30代が普通ではないことが個性だと思う理由【異常性=個性】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

以前「偉人たちも実は凡人だった」という趣旨の書籍である、「ORIGINALS」を読んだことを記事にしました。

僕自身は当然のことながら、

  • 凡人中の凡人
  • 一般ピーポーの王道

ですが、実はかなりの「変態である」ということがわかりました。

  • 息をするように継続したり
  • 息をするように運動したり
  • 息をするようにブログを更新したり

する点は、どうやらかなり「変態の部類」に分類されるようです笑。

先日、継続の鬼でありかつスーパーストイックな同志とお会いさせていただきましたが、彼もまた「変態的」なストイックさを持っており、

「なるほどこれは常人ではないな笑」

と思ったのでした。

今日はそんな切り口から、人はそれぞれ異常であるという少しおかしな話をしていきます。

「自分は普通」はありえない

「僕ほど真面目かつ普通の人間はいないだろう」

そう思って、小・中学性時代はその存在をかき消して生きてきたのですが笑、お笑いを学んだことをいいことに、少しだけ自分をオープンにできるようになりました。

とはいえ、僕は高校大学時代くらいまで、自分ほど普通な人間はいないと思い続けてもいました。

しかし、社会人になっていろんな方々と出会ってみますと、

  • 「継続の仕方が異常」
  • 「スベっているのに笑いを取りにいくメンタルが信じられない」
  • 「ずっとしゃべっているけど、黙ってられないの?」
  • 「ずっと動いているけど、止まってられないの?」
  • 「どんだけダンス好きなの?」

と、自分は明らかに人とは違うのだなということを実感してきました笑。(気づくのが遅い)

これは実は、とても当たり前のことだということにも、同時に気づきました。

僕は自分のことを「凡人だ」とは思っていますが、「自分は普通なのだ」とは思わなくなってきたのです。

むしろみなさんにとっての「普通」とは、一体どういった状態を指すのでしょうか。

  • 周りの人と一緒の行動ができる。
  • 大学を出て社会人になっている。
  • 平均的な所得で、平均的な生活水準で暮らしている。

これは「普通」なのではなく、単に「大多数である」というだけです。

もちろん、僕はこのような「要素」を持ってはいますが、だからと言って僕が「=普通の人」というには、定義があまりにも広すぎます。

一方で、僕の「変態的な部分」をみて「すずきに比べれば、自分は普通なほうかな…」と思う人もまた、少し考え直してみてください笑。

僕からすれば、あなた方は十分「変態」です笑。

もちろん「いい意味で」です。

  • 楽器が弾ける。
  • 歌が上手い。
  • ジムに通っている。
  • バイクが好きすぎる。
  • 登山をする。
  • 動物の生態に詳しい。
  • プログラミングが書ける。
  • ハンドメイドができる。
  • TVゲームが上手い。
  • 服にこだわりがある。

こんなこと、僕からすれば「変態の領域」です笑。

だから裏を返せば、僕自身も「普通」ではないと言えるのです。

みんなちがって、みんないい。

これは金子みすゞさんの、「私と小鳥と鈴と」という有名な詩の最後の一文です。

小学生の時に教科書で読んだものの、その真意を深く考えずに生きてきました。

しかし今では、この言葉が身に沁みますし、よく理解できます。

みんな悩んでいて、みんな違って、それぞれが必死で生きている。

世の中に「普通」は存在しません

あるとすれば、それは「大衆が作り出した幻影」でしかないのです。

「自分が一番普通だ」と思っている人は注意が必要だ。「普通」とは誰も定義することができないからだ。

自身の異常性を個性と認める

みんな普通ではないのですから笑、他人が持つその「異常さ」からヒントを得たい人は世の中にたくさんいます。

僕は1年前、

  • お金に対する知識「0」
  • ランニング経験「0」
  • 読書経験「0.3」
  • サウナ経験「0」
  • 美術館経験「0」
  • ブログ経験「0」

