こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
埼玉県に引っ越してからも、帰国してからやっていることはほとんど変わらず、
- 朝活
- 授業
- ブログ
- 朝活の準備
- 言語学習
- 事業の準備
- 授業
というなかなか詰まった毎日を過ごしています。
ただ教員時代と違うのは、
- とりあえず学校にいるだけではないこと
- ムダな会議やグループでの動きがないこと
であり、全て自分の自由なスケジュールで動けることです。
若干お金の心配はありますが、
と楽観的に考えています笑。
今日は自分の時間が少ないのに、僕がなぜ幸せなのかについて書いていきます。
バリの兄貴に教わったこと
世界を一周していた序盤、僕はバリの兄貴に会いに行きました。
その時に言われたことは、今でも覚えていまして、
ということでした。
昨今の僕は、できる限り稼ぎたい(=誰かのために時間を費やしたい)と思うようになっていました。
兄貴が言うには、
でした。
いわゆる「バイト」ですね。
事業者としては、この考え方はよろしくなくて、
「時間を売って稼ぐ=とにかく働きまくればいい」
ということになってしまうからです。
本来は単価を上げるべきですが、僕は安い単価のオンライン講師をやっています。
でも今の僕は、ただただ稼ぎたくて(お金が必要で)働いているわけではありませんので、毎日生徒の方々と英語で話したり文法を教えたりするのが、とても楽しいのです。(もちろん土日も)
自分で始めた「朝活」でも、お金にはならないものの、みなさんが楽しそうにしているのを見るだけで、
と感じています。
時間を切り売りしている毎日ですが、適当に過ごす毎日より意義があって、「お金がどうのこうの」と考えるよりも幸せなのです。
でも全ては「プラス」になっていますから、
とも思うのです。
さらに自分でオンラインの授業を始めようものならば、高い単価でみなさんに英文法をお伝えできますので、僕の生活はもっと豊かになってしまいます。
いかに毎日を意識的にプラスにしていくのか。
これが常に頭にあれば、あとは結果がついてくるだけなのです。
だから今でも兄貴の教えは、時間を切り売りしようがなんだろうが、基本的な考え方は間違っていないと思っています。
可処分時間は適当なエンタメよりも人
さて、単価を高くした場合、僕の可処分時間は異常なほどに多くなってしまいます。
いわゆる「自分のために使える時間」ですね。
ただ僕は、すでに世界を一周しましたし、
と思っているわけでもありません。
ではその「空いた時間」をどうすべきか。
結論、
ですね笑。
僕はNetflixやアマプラなどのサブスクもしていませんし、YouTubeもそこまでたくさん見るわけではありません。
空いた時間はサウナに行くかダンスができてれば、それで最高です。
「やりたい」というより「大事にしたい」と思っているのは、どちらかといえば人との時間でした。
もちろん自分の時間も大事ですが、結局可処分時間が増えようとも、僕のやるべきことは変わらないのです。
毎日英語を教えていたいですし、いろんな人と人生や旅について語り合っていたいのです。
それが「プラス」になることもあれば、無償でやってしまうこともあります。
でも実際は「無償」ではなくて、それが回り回って僕自身のためになります。
- それを知っているから
- それを求めているから
人と関わっていたいのではなくて、それは「二の次/結果論」なのです。
世の中とは不思議なものでして、
- 誠実に
- 真面目に
生きているだけで、それが返ってくるものなのですよね。
自分の空いている時間を、自分の幸せも大事にしながら、誰かのために費やしてみること。
エンタメに自分の時間を消費している時間は、決してムダだとは思いませんが、
と思ってしまいます。
つまりは、やることは今までと変わらないのです笑。
そこで集めたお金で何をするかは、また先の話。
とは、決して遊び回りたいとか楽をしたいということではないのです。
事業に使ってしまうのです笑。
キレイごとに聞こえるかもしれませんが、これが楽しいのですから仕方ないのですよね。
組織のイヤだった部分をカット
特に僕が公務員である教員を辞めて一番良かったのは、
という妥協点を、全てなくせたことでした。
「自分がこうしたい」と思うことをすぐに行動に移せますし、
という気持ちにも、素直に従うことができます。
教師だった頃は教えることも楽しかったですし、学校の独特の雰囲気が好きでたまりませんでした。
生徒たちの笑顔だって見られますし、彼らに寄り添って悩みを解決に導いていくのもやりがいがあったものでした。
ただ同時に、非効率的なことや、
という業務がたくさんありました。
それらが全部削ぎ落とされたと思えば、
と感じてしまうのです。
どこかの組織に属していますと、丸一日職場にいることになってしまい、そこにやりがいがあっても「拘束時間」が生まれてしまいます。
その分、福利厚生や「守られている」といった感覚も得られるので、一長一短がありますけどね。
僕は誰よりも自由を求めていたからこそ、学校の先生を辞めたという選択は、大きく間違ってはいなかったのだと思っています。
教壇に立つことには誇りを持っていましたが、
- ムダな会議
- 分かり合えない教師
- どう考えてもいらない時間
などから解放されますと、なんとも幸せになってきます。
今までの「妥協」は消え、自分のやりたいことに注力できるからです。
だからこそ単価は高くなり、有意義な時間を送ることができます。
僕はただただ「自分の自由な時間」が欲しかったわけではありませんでした。
「自分が自由に『使える』時間」が欲しかったのですね。
そうすればあとはまた自分で、
を決めていけばいい。
英語を教える時間にしたっていいですし、サウナにちょこっと入りにいったっていい。
それが学校に勤めていますと、当然のことながらできません。
その分、僕自身がたくさん動かなければいけないのですが、得意なので問題はないです笑。
むしろそうしたくて、学校の先生を辞めたわけですからね。
- 組織から抜けて
- 可処分時間を増やし
- その時間を自由に事業や投資に使っていく
今はこれらができるから、幸せなのかもしれませんね。
おわりに
可処分時間が増えたとしても、それらの時間は結局事業の時間へと費やされていきます笑。
でもそれは、僕が「幸せを感じること」に費やされていくため、いくら可処分時間を使っても幸せなのです。
僕はこれを「毎日の目標」にして「毎日を生きて」います。
みなさんはどうしたいですか?
それではまた!
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