こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日から「執事が教える 至高のおもてなし」を読んでいます。
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その中で、
という箇所がありました。
と思ったのですが、
とすぐに理解しました。
僕は人から感謝されるのが苦手だからです笑。
嬉しいですし何もキライなわけではありませんが、どうしても恥ずかしくなってしまうのです。
今日は「感謝される場面を作ること」について書いていきます。
感謝される場面をあえて作る
本書で出てきた一例は、小さなレストランの「小さなコップ」でした。
水を飲むための普通のコップなのですが、そこではわざわざ店員さんが水を注ぎにきてくれます。
そう思った著者はハッとします。
と。
著者は水を注がれるたびに、「ありがとう」と言うと気づいたのです。
それは当然のことですよね。
それによって、
と思ってしまうのです。
それがお店の意図なのかどうかは判然としませんが、そうやってお客さんに「ありがとう」を言わせることが大切なのだそうです。
そうやって「ありがとう」と言わせれば言わせるほど、その人は当サービスに対して「こんなに感謝しているんだ」と思うわけですね。
その都度店員さんと話すこともあるでしょうし、確かにその時にちょっとした話なんかもできるかもしれません。
「感謝するタイミング」を意図的に作ることは、決して悪いことではありません。
お客さんに気を配ったり、サービス以上のものを提供したりしなければなりませんからね。
「サービスを提供するタイミングを増やす」と、言い換えてもいいのかもしれません。
いずれにせよ「感謝」の循環によって、
- 店員さんも
- お客さんも
気持ちよくなるものです。
タイミングを増やしてあげることで、お客さんの声も聞けますから、結果的に事業も良い方向に向かっていくというわけですね。
そんな風に思いながら、「お客さんが感謝するタイミング」を作っていこうと思いましたね。
人は感謝したいもの
2022年にいろんなことに着手した僕でしたが、その時に「面白いこと」が起きました。
と言われたのです。
昔から「受け取ること」が苦手だった僕は、「感謝されること」をできる限り避けるようになっていました。
といつも思っているからです。(今でもそうですが笑)
でも当時感じたことは、
ということでした。
逆の立場で考えるとよくわかりますが、僕も平気でおごったり何かを買って行ったりします。
それは、感謝を「何かしらの形で示したいから」なんですよね。
一方で僕がやってきたことは「感謝を受け取らない」という選択であり、それは実はあまり良い循環を生みません。
その感謝を受け取ることで僕自身も嬉しいですし、感謝するほうも嬉しいのです。
僕が昔、路上で見知らぬおじいちゃんが倒れた時に、咄嗟(とっさ)に駆け寄って救急車を呼んだことがありました。
その時も彼の奥様であるおばあちゃんから、
と言われて、イヤイヤ教えたことがありました笑。
受け取ることはキライではありませんが、やはりいつまで経っても苦手なのです。
そこでの経験もあったように、人間とは誰かに感謝したいものです。
僕も感謝することはよくありまして、
- 友人
- コンビニ
- 文明の利器
- 公共交通機関
- 髪を切ってもらう
などの際に、感謝の意を示しますね。(珍しい場面ばかり笑)
それはお金である時もあれば、モノである時もあります。
だからそうした「場面/機会」を作ってあげることもまた、相手のためになるのですね。
「感謝してもらう場面」を作っていくことは、自然にやろうとすると難しいものですが、やって損はありません。
人間、「感謝したい生き物」ですからね。
いい循環を作るようにする
先述した通り、この「いい循環」を作っていくことはとても大切なことです。
それは特に、僕が事業を進めていくことにも強く絡んできます。
僕は昔から、給料と違って直接お金をいただくことが、どうしても苦手でした。
実際は何も変わらないのに。(源泉徴収されているかくらい)
徐々にですが、僕の友人たちから、
と言われてお金をいただくようになり、僕も幸せになったことに気づきました。
と。
直接お金をいただくことで、
- その重み
- その人の気持ち
なども、一緒に感じることができるようになってきます。
それは公務員時代の給料とはまた違った、抽象的な「いいモノ」でした。
もちろん、
というのは大きな間違いです。
人の役に立っているからこそ、給料がもらえているからです。
ただ、今は新しい環境に飛び込んでみて、
とは感じています。
公務員時代ほどの収入があるわけではありませんが、よりダイレクトに「感謝」を感じることができるため、
と思うようになりました。
僕が個人で働いていますと、そうした「感謝を受け取る場面」が増えてくることもわかりました。
先生をやっていた時は、たまにある保護者面談や、こちらから電話をかけることで久しぶりに話す程度で、明らかに個々人への配慮(≒ サービス)ができていませんでした。
それは「仕組み的に難しい」のです。
だから、
と言われるのは年に数回であり、保護者さんたちの顔もなかなか覚えられません。
先生のやる気にも直結しますから、やはりそうした「感謝できる機会」を提供することはいいことなのでしょうね。
その時点で、好循環が回り始めますから。
お客さんや保護者さんの声もダイレクトに聞けて、
というアドバイスもいただくことができます。
いい循環を回すために、感謝できる場面を作ること。
それが僕に必要なことなのです。
おわりに
「感謝されること」とは誰もが嬉しいはずなのに、僕はかなり苦手なほうでした。
でもそれがとても大切なことだと分かったのは、2年前から始めたもろもろのことが、僕を変えてくれたからだと思っています。
それは「お客さんの “気持ち”」を受け取ることでもあります。
だからその点についても、積極的に考えていこうと思っています。
それではまた!
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