時には立ち止まったっていい【何もしない一日を作ろう】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

せいじと言えばストイックであり、毎日何かしらやっているように見えますが、兄夫婦の家に居候している間は、かなりリラックスしている状態となってしまいました。

ほ、本当にこんなんでいいのか?

去年の2022年から「休むこと」が苦手になってきた僕でしたが、雨の降りしきるアメリカで、

あぁ、この150日間で、あまりちゃんと休んでこなかったのだな

と思い知らされました。

今日は「たまに休むこと」について書いていきます。

人間誰しも、急ぎ過ぎるとどこかでエネルギーが切れてしまう。力を溜める時期も必要なのだ。

基本的に生き急ぐ姿勢

僕は2021年と2022年から、「生き方」の大きな方向転換をしました。

自分が限界を超えるまで挑戦したい

そんな思いから、頑張ることを決意し、ほとんど休む日もなく(サウナには行きましたが笑)、何かしらやるようにはしていました。

それが海外に来てから顕著になり、

毎日何かを伝えたい

という気持ちばかりが先行していました。

海外にいるからこそ「海外でできること」を探すことは、何も不思議なことではありません。

ましてや毎日更新している身からしますと、

何か…何かないか?

と思うのは当然のことですね笑。

しかしこれは難しいことでして、自分が日本にいて「普通に」過ごしていたら、容易に想像できるように「毎日何かをする」にも限界があります。

海外だろうと「定住する」ということを決めた場合、

  • 見られる景色
  • 訪れたい場所

などはある程度の限界がありますよね。

僕も横浜の「みなとみらい」などはよく行っていましたが、そりゃあ何度も行けば新鮮味は無くなってきます。

海外旅のいいところは、新しいところに行けば行くほど刺激があるということ。

これは誰にとっても一緒かと思います。

でも定住してしまえば、その新鮮味は薄れてゆくということです。

それだけ、僕が最初にこの「旅」に求めていたハードルは、高かったのかもしれませんね。

その姿勢や興味、それに伴う行動力は悪いことではありませんが、僕自身に対して、

ちょっと待った

と言うようになりました。

そんな急ぎすぎるなよ

と。

これができたのは、

  • カナダでいろんな人の家に泊めてもらい
  • 兄夫婦の家に滞在するようになってから

でした。

「旅」にもいろんな形があるのです。

進み続けることだけが正義ではありません。

特に先日は「雨」ということもあり、なおさら「家にいよう」と思わせる環境であったことも功を奏しました。

それがまた、僕にとっては新たな視点をくれるいいきっかけとなったのでした。

新しいことをしたがる姿勢は悪いことではない。ただ一度立ち止まることも大切なのだ。

居心地が良いことを改めて実感

日本にいた時も、「変わらない環境」に対して「いい意味で」心地よさを感じていました。

  • サウナ
  • 美術館
  • 人と会う

などして、本当に充実させることができました。

何より「国内」でしたし、定住していたアパートもありましたから、外泊にさえ慣れてくればフットワークを軽くすることもできました。

今回、アメリカの兄夫婦の家にお邪魔しているわけですが、カナダで泊めていただいた時以上に、心地よさを感じています。

それは比べているわけではなくて、シンプルに「親族だから」です笑。

久しぶりの「実家感」が、僕の心も体も癒してくれました。(海外だけど笑)

雨なんて降ろうものならば、

よーし!一日中YouTubeでも見るか!

「いや!いかんいかん!」となるくらい笑、先日は「特に何かをしよう」とは思いませんでした。

でもそれがまた良くて、

あぁ、今までの自分は本当に自分を追い込んでいたんだな

と思ったのです。

だから一度、こうして数日をかけて「旅のツラさ」を癒す時間が必要だったのだ、と。

旅をしていますと、細かいことが気になります。

  • 洗濯物
  • お金の計算
  • 次の宿泊先
  • 次のフライト

など当然のことですけれども、やはり落ち着けませんし、ほとんど毎日自分の手で次の日程を決めて行動していかなければなりません。

それが今回、パタリと止んでしまいましたので、

ん?なんだか居心地がいいぞ?

と感じたのでした。

これ、本当に日本に帰ったらめちゃめちゃ居心地が良くなるんじゃないか?

と思うくらい「どこかに定住すること」は、僕の生活を楽に感じさせてくれました。

こ、こんなにイージーモードになるのか…

日本にいた時も「気持ちのいい生き方」はしていたつもりでしたが、こうして「ツラい旅(≠イヤな旅)」をしてみますと、本当の意味で「リラックスできる場所の大切さ」がわかるようになったのです。

生き急いでいた「せいじ青年」。

雨の日、一日中家にいて感じた「立ち止まる」ということ。

時にそんな時間が必要なのは、「リラックスできる環境」に改めて感謝することができるからなのかもしれませんね。

必死に生きることも大切だが、時に長い時間をとって自分のリラックスできる環境に身を置いてみよう。それが改めて「感謝」することを教えてくれる。

チャージして、また次へ。

「立ち止まること」の重要性がわかったのならば、その時間を大切にすることです。

その上で、また次へと進んでいくこと。

  • 旅の
  • 人生の

面白いところは正解がないということ。

それぞれにそれぞれのペースがあって、見たい景色(=登りたい山)が違います。

僕はどこかで、

あの山の頂上へ早くいかなければ!

と思い込んでいました。

そのためにすごいスピードを出していましたから、ガス欠を起こすのは当然のことです。

ある意味、自分自身がペースメーカーです。

ペースを考えなければいけませんよね。

カナダやアメリカでゆっくり滞在しようと思ったことは、僕が無意識のうちに選んだことなのかもしれません。

そこでさらに、

ゆっくりしていきなよ

と実際に言われたことは、より僕の旅の速度を大きく変えてくれたのだと思います。

一所懸命走り続けることはカッコいいことでもありますが、一方で知らない間に自分を酷使していることもあります。

日本にいるワーカーホリックのように、いつの間にか燃え尽きて、気づいたら命を絶つ寸前だったという人も多くいます。

僕の場合はそこまで深刻なものではありませんが、

自分で気づけていなかったこと

があったことに『気づくこと』ができました。

人生には山や谷があり、時には「休むこと」も大切なのです。

僕が学生時代によく見ていた野球アニメの「メジャー」でも、主人公がバカみたいに努力するので、コーチが、

休むのもまた練習のうちの1つだ

と、彼を強制的に休ませるシーンがあります。

そのおかげで、主人公は逆に爆発的な力を発揮するのです。

僕はこのシーンを思い出しました。

僕の旅も「あと少し」というところですが、あまりにもそのスピードが速かったので、もしかしたら後半のどこかで燃え尽きていたかもしれません。

今はゆっくりし過ぎていますが笑、

こんな暮らしもまたありだな

と、今の生活それ自体を楽しめています。

時には休んだっていい。

止まったっていい。

その後の目標に向かう熱量さえあれば、そんな時間もまた必要な時間なのです。

人生は長い。どこかで立ち止まったり、ゆっくりしたりしてエネルギーを溜めていこう。そうすればその後も走り続けることができるのだ。

おわりに

僕みたいな「バカ正直に頑張り続ける人」は、少しばかり危険でもあります。

そんな人は時に休んでみましょう。

進んでいない自分…何やってるんだろう?

そうではなく、

これも必要な時間なんだ

視点を変えてみることです。(本当に頑張れていない人は頑張れ笑)

僕の旅もまだ続きますしね。

頑張り過ぎず、一方で先を見据えて進んでいきましょう。

それではまた!

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