大切なことは言葉と行動と生き様【熱い思いは伝わるということ】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、ダンス部の生徒たちが、

新歓で踊るので見にきてほしい

と言ってきました。

ダンス部の子たちはとても上手くなっていました。

元勤務校に行きますと、

お!せいじだ!

と生徒から声をかけられ、ある生徒からは、

退任式のスピーチ、めっちゃ熱かったです

とも言われました。

先生、頑張ってね!

と握手を求められもしました。

僕の言葉も伝わったのだなぁ

と、グッときてしまいました。

今日は「想いと行動」について書いていきます。

熱い想いと行動は連動する。その生き様が熱ければ、想いは必ず伝わる。

熱い想いはどこから来るのか?

僕は特に「熱かった漢」ではありませんでした。

では、そのフツフツと湧き上がってくるエネルギーは、一体どこから出始めたのか。

自分なりに考えてみたところ、

  1. 熱を注げるものがあること
  2. 人の成長している姿を賞賛すること

このあたりが、僕の「熱」を構成しているのだとわかりました笑。

大きなところは、

  • 勉強
  • スポーツ

だと思います。

英語にダンスにランニングに…

と、真剣に何かに打ち込み始めてからというもの、想いや行動に「熱」が伴ってきました。

ただ以前の僕は、そこに「リスペクト」がありませんでした。

相手をバカにしていたわけではなく、小さなプライドがありましたので、

絶対に負けたくない!

という気持ちが強すぎたのです笑。

でも「先生」という職業に就いて、生徒たちが一所懸命に部活や勉強に打ち込んでいる姿を見て、

この姿が何よりも尊いんだよなぁ

と思えるようになりました。

人と一緒に成長していくこと。

熱は伝播(でんぱ)する」と思っていますので、一緒に熱くなることでより「自分の熱」が伝わるのだと思います。

ただし、

  • 優しく教えること
  • ワイワイやること

こうした表面上のことだけでは、本当の意味で熱くなることはできません。

「楽しい」とは、

できないことができるようになった時

であり、適当にワイワイやるだけで楽しくなるわけではありません。

「厳しさが必要」という意味ではないですし、温かい雰囲気で勉強や練習もしたいものです。

ただ、心の内に、

成長したい。上手くなりたい

という強い意志を持っておくこと。

その熱量が仲間と重なった時、リスペクトを持った「熱い想い」となるのです。

何かに真剣になることだ。そうすれば自然と想いに熱が帯びてくるようになる。

熱い想いは必ず伝わる

僕が体育館のステージに立ち、スピーチをしたことで、彼らに僕の想いが届いているとは思ってもみませんでした。

とても嬉しかったですし、

やっぱり想いって伝わるんだな

と思いました。

ただ、その裏付けとして「行動」がキーワードになってきます。

僕が全く行動をしていなかったら、どんなに熱いスピーチをしても彼らに届かなかったと思います。

特に「熱かったです」と言ってくれた生徒は、僕が体育館でダンスを練習している姿を見ていた生徒だったということもありました。

そういえば体育の授業でも生徒と一緒に走りましたから、他の生徒たちも僕のランを見ていましたね。

何かに夢中になっている、熱くなっている先生を見てくれたからこそ、その熱が伝わったのだと思います。

  • ダンスを練習していない
  • 英語の勉強なんかしていない
  • ランニングなんかしていない
  • 日本各地を旅なんかしていない

そんな人が、

世界を見るために学校の先生を辞めます!何か熱くなれるものを持ちなさい!

と言っても、誰も熱心に聞いてくれなかったことでしょう笑。

僕が熱い思いを持てたのは、そこに必ず「行動」が伴っていたからでした。

逆に言えば、「行動」さえあれば人に熱い想いは伝わるのだなと感じました。

この1年で、僕は本当にたくさんのことを経験させてもらいました。

普段から熱い想いを持って行動をしていれば、きっと生徒たちにも伝わる

行動したからこそ、熱い想いが溢れ出てくる。

熱い想いには、必ず行動が伴っている。

そう感じることができたのも、

先生の想い、すごく伝わりました。熱かったです

と、生徒に言われたからでした。

熱く活動を続けていれば、どこかの誰かが見てくれている

それをなんとか証明できたので、少し嬉しかったですね笑。

熱い想いを伝えるだけでなく、何かに真剣に取り組み、行動に反映させることだ。必ず誰かが見ているし、その想いは行動を通して伝わる。

背中で語るには先を進むこと

先生とは、

「先」を「生」きる

と書きます。

僕は意識的にこの行動をしていたわけではありませんでしたが、

やはり先生である限り、生徒たちにはずっと背中を見せていきたい

と思ってはいました。

その想いは、先生を辞めても変わることはありません。

彼らに恥じることのないような、そんな人生を生きていきたい

そう思って生きていますと、

毎日を頑張らなければならないな

と思わされます。

熱い想いが伝わるのは、僕が一所懸命生きた時です。

熱い想いは「伝えたい」と思うことも大切ですが、何より「伝わるもの」であるとも思ってます。

それは、僕が生徒たちの「先を走るからこそ」見せられる背中であり、その背中を見せられたからこそ生徒たちにも熱が伝わりました。

ただ「先を生きる」とは、別に「新しいことをやっていればいい」というだけではありません。

いつまでも挑戦者であり続けることであり、熱い気持ちを持ち続けることです。

たまには休んだっていいと思いますが、僕に残されている時間はそこまで長くありません。

いつ死ぬかもわかりませんし、今後何が起こるかも読めません。

だから毎日を必死に生きること。

これが「先を生きること」だと思うのです。

文字通り捉えれば、「前を走ること」なのかもしれません。

ただ、それは少し抽象的な表現でわかりにくくもあります。

だからわかりやすく、

「自分のできる精一杯のことをして、生きていくこと」

これに徹することが、今の僕にできることなんだなと。

それが生徒の模範になったり、彼らに熱いと思わせられたりすれば、それでいいんじゃないかなと。

熱い想いは、必死に生きた人間から発せられます。

その人間が前を向いて挑戦し続ければ、自然と模範になるでしょうし、その熱い想いは伝播します。

背中で語るというよりは「生き様」です。

無理に前を走ろう走ろうとする必要はありません。

頑張っている姿(行動)が、彼らには力強く鮮やかに映るのです。

背中を見せるためには、先を生きていこう。それは一所懸命生きることであり、その生き様は熱となって必ず伝わる。

おわりに

まさか自分が退任式で話したことが、生徒に伝わっているとは思っていませんでした。

生徒は意外にも、先生たち(大人たち)のことを見ています。

僕らがどう振る舞うかで、

「下の世代の子たちがどうなっていくのか決まる」

と言ってもいいくらいです。

「模範を示す」とは、どこか高尚なことのようにも聞こえますが、実際はシンプルに「頑張っている姿」を見せることだと思います。

一所懸命やっていれば、その熱は必ず伝わってゆく。

僕にはそれがわかりました。

だからこれからも、毎日を一所懸命生きていこうと思っています。

それではまた!

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