こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕が教師を辞める前も、辞めてからも、多くの人とお話しさせていただく機会がありました。
とたくさん聞かれましたが、ブログでも書いている通り、
- 人生が一度しかないこと
- 明日死ぬと思ったら今できることをしておきたいこと
などが理由としてあげられます。
今日は「選択すること」について書いていきます。
自分を俯瞰してみること
みなさんの中にも、僕よりも大きな決断をしている方はたくさんいらっしゃるでしょうし、あるいはこれから大きな転換点を迎える人もいるかと思います。
僕が大きな決断にいたったのは、自分の人生をもう一度見つめ直した時でした。
それはコロナ禍で、たっぷり時間があった時です。
教育は好きですし給料も悪くない。
このまま順当にいけば、休みの日も会いたい人に会いに行けるし、何不自由ない生活が待っている。
人によっては、
と思う人もいることでしょう。
あるいはご家庭があったり、親との関係性から、そのような形をとる人もいるかもしれません。
ただ僕は、このまま人生が終わりを迎えた時に、
と考えるようになりました。
すごく単純に「自分の残りの人生」を計算した瞬間、
「ずっと変わり映えのない人生が続く」
と思ってしまったのです。
果たしてそれでいいのだろうか。
いえ、人生はどんな出会いがあり、どんな運命があるかはわからないものです。
今まで携わってきた教育で出会った生徒や先生たちも、僕の人生を大きく変えてくれました。
でもここで、今まで自分が過ごしてきた生活とは大きく違うライフスタイルを選択しない限り、自分の人生に「劇的な変化」を与えることはできないのだと感じました。
長いようで短い人生。
今はまだ30代。
体も動くし、感じるものも違うはず。
一度自分の人生を大局的に俯瞰して見ることで、自分のターニングポイントに目星をつけ、変わろうと行動することができます。
もし迷い悩んでいる人がいれば、
「人生の終わりまで、上からザッと眺めて見ること」
をオススメしますね。
思考停止にならないこと
僕も含めて誰もが、
と考えるものです。
それは、自信があれば後悔しないものなのでしょうか。
後悔しないためには、「特に何も要らない」と僕は思っています。
まず第一に、この世に自分の意志とは反して生まれ落ちた時点で、もう「自分の人生は自分のもの」だからです。
自信も何も、
「自分の人生を自分で決断すること」
に、なぜ後悔があるのでしょうか。
そうですね。
僕も以前はしょうもない生活をしていましたから、後悔をしてきたこともありました。
そこには何の考えもなく、
- 人に言われるがまま
- 社会通念に流されるまま
に生きてきた自分がいたからでした。
僕が後悔した時は、「自分の頭で考えていなかった時」だったのです。
「思考停止状態」になった時、人生は終わりを迎えます。
基本的に他人(あるいは社会)に依存した状態となり、自分の人生を放り投げていると言っても過言ではありません。
以前の僕は、まさにそうでした。
しかし教員人生の後半のほうは、自分の人生について考えながら、できる最大限の楽しみ方をしてみました。
すると人生は鮮やかさを増し、
と、より強く思うようになりました。
一度人生を俯瞰した後、
- 慎重に
- 丁寧に
- そして深く
「これから取るであろう選択」について考えること。
今までの人生でも、
- 高校入試
- 浪人
- 大学入試
- 大学院入試
- 教員採用試験
- 結婚
- 離婚
など、人生を「選択」してきましたが、ここまで大きな決断(退職)を下したのは初めてのことでした。
それでも、思考停止状態から解放され、
そう思えた自分に、並々ならぬ「生」のエネルギーを感じました。
世の中の偉人たちは、他に惑わされることなく、自分の人生を生きてきたのでしょう。
僕も彼らのような、オリジナルな人生を生きていきたい。
みんなそう願っているはずなのに、どこかでグチをこぼしていたら、実は誰かの意図に沿って生きているのかもしれません。
もう一度考え直せば、きっと新たな光が見えてくるはずです。
全力を尽くせば後悔なんてない
たくさん考えて選択した時点で、もうすでにほとんど後悔はないかと思います。
それでもまだ迷うようであれば、それは全力を出しきれていないということになります。
僕が2022年に、
- 自分のできることに精一杯挑戦してみたり
- いろんなコミュニティの人といろんな場所で会ったり
していた頃、その選択が間違っていた可能性も大いにありました。
でも自分がその選択をした際に「全力をかけてみること」で、選択したことに「後悔」を感じる場面がほとんど現れなくなりました。
時には、選択自体が間違っていることもあります。
いえ、「間違っている」というよりは、
と、後々になって感じることがあるというだけですね。
シンプルに、「自分の思い描いていたものとは違った」というただそれだけのことです。
それもまた、全力を出した上で感じたことであれば、僕は「後悔」の部類に入れなくていいと思っています。
- 選択して
- 挑戦して
- 頑張ってみて
- 合わなかった
このプロセスを繰り返していくことで、「選択」それ自体に重みが増していきます。
段々と、自分の今できる「最良の選択」をするようになるのです。
誰もがこの繰り返しをしてきたわけですし、僕は「3」の「頑張ること」ができなかった時代もありました。
しかしその繰り返しを経て、自分も人生を俯瞰できるようになりましたし、もっと人生を設計していきたいと思うこともできました。
人生は一度しかないですから、やってみなければわからないことだらけです。
それなら、みなさんがしている「その選択」に間違いがあるとは思えません。
あとはひたすら全力を投入してみて、それでも何かが違うのであれば、根本的に合っていなかったのでしょう。
全力を尽くしたのであれば、次のためのステップになったと思って、また歩き始めればいい。
僕が大きな決断にいたれたのは、こうした過去の挑戦や失敗、頑張りきれなかった時代があったからこそだと思っています。
おわりに
こう言われることは多いですし、僕自身もそうだと思っています。
しかし、意識的に「大きな決断をした」とは思っていません。
人生は人それぞれですし、
「波瀾万丈な人生を送っている人」
は世の中にごまんといます。
ただ、そんな人たちはなぜか決まって魅力的なのです。
何かそれだけでも、大きな価値があるように思えているからこそ、僕は旅に出ようと決断したのだと思います。
その選択が間違っていたかどうかは、1年後の自分のみぞ知るといったところでしょう。
そのためにも全力で生きていきます。
それではまた!
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