くらいのレベルからスタートしました笑。

それから読書やネットでの調べ物、経験ある人たちから学ぶことでそれらを「0」から「1」にすることができました。

その時ほど、「その道の先駆者達」に感謝したことはありませんでした。

だから僕もブログで発信することで、「何か人の役に立てることはないか?」と思うようになったのでした。

誰もがお互いに足りていない部分があり、それを埋め合わせるように社会は成り立っています。

  1. みんな同じで、
  2. 凹凸のない、
  3. 均質で、
  4. いわゆる「普通」の社会

であれば、誰も「他人に求めるもの」がなくなってしまいますからね。

みんな必ず「異常性」を持っており、それこそが「普通」の状態なのです。

意外にも、この点に気づけていない人が多いです。

僕もそうであったように、

  • 「自分は普通だから」
  • 「自分は変ではない」
  • 「自分はまともだと思う」

思い込んでは、自分に言い聞かせています。

この考えを持っていますと、

  • 自分の行動に制限をかけたり、
  • 自分らしさを発揮できなかったり

します。

せっかくの「異常性」が失われてしまうのです。

これを言い換えて、「個性」と言います。

結果的に「個性」が失われているのです。

本来はこの個性を、大切にするべきなのです。

とはいえ、

「自分は人と違うから直さなきゃな…なんか萎えちゃうな…」

と思ったことは、僕にも何度もありました。

  • 思考より先に言語が出てきてしまう。
  • じっとしていられない。
  • こだわって続けてしまう。

といった点です。

だからこれらを、

  • → 沈黙を埋めることができる。
  • → 行動力がある。
  • → 継続力がある。

置き換えてしまうことにしたのです。

  1. 自分が普通ではないことを認め、
  2. 自身の異常性を「個性」とし、
  3. それを磨いていくこと。

この立場に立てるだけで、どんどん自分の能力を伸ばすことができます。

みなさんも「普通」ではありません笑。

それはとても良いことであり、画一化された集団から抜け出している証拠です。

そのまま個性を伸ばしていきましょう。

「異常性」=「個性」である。その存在を認め、磨き、伸ばしていこう。

他人との違いを認められるようになる

自分が「異常であること」に気づき、認めることができてきますと、

  • 自分に自身が持てるようになる。
  • 自分の存在価値を認められるようになる。
  • 自己肯定感が上がる。

といったメリットがあります。

さらに、

相手との違いを認識し、尊重できるようになる

とも思っています。

「自分は普通だ」と思い込んでいる人ほど、自分の勝手な「常識」を、相手に過剰に押し付けようとします。

そういう社会は結果的に、誰もが生きにくい社会となってしまいます。

何においても、誰かが作った「普通の」範囲内に人々をとどまらせようとし、出る杭を打とうとしてしまうからです。

僕自身も、できる限りそうした発言には気をつけるようにしています。

  • 「なんで継続できないの?」
  • 「なんでそんなにモノが多いの?」
  • 「なんで定期的に運動しないの?」
  • 「なんで投資を始めないの?」

といった「自分の常識の押し付け」は、ブーメランになって自身に返ってきます。

教員は指導する側に立ちますので、そうした「常識の押し付け」を目にすることが多いのですが、

それはあくまで、あなたの常識でしょ?

という返しをされたら、誰も何も言えなくなります。

それでも「自分のことが正しい」と自分の常識を押し付けてくる人は、「自分が普通であること」(幻想)に安心し、排他的になっているだけです。

だから「みんなちがって、みんないい」と言い続けることが大切なのです。

均質的(だと思われていた)社会が今、崩れ始めています。

本来は、世界は昔から均質ではなかったのです。

人々が勝手にマジョリティ(多数派)を作り上げ、そこに人々を当てはめようとしてきました。

そのほうが統制が取りやすく、都合がいいからです。

でも僕らは、どこまで行っても「意識を持った1人の人間」です。

「普通はありえない」と認識し、お互いの個性を認め合うべきなのです。

それぞれが普通ではないと分かれば、もっともっと寛容な社会になると思っています。

一人一人、違う人間だ。自分の常識を押し付けず、寛容な社会を築いていこう。

おわりに

人と触れ合えば触れ合うほど、自分が普通ではないと思うようになってきました笑。

しかしそのギャップが面白く、

「なんて世界は色とりどりで、こんなにも美しいのだろう」

と感じる毎日です。

そう思えるようになるには、

自分と違う人たちと、積極的に関わる

という、まるで逆説的にも聞こえる手法が、実は近道なのだと思っています。

国内でも国外でも、様々な人と出会えば出会うほど、いろんなタイプの人間がいることに気づけます。

特に先生をやっていますと、様々な家庭環境の生徒と会いますので、毎日が刺激的です。

しかしそのおかげで、僕自身の考え方もとても柔軟になり、だいぶ寛容になりました

自分の世界が狭い人ほど、常識にとらわれている「井の中の蛙」です。

僕もまだまだ、「大海を知らないゴリ」です笑。

自分の異常性(個性)を認め、他人を認められるように、多くの人と関わっていきたいと思います。

それではまた!

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