こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、進路指導室に貼ってあった「女性職員4〜5名だけで撮った写真」を見て、
「うわぁー!いいですねぇ〜。やっぱり女性の方々で撮ると、華がありますね〜!」
と言ったところ、別の男性教員から、
「すずき先生。実はそういう表現も、現代では微妙な表現らしいんですよ」
と「現代の事情」を聞かされ、非常に驚きました。
近いものですと、
- 「男性は荷物を運んで!」(筋力があるんだから)
- 「若手は手伝いに来て!」(若いのだから)
と言った表現も、同等のものとして見なされているそうです。
僕はそれを聞いた時、ちょっとした違和感を覚えました。
「そうなってしまったら、何も言えない世の中になってしまうのではないだろうか?」
そう思ったからです。
結論から言ってしまえば、
- ケースバイケースのお話
- 発した人の気持ち
- 誰が発言したか
- 受け取り手はどういう人なのか、どう思うのか
と言った要素に左右されてしまうため、この類の表現は、批判しようと思えばいくらでも批判できてしまうと思っています。
僕はこの表現を控えるように言われて、どう思ったのでしょうか。
早速書いていきます。
ジェンダーに対する表現を考える
「表現の自由」がある一方で、僕が発したような言葉に「敏感に反応する人」がいるのも事実です。
その人たちに、
- 「気にし過ぎだよ」
- 「あなたの感覚はズレてる」
と言いたいわけではありません。
そう思うことは自由ですし、シチュエーションによっては不愉快になる人がいるのも間違ってはいません。
もちろん、
「〇〇さんは(他の女性と違って)華があるよね」
という発言は、「大問題」ですしよくありません。
それは、容姿の好みで人を差別する「ルッキズム」的な発言だからです。
今回の僕の発言のポイントは(そんなつもりはなく)、僕と言う男からの目線で、
「職場の女性の方々って、やっぱり綺麗だなぁ…」
という思いに基づくものであり、
- 男性を批判したかったわけでもなく、
- その場で無理に女性を褒めたわけでもなかった
ため、特に「誰かを傷つける要素」はなかったように思いました。
ただ、忠告してくださった先生が言いたかったのは、
「シチュエーションによってはムッとする人もいる」
ということです。
ではどういうケースが考えられるのだろうかと思い、例をあげてみました。
- 「かわいい」や「きれい」よりも、「かっこいい」「クール」と言われたい女性
- 「女性は美を追求するもの」と押し付けられるのがキライな女性
- 「女尊男卑」を嫌う男性
などからは、嫌がられる表現でしょうか。
例えば僕が、
- 無理やり(あるいは皮肉交じりで)写真に対して、「華がありますね笑」と言う場合
- 男性が多い中で「こんな男どもの中に、女性がいるって華があるよな…」と言う場合
- 女性の美しさに憧れている男性に対して「あなたでは、女性の美しさに近くことはできないよ。やっぱり女性のほうがキレイ」という意味を込めて言う場合
という3パターンを考えてみます。
[1] 無理やり(あるいは皮肉交じりで)写真に対して、「華がありますね笑」と言う場合
僕の騎士道に反しますのでありえませんし、不愉快ですよね。
自分の好みを言うことで誰かを傷つけることは、シンプルに良くありません。
比べられた側は「ムッ」とします。(自分に置き換えてみればわかります)
[2] 男性が多い中で「こんな男どもの中に、女性がいるって華があるよな…」と言う場合
結論を言いますと、僕は言ってしまいます。
ただし、気心の知れた者同士で言うにとどめると思います。
男性諸君から「なんだよ、俺たちじゃ不満だと言いたいのか?」と言われ、ワイワイするくらいでしょう。
[3] 女性の美しさに憧れている男性に対して「あなたでは、女性の美しさに近くことはできないよ。やっぱり女性のほうがキレイ」という意味を込めて言う場合
事情を知っている上で投げかける言葉であり、「イヤミ」となります。
このような場面に出くわしたことはないですが、男性の中にも「美」を求めている人は多くいます。
僕はそうした方々を、否定するつもりはありませんので、男女で美しさを比べるものではないと思っています。
上の3つの例をあげてみて思ったことは、
- 様々な条件が、
- かなり狭い範囲で
重なった場合、「イヤな気持ちになる人がいる」ということでした。
場面にもよりますが、個人的には「華がありますね」という表現まで規制されてしまいますと、行き過ぎた規制だと感じてしまいます。
ただ、こうして分析することはとても大切なことです。
気をつけておくことに越したことはありませんからね。
みなさんはどう思われますか。
褒めることは悪いこと?
