かった後に、行動できているかどうか」
が大切だということ。
自分の全てを差し出せる環境なんて、あまりありませんからね。
みなさんも「持てる全て」を、そこにおきに行ってみてはどうでしょうか。
見たことのない景色を見ることができるかも知れませんよ。
それではまた!
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