こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、また性懲りもなく英語の教育をしていますと笑、
とか、
という声を耳にします。
正直、その人の人生なので好きにしたらいいですが、大体そういう人たちの「本音」は、
- やりたくない
- 楽(ラク)をしたい
ということだと、僕は解釈しています。
文法に関しては、以前に記事を書きました。
いつだってなんだって、大事な部分は変わりません。
今日は「あえてそれを避けようとしている人」へ、記事を書いていきたいと思います。
避ける=成長したくない
僕がいつも話していて感じることは、
ということです笑。
- 文法がイヤだ
- 勉強するのが苦手
なるほど。
何度も言いますが、それで話せる(使える)ようになるなら、誰だって苦労しません。
文法は文の体系を理解するための必須知識ですし、そのためには “勉強” をしなければならないのです。
と、みなさんが中高生の時には、ふんだんな時間を使って理解しようと努力していましたよね。
もしそれを怠ってきていたとしたら、もう一度学び直す必要があります。
大人になっても、当然やらなければいけません。
- えー
- でも
- だって
と言う人は、基本的に僕はもう教えることはありません笑。
と、みなさんも思いませんか。
人間とは面白いものでして、
- 地味なことほどイヤがるし
- できないことには言い訳を探して
- いつでも成功の一発逆転を期待し続けている
こんな人たちばかりだと思っています。
もちろん、自戒の念も込めて書いていますが。
でも僕は、これは英語に限らず、すべてのことにおいての「真理」なのだと思っているのです。
先日も、スポーツのトレーニングについての動画を見ていたら、
というコメントを残している方がいました。
やはりそれは真実であり、
そう思いましたね。
だから、避けないこと。
逃げないこと。
立ち向かわなければならない壁があるなら、挑戦して勉強して、練習していかなければならないのです。
何においても基礎が大事
口酸っぱく言っていますが、とても大事なのは、やはり「基礎」なんですよね笑。
いつまでも基礎の段階にいてはつまらないですので、もっとできることを増やすためにどんどん登っていく必要はありますが、上を目指すならやはり足場から固めていく必要があります。
僕は現在、5言語だけ勉強していますが、文法書はそれぞれ、
- 中国語(2周目)
- スペイン語2冊目(2周+4周)
- フランス語とドイツ語(3周目)
- 韓国語1冊(3周)+単語帳(基礎は2周)
と、一冊をある程度理解できるまで回しています。(2ヶ月経過)
誤解のないようにお伝えしておきますが、他の勉強(日常会話や語彙など)も同時進行でやっていますので、
と言いたいのではありません。
今後は問題集やフレーズ集を解いたり、実際の会話に繋げていこうと思っています。
つまり、僕が言いたいことは、
ということです。
当然、現地で会話をする中で覚えていく「生きたフレーズ」などもあるかと思います。
ただ、基本的な会話や挨拶をしていくには、
- 発音も
- 文法も
なければ、「昨日図書館に行った」という言葉すら出てきません。
そう思いますよね。
でも現実は違って、みんなどこかで言語学習の「近道」を探しています。
僕は最初、ドイツ語の冠詞の格変化(かなり変えなければならない)で、挫折しそうになりました。
と。
でもそこで諦めずにいたことで、今はある程度「なぜそうなるか」を理解できるようになりました。(2ヶ月程度ですが)
なぜそこまでできたか。
ということを、英語学習の時に誰よりも感じながら勉強していたからです。
時間をかけて「今」にいたり、今でも基本的なことから応用まで、勉強しては教えるということを続けています。
「今」のような英語の力を手に入れるためには、各言語、本気で取り組まなければなりません。
でも僕はワクワクしています。
だって、途中で挫折していた人たちを置いて、僕自身は成長できているのですからね。
我慢大会ではないけれど…
こういう記事を書きますと、
と、後ろ向きな考え方をしてしまう人もいらっしゃいます。
もう一度考えてみて欲しいのですが、みなさんに「得意なもの」や「誇れるもの」はありますか?
それは一瞬で成就したものでしたか?
そうでしょう。
みなさんがすでに持っているプライド、誇り。
大抵はお仕事が多いかと思うのですが、その仕事内容を覚えるだけでも2〜3年を費やしたに違いありません。
言語だって同じですし、スポーツや芸術なんて数年じゃ足らないことでしょう。
だからこれは、「我慢」(修行?)というネガティブなものではなくて、
ということを、理解しているかどうかということなのです。
最初の峠は、誰にとってもどうしてもしんどいものです。
僕もダンスやランニングを始めた当初は、
と思ったものでした。
今の言語学習も同じですね。
でも、そんな「いつになったらできるんだ?」を続けていますと笑、
という日が訪れます。
「その日」が来るのはいつでしょうか。
当然、「続けた日々の先」にあります。
僕はこの事実を分かっているから、淡々と続けているのです。
裏を返せば同時に、
ということも、理解しているということ。
だからこそ、「我慢大会」ではないのです。
もっと自己実現を目指した、自分との戦いなのですね。
おわりに
どうしても地味なものや時間のかかるものは、誰もが避けたくなるものです。
それはひとえに、「未来が見えないから」だと思います。
ただ、どの分野においても未来とは見えないものであって、努力を続けた人にしか見られない景色が必ずあります。
僕は別に、自分の未来に確信を持っているわけではありません。
努力は裏切らないということを、誰よりも知っているだけなのかもしれませんね。
それではまた!
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