こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日から小学生の泊まりのボランティアに行きましたが、結果は、

でした。
別に「教師のバトン」的な感じで、ネガティブキャンペーンをしたいわけではありません。
ただ、実際の現場に来てみて壮絶だったのは、

というレベルで人手が足りていないということ。
今日は高校教員経験のある僕から見た、「小学校教員のしんどさ」について語っていきます。
変わらないことはわかっているから
久しぶりに出てみた教育現場。
微妙な感じだったことは、以前にも書いた通りです。
そしていざ行ってみれば、
- 担任たちの忙しさ
- 生徒(児童)たちの頑張り
など、いろんなことがフラッシュバックし、

と思っただけでした。(もちろん感動はしましたけどね)
分かりきっていたことではありますが、終わりの会議で図々しくも、

と言ってしまいました。
はい。
管理職だって、それをしたいに決まっています。
それでも聞いたのは、

と伝えたかったからでした。
先生たちは、
と、偽りの「頑張った感」を出します。
結論、それでは「ダメ」です。
果たしてそうでしょうか。
実際に行ってみれば、
- 嘔吐対応
- 怪我対応
- 体調不良対応
の乱発で、ボランティアで行ったはずの僕が、宿舎を担任ばりに見回っていました笑。
経験のあった僕がいたからこそよかったのですが、これが、
- ボランティアもいず
- いたとしても経験の浅い人
であったら、本当にどうなっていたか分かりません。
と言われそうですが、それくらいで済めばいいです。
これ、本当に僕を含めたボランティア3名がいなかったら、マジで成り立っていませんよ?
担任は何か生徒に問題があれば、絶対にそちらに行かなければなりませんからね。
そうなるともう、他の生徒は放っておかれ、

という状態に。
僕も担任をやっていたから分かります。
もう担任は “必死” ですからね。
これでは「生徒の思い出」と言いながら、いつか大事故になりかねません。
だから僕は、変わらないとわかっていても言ってしまいました。

とね。
問題点は超簡単
もう申し上げた通り、「人が足りていない」。
この一点が全てです。

とダメ元で聞いたら、
と言っていました。

と思いつつ、

とも思いましたが、それで根本が解決するわけではありません。
どんなに人がいても、判断の権限は担任が持っているからです。
僕は「いちボランティア」だったのにも関わらず、当日は担任がいろんな準備をしなければなりませんから、代わりに声を張って指導もしました。
本来、それではいけませんよね。
だって、僕はあくまで「ボランティア要員」なのですから。
また、事務的な仕事もたくさんしました。
- 生徒対応
- 荷物運び
- 残りの掃除
何度も言いますが、これは僕が小学校経験者ではなくても「高校の教員だったから」成り立っていたのです。

っていうくらい、めちゃめちゃ動きました。
今回は、
- ボランティアかつ
- 経験のある人をつける
完全にこの状態に頼っていました。
これでは、

ということなのです。

と。
簡単な話、「一人で修学旅行の引率」なんてできないでしょう?
違うんですって笑。
だって今回は(というか多くの小学校が)、
と、たかをくくってやっている、ということでしょ?
もうシンプルに人数が足りていないのですから、
- 縮小するなり
- 中止にするなり
して、教員を守らなければなりません。
無理なものは無理。
- それを強引に押し進め
- ボランティアを募って無理に実施し
- 結果「全然回りませんでしたねー来年改善しましょー」
じゃないのです。
僕は非常に怒っています。(珍しい)
担任の先生方、管理職含め本当に頑張っていたことは、当日現場にいた僕が一番よくわかっています。
でもそれだけで終わってしまい、また繰り返すからいけないのです。
帰校後の反省会議では、「指導力のなさ」や「計画不足」だなんて1ミリも思っていませんでした。
単純に、割ける人員が少なすぎるというだけの話なのです。
しかも「ボランティアを増やせばいい」ということではなく、「経験のある人」を入れなければなりません。
だから僕は、

となってしまったのです。
本当に変わらない
今回、僕が本当に良くなかったのは、
という、「根本的な問い」を聞いてしまったことでした笑。
誰だって人員を増やしたいに決まっていますからね笑。
でもそれなら、僕は「行事をやらない」という選択肢を作っていってもいいのではないかなと思っています。
それは回り回って「生徒のため」でもあるからです。
本当に生徒のためを思うのならば、「一生に残る思い出(=裏側で教師は疲弊)」なんてしなくていい。
事故に繋がりかねません。
本当に。
担任が離れている時、誰も見てないんですよ?
相手は小学生ですよ?
最後の後片付けだって、僕らがやったんですよ?
担任は精一杯かもしれませんが、僕が担任の頃は副担にだって雑用を任せていませんでした。
ちゃんと自分が施設を最後まで確認し、お礼まで言って初めて「仕事」でした。
それが担任の仕事だったからです。
でもそれができないくらい、小学校では人が足りてない。
だからそもそも、やってはダメなのです。
当然、僕はわかっています。

と。
今回ボランティアに行ったのは、ただの興味本位でしたが、

と思うことの連続でした。
先生たちがどんなに身を削っても、一人が見られる人数なんて限られています。
しかも相手は子ども。
高校生ですら、僕が指示を出して動いてもらうくらいなのですから、小学生なんて何もわかっちゃいません。
できないんだったら、やめたらいい。
それしかない。
- それでも来年、同じようにやるんでしょう?
- しかもどうせ、人員配置なんてできないでしょう?
- 「努力はしました」って言って、ボランティアを募るんでしょう?
やり口なんてわかっています。
知ってます。
『変わらない』のです。
『変われない』のです。
だって、教員本人たちが、
と思っているのですから。
それは大きなリスクのはずなのに。
僕はその、“変われなさ” に嫌気が差したんですよね。
間違って欲しくないのは、僕が教育を愛しているように、学校は素晴らしい場所だということ。
でもそうした問題点を変えなければ、人はどんどん離れていきます。
そう。
僕が教員を辞めたようにね。
おわりに
久々に行った学校現場。
グループLINEもありましたが、「お疲れ様でした!」と言ってすぐに退出しました。

一度現場を離れてわかる、このしんどさ(理不尽さ)。
正直、この二日間は担任ばりに働きました笑。(お金欲しい笑)
それくらい、回っていませんでした。
僕に小学校教育を変える力はありませんが、僕なりに教育を変えていかなきゃですね。
もっと頑張らないと。
それではまた!
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