こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
食生活改善を始めたこともあり、僕はほとんどお酒を飲まなくなりました。
上の記事では、コロナ禍で久しぶりにお酒をバカスカ飲みすぎて、2回の飲みで2回とも倒れるという経験を書きました。
当時、ものすごい腹痛に襲われました笑。
さて3月になりますと、教員の忙しさは半端ではありません。
本日は「ポリッシャー」という「床の表面を削って、床を磨く機械」を使って、担任の先生たちで教室の床を磨きました。
みんなで数時間かけて話しながらやりますと、達成感がありました。
そんな中、学年主任(学年の取りまとめ)の先生が、ジュースやお茶を買ってきてくれました。
みんなで輪になって学年の話に花を咲かせていますと、ふと、
とつぶやいた人がいました。
しかし僕は、なんとなく全力で賛成することができませんでした。
それは一体なぜだったのでしょうか。
今日は今まで開かれていた「飲み会」や、今後の「お酒の席」について書いていきます。
飲み会について考える

誤解のないように言っておきますが、
- お酒をあまり飲まなくなったこと
- タバコを吸わないと決めていること
のレベルは一緒ではなく、お酒とタバコは別物です。
僕は数ヶ月に一度、付き合いで飲むくらいで、セルフでお酒は飲まなくなりました。
とはいえ、友人たちと飲みに行くこと自体は好きですし、楽しみの1つでもあります。
ただ職場の人たちと、仕事終わりの流れで飲みに行くことはなくなりました。
それはもちろん、コロナが大きな理由の1つです。
他にも、
- 生活習慣改善
- ブログ時間の確保
を大切にするようになったから、という理由もあります。
しかし、それ以上に「飲み会の意味」について深く考えるようになったことが、飲み会に行かなくなった理由でした。
以前の飲み方
まだ20代だった若い頃の、僕の「飲み会スタイル」を思い返してみますと、
- 若い同僚たちと必死に仕事をして遅くまで残り
- ノリと勢いでそのまま飲みに行きカラオケをして
- ソフトクリームを爆食いし深夜に帰って寝る
- 次の日が休日なら、お昼近くまで寝る
と、典型的とも言える「ザ・サラリーマン」の時間の使い方でした。
この時間が100%ムダだったわけではないですし、同僚の仲間たちと絆を深めてワイワイする時間は、社会人とはいえ1つの青春でもありました。
大学生の時の飲み会の経験を、そのまま延長しているかのようでしたし、
と思っていました。
と、手当たり次第に飲みに行っていました。
まさに「大学生時代の亡霊」につきまとわれ、
と自分に言い聞かせては、飲み会に参加していたのでした。
今ならわかる飲み会の意味とは?
コロナによって制限が厳しくなり、飲み会に行けなくなりますと、それはそれで環境に順応するようになりました。
と、今まで参加してきた飲み会について、冷静に考えるようになりました。
飲み会のことを悪く言うつもりはないのですが笑、僕なりに改めて自分に問い直したことは以下のことでした。
- 本当に絆は深まっていたのか
- 酔っ払うことが「幸せ」なのか
- 即時的な気晴らしになっていないか
- 終わったあとに「何か学べた」と思えたことはあったか
- 夜の時間を目一杯使っていたが、お金や時間を使う価値があったのか
- サシや3〜4人の少人数で集まって話すほうが、時間を有効に使えるのではないか
など、あげればキリがありません。
簡単にまとめますと、
という問いを、自分自身に問いかけてみたのでした。
結論、
お金も時間もかかる割に、
- なんとなく楽しい
- なんとなく親睦を深められる
くらいしか、メリットが出てこなかったからです。
これらを求めて「飲み会を開くこと」は、悪いことではありません。
しかし、今の僕には必要ないのだと思えたのでした。
空いた時間を何に使うか
僕の好きな著書「夢をかなえるゾウ」にも、
という言葉があります。
リンク
コロナになって飲み会に行かなくなってから、飲み会の「代替物」を考えてみるようにしました。
- 浮いたお金を投資やプレゼントに回す
- 自分の趣味や、ブログにお金と時間を使う
- 大切な人と少数で深い話をする時間をとる
など、
- より濃密で深い学びの時間
- より幸せになれるお金の使い方
を知るようになりました。
大々的な「飲み会」のような形式に参加したところで、今の僕には、
と後悔してしまうことのほうが多いでしょう。
しかしこのように思えるようになったのも、その部分が「空いた」からでした。
もし飲み会がなくなるような状況でなければ、僕は延々と「フッ軽なスタイル」を貫いては、飲み会に参加していたことでしょう。
現在の飲み会分の「空いた隙間」に埋まっていったものは、結果的に僕を幸せにしましたし、考えて選び取った行動でしたので、満足度も非常に高かったです。
こうなると、もう以前の僕には戻れませんね。
僕が飲み会に求めていたこと

今思い返してみれば、僕は「飲み会」に行き場のないストレスの発散場所を求めていました。
「飲み会が楽しい」と言うととてもポジティブに聞こえますが、一方で僕は飲み会で「イライラ」や「悶々」を出してやろうと、意気込んでいたような姿勢になっていました。
なにか溜まったものを吐き出させるための場として、当時は飲み会を利用していたのではないかと思います。
- 人生の悩み
- ストレスの共有
- 職場の不満や愚痴
と。
ただ、本来はそこにお酒がなくてもいいはずですし、大勢が集まるところでわざわざ吐き出すことでもありません。
やはり突き詰めてみますと、お酒を利用してストレスを発散していただけだったのです。
飲み会の目的は、そもそも深い悩みや不安を共有することではなく、
です。
それを求めていないのであれば、経済的にも時間的にも、もっと健全な形に変えていい。
- 職場で茶話会をしたり
- みんなでスポーツをしたり
- 少人数でお茶して深く語ったり
など、「もっと他の選択肢があってもよい」ということです。
たまの飲み会は楽しいですし、楽しさを目的として行くことは悪くありませんが、
- 時間も長いし
- お金はかかるし
- 何より酔っ払っている
ので、行くかどうかやっぱり悩んでしまいますよね。
以前の僕は、これらについて全く何も考えずに飲み会に参加していました。
毎回、即時的な「楽しい」を味わいに行っていただけだったのです。
でも今は、変わりました。
と思えるようになりました。
「飲み会」という大きな枠を、全否定しているわけではありません。
ただ、
問い続けること。
それだけで「飲み会」の必要性がわかってくるはずです。
おわりに
飲み会は絶対悪ではないと思っています。
「慣れ」もありますし、コロナで飲み会に行かなくなってきたおかげで、
- 飲み会に行くお金と時間
- 投資やブログに費やすお金と時間
を、天秤にかけることができるようになっただけです。
と言いたいわけでもありません。
「新たな選択肢や考え方が広がった」と捉えるほうが合っています。
「飲み会」を標的にすれば、
と批判しやすいですからね。
僕は飲みの席をただ否定したいわけではないのです。
その「時間」について考え、今の自分をより大切にすることができるようになったことが、何よりの収穫でした。
今まで当たり前だと思ってきたことに、改めて疑問を投げかけてみることは、自分の生活習慣を見直すきっかけにもなります。
ぜびみなさんも「飲み会」について、思いをめぐらせてみてください。
でも確かに、コロナが明けたらみんなで飲みたいですね笑。
それではまた!

