こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、zoomで雑談をしていましたところ、「幸せホルモン」の話が出ました。
幸せホルモンとは、主に3つあります。
- オキシトシン
- セロトニン
- ドーパミン
です。
特に話題に上がったのは「セロトニン」でした。
オキシトシンは人との触れ合い、ドーパミンは達成感…
セロトニンは、
- 安心感
- 平常心
- 精神の安定
と関係が深い「神経伝達物質」です。
最近僕は、この「セロトニン」が増えたからなのか、安定した精神状態が1年以上続いています。
今日は「日々の生活」について、感謝することなどの話を交えて書いていきます。
自分の存在を客観視する
最近ですと、僕は夜空に浮かぶ満月をじっと見つめては、
と涙することがあります笑。
3月まで続く「教員生活の日々」には、もうだいぶ我慢してきました。
- 毎朝の満員電車
- 変わらない教育体制
- もっと仕事がしたいという衝動
など、様々な「情念」が僕の心の中に渦巻き始めました。
考えに考えた上での決断でしたが、今となっては我ながら本当に素晴らしい選択をしたなと思っています。
一切の躊躇も不安もありませんでした。
「辞める」と決めてからのほうが、活き活きと生活できていると感じています。
そんな考えをめぐらせていますと、こうして30年以上も地球上で過ごしてきて、
と思うものです。
そう思って見上げる空はいつも綺麗で美しく、僕の「生」を感じさせてくれます。
夜寝る前に「マインドフルネス(=瞑想)」を行なうのですが、マインドフルネスは「今」に集中することを大切にしています。
ふと見上げる空や、嗅ぐ空気の匂い。
それらを全身で感じれば感じるほど、今までのことが「いい意味で」どうでもよくなり、「今」を一身に受け止めることができます。
「今」を客観視することができれば、昨日のことも明日のことも、全てに感謝してまた歩んでいこうと思えるから不思議なものです。
「今」に感謝できるようになってからは、人生がより豊かで幸せになりましたね。
「beの幸福」を感じること
ここ1〜2年のテーマでもある「感謝」ですが、実は感謝には「2通り」あります。
- 「do」に対する感謝
- 「be」に対する感謝
これらは文字通り、「行為に対するもの」と「存在に対するもの」です。
僕は前者のほうの「感謝」をするよう、努めてきました。
「努めてきた」と言いますと語弊がありますが笑、
- 人がしてくれたこと
- 人が与えてくれたもの
に対する感謝が多かった、そんな1年だったように思えます。
しかし面白いことに、「与え与えられ」という応酬が繰り返されますと、自分が今こうして存在している奇跡に気づくようになります。
と。
自分という存在がいなければ、こうした授受すらできないからです。
こうなるともはや「無敵状態/無双状態」であり笑、自分が何でもできるような気持ちが込み上げてきます。
実は「do」に対する感謝よりも、「be」であることを肌で感じ感謝することができることは、究極と言ってもよいと思っています。
こうなってしまえば、あとは僕が「与える側」に回るくらいしかありません。
と思う日々です。
偉そうな言い方になって申し訳ないのですが、ここまで人生を悟って心が穏やかになったことは、今までありませんでした。
- 自分の人生に集中しつつも、
- 他人のために生きることができる。
こんなことをし続けてきたおかげで、驚くほど社会資本(=人との繋がり)が増えることとなりました。
間違いなく言えることは、今が「今までで一番幸せ」だということです。
学校の先生を離れてから感じること、あるいは苦しみを経験することもあるかもしれません。
ただ、今というかけがえのない時間に感謝し、多くの人に与えたいと思うことができている自分なら、これからも豊かに生きていけると、そう信じています。
相手を認め、自分を認めること。
今存在している自分を認めること。
これは簡単なようで、意外と難しいことでもあります。
日本特有なのかはわかりませんが、よく自分を卑下する人を見かけることがあります。
家庭環境や教育現場がそうさせたのでしょうが、褒められて生きてこなかった人は、どうしても「自己否定をすること」に慣れきってしまっています。
自分の存在に改めて気づき、感謝すること。
これができない人は、他人の存在を認めていないことと同じだと思っています。
お互いの存在を認め合うからこそ、信頼関係が築かれるわけですよね。
それなのにこちらがいくらあなたの存在を認めていたって、
と否定してしまうことは、とても失礼なことだと思っています。
だから「今ある自分」だけでなく、今目の前にいてくれる人に対して感謝をし、その人の気持ちを否定しないことが大切です。
「今」に感謝できる人は、自分の存在を認めることと同時に、相手の存在を認めることもできています。
僕はそう思いません。
自分を大事にできる人は相手のことも大事にできますし、相手のことを大事にできる人は自分のことも大事にしています。
その方法を知っているからこそ、内にも外にも優しくなれるのですね。
今ある自分や、その周りの環境を受け入れることができないことは、とても「もったいないこと」です。
一度しかない人生をずっと、
- 不平不満
- 自己否定
- 自己嫌悪
をして100年近く過ごすのは、僕ならイヤですね。
今ある「存在」を受け入れ、そこに「ある」環境に感謝すること。
どうしてもそれができなければ離れましょう。
無理して感謝する必要はありません。
僕も教育現場を離れますが、「それ自体が大っ嫌い」という理由で離れるわけではありません。
今でも十分幸せを感じさせてもらっていますから。
今一度、「今」という状態に感謝してみてはいかがでしょうか。
おわりに
今の自分の存在がいかに奇跡なのか。
生まれてきた意味はないとする仏教の考え方などもありますし、その事実に過度に反応する必要はありません。
ただ、自分の存在に改めて気づくことができますと、
と思えるようにもなります笑。
自己の存在を客観視してみて、人との繋がりや今までの歩みについて、思いを巡らせてみるのも悪くないと思います。
それではまた!
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