とりあえずは全部一人でやってみること【僕が追い込み続ける理由】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

海外生活(と言ってもアジア)に少しずつ順応してきた僕ですが、やはり「悠々自適な生活」とはいかないものでして、相変わらず自分を追い込んでやろうと思っています笑。

IT関係の副業(趣味)は、最初はとにかく時間がかかるものであり、このブログも1記事目にかなりの時間を割いた覚えがあります。

というより、まずは初期設定がしんどいっていう笑。

それでも、僕はまず「自分一人で挑戦してみること」にしました。

今日は「まず一人でやってみること」について書いていきます。

何事もまずは自分でやってみることだ。それから修正していこう。

最初はしんどいもの

何事も最初はしんどいものです。

  • (ほぼ)初の海外生活
  • バックパッカーの準備
  • 現地での過ごし方
  • YouTubeの動画編集とアップ

全て初めてのことでしたが、まずは「自分で始めること」にしてみました。

  • 自分で調べて
  • 自分でやってみて
  • うまくいかなければもう一度調べる

一見すると、

人に聞いた方が早いんじゃない?

といった状況かもしれません。

それでも、

まずは自分でやってみよう

そう思いました。(理由は後述します)

全てにおいて「初めて」はつきものであり、

  • 初めてをなくしていくこと
  • 初めてを体験していくこと

は同時に起こります。

世の中には必ず、いつまでも「自分にとっての初めて」が存在するものですから面白いものですよね。

最初は時間をかけてもいいです。

そうして知らないことに挑戦して、あくせくしながら学んでいっている自分のほうが、

なんでも知っているフリをしている自分

よりも生き生きしており、以前の僕より「生」に対して肯定的になっています。

「わかることばかり」に囲まれている時は、安心安全でとても心地よいものでした。

しかしそれは同時に、「知らないこと」が増えていくことであり、新しい発見は少なくなっていきます。

そんな自分でいいのかな…

と思えたこと。

そこがスタートでした。

だからこそ、「しんどい環境」にあえて飛び込んでみたいと思ったのです。

すると、自分がいかに無知で無力だったのかを痛感します。

でも、それが「先生だった僕」にとって一番大切なことでしたね。

どんどん知らない世界に飛び込んで行って、「しんどい経験」をしていこう

そう思ったのです。

「初めてのこと」はすべてしんどいに決まっている。そうしてしんどい経験をたくさんしていこう。初めてをなくして、また初めてを経験していくのだ。

まず自分でやってみる理由

何事もまず自分でやるようになったのは、

あえて面倒を経験したい

と思ったからでした。

面白い考え方かもしれませんが、こうして「面倒」を一度経験していますと、そのことに対する「耐性」がつきます。

そうしますと、わずかながらですか「その分野」に対して理解ができるようになります。

あぁ、これだけ大変な思いをしているんだな

と感じることができます。

YouTubeに関しましては、今の時代は「外注」や「チーム」が当たり前かもしれません。

それでも、僕は「自分でやってみよう」と思いました。

いかに毎日更新することが大変なのか

これを自分で体験してみたかったのです。

やってみると本当にしんどいものでして笑、

  • 編集技術の習得の大変さ
  • 分からないソフトの使い方
  • 動画を撮って編集してアップしての繰り返し

と、「やってみて初めてわかること」がたくさんありました。

普段から動画を見ている側としては、いろいろと文句もつけたくなるかもしれませんが、

いいからまずは自分でやってみろ

という気持ちが、今なら痛いほどわかります笑。

こんだけ大変なことをやっているんだなぁ

と思いますと、やはり自分でやってみてよかったと感じますね。

一度自分で「しんどいこと」に飛び込んでみますと、その後同じ境遇になった時に話が通りやすくなりますし。

自分でやったこともないことに対して、あぁだこうだ言うのはおかしな話ですから。

だから、まずは自分でやってみること。

それなしには、話が通じないどころか、その分野において相手の立場を理解することができません。

むしろその「面倒」を一度経験しているおかげで、意思疎通がより速く、深くなります。

だから僕は、まず自分でわからないことに対して何から何まで挑戦してみて、失敗してみて、また調べて…を、あえて繰り返しています。

その時間と経験は、何にも代え難いものです。

それに慣れてきて、

もっと自分の時間が欲しい

と思うようならば、それから外注したり、チームで行なったりするのがいいかなと思っています。

まずは自分で挑戦してみることだ。そうすれば、そのツラさやしんどさを理解できるだけでなく、自分の糧になる。

自分を追い込む理由

去年の2022年に自分を追い込めたのは、

環境が良かったから

これに尽きます。

  • 何不自由ない生活
  • 誰にも侵されることのない時間
  • 会おうと思えば会いに行ける友人たち

そんな中、

自分の限界は一体どこなんだろう?

そう考えて、自分なりに追い込んでみた年となりました。

今は「海外にいる」と言うだけで、「安心安全な環境」とは言えません。

それでも、自分がどこまでできるのかを知りたい

僕はそう思い、

  • できる限り続けてきたことは続けていき
  • 新しくできることは何事にも挑戦しよう

と思いました。

自分の限界を知ることで、もっと自分の可能性を知りたかったのです。

そして何より、

見てくれている人にとって、恥じることのない自分でいたい

その強い思いが、僕を奮い立たせました。

  • 生徒に
  • 友人に
  • 家族に
  • 仲間に

いろんな気持ちで送り出された3月と4月。

特に先生という職業柄(辞めましたけど笑)、誰よりも「僕が」頑張らなければならないと思ったのです。

世界を語るには、僕はまだまだ未熟です。

  • 1つの国について
  • 1つの作業について

これらすらまともにできない自分が、先生を語るには未熟すぎます。

しんどいことも初めてのことも、まずは自分が先陣を切って飛び込んでいくから、生徒も友人も背中を押してくれるのです。

「背中を見せる」ということは、「先を行くこと」を意味します。

しかし「先を行く」ということは、その背中を「押してもらえる」という意味でもあります。

僕が自分を追い込むのは、背中を見せたいからではなく、自分が「飛び込んでいく存在」だと認識しているからなのかもしれません。

近い人たちからでも構わないので、僕の生き様を見せて、そこから何かを感じてもらうこと。

僕が最前線で戦うことには、

  • 僕にとっても
  • 友人や家族にとっても

特別な意味があると思っています。

自分が前を走ることで、背中を見せることができる。そしてそれと同時に、人から背中を押してもらうことができるのだ。

おわりに

新しいことや初めてのことは何においてもしんどいものです。

それでも、その戦いを自分一人でしていくからこそ、周りも背中を押してくれます。

面倒を経験することで、より深くそのことについて理解することができますし、強くなることができます。

だから孤独ではありません。

みんなの思いを背負って、僕は最前線を歩いていこうと思います。

それではまた!

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