こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
いろんな生徒さんと毎日話していますと、たまに、
とか、
とか言われたりすることがあります。
「ネガティブ情報をとらない」ということについては、以前から書いている通りではありますが、僕はいまだにテレビは見ませんし、世界の情勢、いや日本の情勢にすら疎(うと)いです。
「コロナ以前からコロナ禍」くらいまでは、たぶん誰よりもニュースを見ていたと思いますが笑。
なんというムダな時間笑。
今日は「情報の取捨選択」について書いていきます。
要らない情報は取りに行かない
僕がなぜテレビを見るのをやめたのか。
それは以前から書いている通り、
- 時間のムダ
- 人生に意味がない
- ネガティブ情報ばかり
だと思っているからです。
真っ向からこの意見に反論してくれる人がいたら、ぜひ議論したいのですが笑、
- 最近の若い子はほぼテレビを見ていない
- 僕の周りの友人たちもほとんどテレビを見ていない
ので、多くの人は僕の意見に賛成していると認識しています。
もちろん、世の中には正解なんてありませんから、「テレビを見ていない僕」が正解だとは言い切れません。
あくまで僕自身の感想であり、あとは個々で判断すればいいのかと。
しかしたまにですが、不思議そうに疑問を投げかけてくる人もいます笑。
と。
僕は当然のように、「時間のムダ」と伝えます。
というより、テレビを見ている暇(ひま)がないのです笑。
別に偉ぶるわけでもなくて、
- 仕事して
- 勉強して
- 人と会って
いたら、テレビに割いている時間がいかにムダな時間かが、自然とわかってきます。(というより取れない)
そして何より、「要らない情報」ばかりなのです。
ネガティブな情報が多いですし、
と言われたこともありません笑。
実際、損したどころか、もっと自分の人生に集中できるようになりました。
ネットでも情報収集はしません。
ムダだからです。
今までで、
と言っている人を見たことがありません笑。
みんな適当にテレビを流して見ていた時代があったのは、そこでしか情報を得ることができなかったからでした。
ネットでもニュースは見られますが、個人的には、
と断言できます。
- テレビを見るのをやめてから
- ネットで情報をとりに行くのをやめてから
本当に人生が楽しくなりました。
それくらい、「不要」な情報なのです。
情報格差で見下さない
インドで「とあるインド人」と話した時も、同じことを感じました。
僕は人より知っていることも少ない「非常識人間」だという自覚があるのですが笑、今では「知らないこと」を別に不思議に思わなくなりました。
それこそ、「ムダな情報」を知っていることで偉そうにしている人を見ますと、
と思うようにすらなりました。
人と人の間には、必ず情報のギャップがあり、それを埋めるのがコミュニケーションです。
とギャップを埋める作業があるからこそ、コミュニケーションは成り立つし楽しいですよね。
僕は最近のことにも疎いですし、日本を揺るがすような事件や災害が起きても気にしません。
こう言いますと決まって、
と怒ってくる人がいます笑。
僕は逆に聞きたい。
と。
この質問に応えられた人を、今まで見たことがありません。
当時、ニュースを見まくっていた僕ですら、答えることはできませんでした。
つまり「自分が知っている」ということが、何かしら優位に立っていると、勘違いしていたのです。
テレビを見続けていれば、ある程度情勢についてはわかりますが、テレビの情報操作によって「見せられている」ということも同時にわかります。
その自覚がなさすぎましたね。
また「ネットニュース」に関しても、実は同じです。
結局は「みんなが見てくれるもの」を、発信者側は発信したいからです。
そこで得られた「情報の格差」なんて幻影であり、自己満足でしかありません。
その情報を得て、あなたは一体何がしたいのか。
この質問に答えられないのであれば、その情報はみなさんに何ももたらさない、それどころか脳のリソースを埋めるだけの、ジャンクな情報でしかないのです。
欲しい知識だけはちゃんと聞く
一方で僕は、
- 生徒さんがどこ出身なのか
- 生徒さんの興味のあるもの
などは必ず聞くようにしています。(もちろん友人も)
- お互いが知っているものであれば話が弾み
- 僕が知らないものであれば興味を持って話を聞くことができる
からです。
わからないことがあれば、その時点でGoogleを使って調べます。
僕個人としては、
と感じており、そこに価値を感じています。
確かに、好きなアニメやアイドルグループ、その人の生まれ育った土地などは、知らなくても別に僕の人生には何の問題もありません。
ただ、一度でもそれを知っておきますと、他の人にも応用が効くのでそれがいいのです。
違います。
先述した通り、まずニュースやテレビを見ている人がそもそも減ってきているのが現状です。
特に学校の先生をしていた時は、生徒の前で偉そうにニュースの話をしていた「若かりし頃」もありましたが笑、話になんの広がりもありませんでしたし、生徒もポカンとして聞いていました。
僕の予想でしかありませんが、たぶんみなさんも友人と会って、
と話をしても、全く楽しくないと思います笑。
なぜか。
それは自分にあまりにも関係がないからです。
話に発展性がありませんし、仮に自分に関わること(円安や政策など)だとしても、
と、「今していること(投資や副業)」にフォーカスを当てるのではないでしょうか。
仮に自分に関わることだとしても、大きなこと(事件や震災)であればあるほど、自分にはどうしようもできないという現状が待っています。
だったら、そんなものは見なくてもいい。
というより、どう考えても手に入れるメリットがないのです。
それ以上に「今話している目の前の人」について知るほうが、僕にとってはよっぽどコミュニケーションスキルを伸ばす、良い手立てとなります。
今でも、僕からニュースや日本の話題を出すことはありません。(そもそも知らない)
相手が被災地近くに住んでいるのであれば、ちゃんと話を振って聞くようにしていますけれど。(募金もしています)
彼らから聞いた情報や、彼らにまつわる情報は「意味」を伴い、彼らの「像」を鮮明にしてくれます。
だから僕は、「人」についての情報は聞くようにしています。
それが僕にとって、「価値のある情報」だからです。
おわりに
僕らの世界なんて、実はそこまで広くはありません。
そこらへんの友達と話すのが精一杯で、日本中で起こっている事件を見る必要もありませんし、もっと言えばそれらは、僕らの人生にとってほとんど価値がないと言ってもいいです。
と言っている人がいたとしたら、今一度その情報が必要なのかを考える必要があるかと。
今は「情報過多」の時代です。
自分で取捨選択できなければ、時間や認知資源をムダなことに費やすことになりますよ。
それではまた!
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