以前も「ジェンダー」に関して、似たような記事を書きました。
僕は、男女に限らず「その人が努力していること」を褒めることは、とても大切なことだと思っています。
- 鍛えている人に対して「筋肉ありますね!」と言う。
- 美を意識して、自分を磨いている人に対して「可愛いですね!」「お綺麗ですね!」と言う。
その人がそうしたくて「主張/表現している」のだから、そのような褒め言葉に対して彼らが不快感を持つとは考えづらいです。
確かにその点で言えば、今回の「華がありますね」という表現は、
- 『女性だから』という特性に対して言及している表現であり、努力している点を褒めているわけではない。
- 『女性なら華があるべき』という押し付けの表現
と捉えることもできます。
しかし、その表現さえも「避けるべき表現」としてしまった場合、
- 「お綺麗ですね」
- 「可愛らしいですね」
- 「あの人は才色兼備なんですよ」
という言葉すらも、「女性」という特性についても言及していることになってしまいますので、NGとなります。
最終的には、
- イケメンという言葉は使ってはいけない。
- 美女/可愛い/綺麗という言葉は使ってはいけない。
という「ルッキズム排他主義」の世界となるでしょう。
僕は、そんな世界は少し「違う」と思っています。
「キレイなものには、キレイと言っていい」
そう思うのです。
「相手の事情を考えずに、むやみに発言すること」
には気をつけるべきであっても、お互いの時間を共有していく中で、
- その人の努力している点や、
- その人が大切にしている特性
について褒める言葉を使うことは、決して悪いことではないと思います。
一方で、ジェンダー的な要素に限らず、その人が持っているコンプレックスの部分について言及してしまうというシチュエーションは、たくさん見かけます。
- 「背が高いですね」→ 背が高いことがコンプレックス
- 「ガタイいいよね/細いですよね」→ 体型がコンプレックス
など、「褒めのつもりが逆効果」なんていうこともあります。
結論から言いますと、そんなことは、
「コミュニケーションを取って、すり合わせればいい」
と思っています。
安易に言及することもよくないですが、かと言って「何も褒めてはいけない」という世界もまた、僕らを生きづらくさせてしまいます。
お互いに探り合いながら、心地よい会話をしていけばよいのではないでしょうか。
行き過ぎた規制は、世の中を生きづらくする
「公で発言する」という点においては、「華がある」という表現は不適切になることもあると思っています。
- 職員全体に向けて言う。
- 教室内の生徒たちの前で言う。
- 政治家や芸能人が発言する。
- SNSで文字に残す。
などでしょうか。
発言者の意図を汲み取りづらいだけでなく、「言葉の一部を切り取ってしまう人」が出てくるからです。
その点においては「すずき先生も、注意したほうがいいですよ」という忠告は確かにわかります。
僕もそうした公の場では、細心の注意を払おうと思いました。
特に「女(男)はこうあるべき」という、潜在的な固定観念があることは危険です。
そうした固定観念がありますと、言葉の端々に(意図していなくても)差別的な表現が含まれてしまうからです。
個人間で意見交換する(しかも気の置けない友人同士)ならまだしも、ふとした瞬間に「公の場」において、そう言う発言をしてしまう場合もありますからね。
性や年齢、出身地や人種などの「先入観や固定観念」がないことを前提として、
- 公での発言には気を使い、
- 個人間で話す時には自由度を持たせる
のがいいかと思います。
公私の境界線がわかりづらい「微妙なシチュエーション」もあるかと思いますが、コミュニケーションの中で「ライン引き」をしていくしかありません。
いずれにせよ、公私のうちの「私(し)」に限りなく近いシチュエーションで、
- 「カッコイイ」
- 「カワイイ」
- 「キレイ」
と言った単語や表現にまで気をつけろというのは、コミュニケーション上、逆に良くありません。
- 「カッコよくなるために自分を磨いている人」もいれば、
- 「カワイくなるために自分を磨いている人」もいる
からです。
男女や年齢を飛び越えて、相手が磨いている性質を褒めてあげることは、とても良いことです。
「あれもダメこれもダメ」と表現に規制をかけ過ぎることは、表面を平(なら)しているだけであり、本質に対する指摘ではありません。
- 人それぞれ、いろんなスタンスがあっていい。
- しかし、生物学上の男女の特性があることも事実。
生き方やあり方に対して柔軟/自由でありながらも、性差や年齢差などの客観的な要素についても加味することです。
「その表現は良くないよ」と忠告することは悪いことではありませんが、その表現をどう捉えるかは忠告した人が問題視することではなく、「言われた側がどう受け取るか」です。
「華がありますね」という表現は、不愉快に感じる人がいるようなシチュエーションであれば、すべきではありません。
それは各々の状況や、受け取る側との信頼関係を考えていれば、自ずと避けられることでしょう。
- 凝り固まり過ぎず、柔軟に。
- ただし場面を考えて。
表現の仕方について考えながらも、
- 相手が努力していること
- 素直に自分がいいなと思ったこと
を、褒めていきたいと思っています。
まとめ
以下、今日のまとめです。
- 様々な条件を考えると、発言に気を使うべき場合もある。
- その人が努力している点は褒めていいし、ある程度素直に発言してもいい。
- 公私の場面を考えて、表現/発言をしていく。
この「表現の適切/不適切」は、感じ方が十人十色ですので、答えのない議論です。
社会の構造的な差別はいまだにありますが、時代は少しずつ変わってきていると信じています。
特に学校現場での発言は気をつけなければならないことが多く、クラス全体に向けてしゃべるときは「白か黒か」を言わないようにするようにしています。
それに対して笑うような生徒もほとんどいませんので、若者たちは柔軟なんだろうなと思います。あくまで個人的な肌感覚ですが。
いずれにせよ、表現について考えるいいきっかけとなりましたね。
みなさんもぜひ考えてみてください。
お近くの友人と議論するのも、また視界を広げる手立てとなるはずです。
それではまた!
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