こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
さて、今日でいよいよ900記事目となります。
海外に出た当初はどうなることかと思いましたが、なんだかんだ言ってここまで書いてくることができました。
海外に来ていろいろと考えていたのですが、
とも思っています。
それだけ今は、新しい事業や「お金を稼ぐこと」にワクワクしており、ブログの時間を使ってでも新しいビジネスをやりたいと感じているのです。
今日は、900記事まで続けてきて感じたことを書いていきます。
900記事を書いてみて
単純に感じたことは、
という「感心」でした笑。(我ながら)
海外に行っても毎日欠かさずにブログを書いてきたわけですが、先述した通り、
と思ったことは何度もありました。
ただ、過去の記事を引用したり、振り返ったりするたびに、
と思い返すことが多々あり、その時の熱い感情が甦ってくることがありました。
その時の、
- 情熱や高まり
- 苦しさや嬉しさ
など、ありとあらゆる「生の声」が、今の僕を感化し、また前へと進めてくれていることも事実でした。
何度も何度も自問自答しましたが、
「意地になって続けている」
という感覚は一切なくて、
と思ってやっていました。
以前にも何度か書きましたが、やはりアウトプットしていけば行くほど、自分の信念や考え方が一点に集中していくことがわかりました。
また、
を、毎日考え直すことができるようになりました。
簡単に言えば「900回分」だけ、自分と真剣に向き合ったわけであり、それはみなさんが、
- 何かを書き出したり
- 自分の思考を整理したり
している行動と何ら変わりありません。
ある意味、毎日「自分と向き合う時間」を確保していたような、そんな感覚です。
そのおかげで自分が救われたこともありましたし、この「記事たち」のおかげで繋がれたこともありました。
ブログで稼げているわけではありませんから、
と言われても仕方がないかもしれません。
ただ、
- 僕にとっても
- 何人かの友人たちにとっても
影響がありましたので、やってきて良かったなとは感じていますね。
アウトプットしてきたことは裏切らない
僕はたくさんアウトプットしてきたわけですが、この作業は意外と多くの人が「やっていないこと」だと思っています。
だからどうと言うことではなく、単純に、
と感じるようになりました。
ある程度聞かれたことにはすぐに答えられますし、
と、何度か似たようなテーマで書いた場合は覚えていることが多いです。
アウトプットがお金にならないような「雑記ブログ」をしている僕は、ちょっとした変態というよりバカ野郎なのかもしれませんが笑、やはりやってきてよかったと言い切ることはできます。
人のためにならないことであっても、ご自身で、
- メモしたり
- 思考を整理したり
している人はたくさんいます。
僕は、
- 思考の可視化をし
- ブログという形に落とし込み
- 多くの人に考え方や感じ方を伝えている
という形をとっているに過ぎません。
ただ、海外に来てから、
と思ったことも事実であり、
と改めて思うようにもなりました。
1,000記事目はいろいろと考えることになるかと思いますが、それはその時に考えればいいことです。
しかしここまで費やした「思考や意見」の整理の時間(=過去)は、僕を本当の意味で強くしてくれました。
記事内容の賛否はどうあれ、
ということを公に宣言し続けてきたこと。
それ自体が、今までの僕にとっても全くできなかったことであり、人生に対する態度を大きく変えてくれました。
どんな形であれ、正解とはこの世の中に存在しません。
かと言って適当にやっていいものでもありません。
でも一つ言えることは、真剣に取り組み続けたという、ただそれだけのこと。
この姿勢は今後の僕の人生を大きく変えるはずですし、どこかで必ず支えとなって僕自身のことを助けてくれると信じています。
ツラさよりも意味があることを選んだ
- 日本にいても
- 海外に来ても
僕はひたすらゴリゴリと記事を書き続けました。
時差のある中で続けることはしんどく、移動の日もありますので、Wi-Fiなどのネット環境に関しても敏感になっていました。
これが僕の「問い続けた疑問」でした。
それでも続けることができたのは、
という思いがあったからでもありましたが、それ以上に、
そう、自然と感じるようになっていたからでした。
こうして記事を書いている今も、様々なことを考えては整理して、
- 今の
- 今後の
人生を模索しているのです。
この作業は先述した通り、多くの人が避けるものです。
僕はそれを継続し、たくさん自分と向き合うことができました。
「人生について考える時間」を、この2〜3年で死ぬほど取ってきたということなのです。
書いている時は眠くてツラいかもしれませんが笑、過去の記事を見直しますと、その時の思考が鮮明に甦って来ます。
それが意味のあったことなのかどうかは、いちいち考えなくていいのかなと。
そのプロセスを踏んできたこと自体が、とても大切なことだったからです。
ずっと自問自答し続けてきた900日。
数字で見るとちっぽけですが、この数字の中には数え切れないほどのドラマがありました。
思考の変化は細かく描写されていますので、それによって当時どう考えていたのかをすぐにイメージすることができます。
「人生において意味があるのか」を問い続けてきたということが、ある意味「意味のあったこと」ではないかなと思っています。
そう思えるくらい、必死になれたということ。
必死になれることならば、意味のあること。
その「必死さ」が、未来の僕へと繋がっていきます。
何年か経った後に、意味の「あった」こととして、僕の人生を豊かにしてくれるパターンもあります。
何がどう繋がるのかわからなくても、真剣に取り組んだことは人生の糧となる。
今後は違う方向に舵を切っても構いません。
それもまた、たくさん考えて決めたことなのですからね。
おわりに
たくさんアウトプットしてきましたが、僕は海外でもこうして「継続できていること」に本当に驚いています。(自分のことだろ笑)
これからもまた頑張って続けていきますが、それはきっと自分の思考整理の手助けになるはず。
自分を信じて突き進んでいきますね。
それではまた!
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