こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、映画「すずめの戸締まり」を見て来ました。
ネタバレをせずに簡単に言いますと「地震」の話ですが、本編はとても長く、最後のほうは涙ナシには見ることができませんでした。
特に「東日本大震災」についての描写があるため、僕は宮城にルーツを持つことから、非常に見るのがしんどい映画でした。
僕自身が宮城県で被災したわけではありませんが、心の奥底をギュッと握られたような、そんな感覚になりました。
今日は、映画を見て感じたことをそのまま書いていきます。
特にネタバレはありません。
改めて今ある命に感謝しよう
世の中は不条理です。
- 東日本大震災も
- 国家間同士の戦争も
簡単に人の命を奪っていきます。
僕も映画を見ていて「今があること」を改めて大切に感じることができました。
人の命とは儚(はかな)いものでして、僕の命も(運が良ければ)長くても残り60〜70年といったものです。
もしかしたら明日事故に会って死ぬかもしれませんし、災害や事件に巻き込まれる可能性も「0」ではありません。
いえ、このことについて考えることは、とても大切なことです。
こういうことを言いますと、
- 宗教
- 考えすぎ
- スピリチュアル
などと言われますし、
と揶揄(やゆ)されることもあります。
ちなみに僕は、20年ほど前の話ですが「ガチの宗教」に所属していた時代もありました。
「宗教」については、無宗教の人よりは深いところまでわかっているつもりですので、簡単に「宗教だのなんだの」と言わないことをオススメします。
「今を生きる」とは「今の命に感謝すること」です。
今までの僕は、自分の「生」に感謝したことがありませんでした。
死ぬことを恐れ、ビクビクしながら動こうとしませんでした。
世の中は「長生きしたもの勝ち」ではありませんので、
- 何もせず
- どこもいかず
と思って生きていくのは、ちょっともったいないなと思っています。
もっともっと「今」に感謝して、動いて行ったらいい。
僕はそう思ってから、行動するようになりました。
それは宗教でもスピリチュアルでもなくて、人としてとても大切な気持ちだと思っていますし、基本的なことなのだとも思っています。
今度いつ会えるかわからないから
映画の中では、ふとした瞬間に来る「別れ」についても描かれています。
僕も祖父を亡くした時は、次の日にすぐ宮城へ向かいました。
死に目に逢うことはできませんでしたが、「物質」となったおじいちゃんに会うことができてよかったと思っています。
これは人ごとではなく、いつか、あるいはすぐに自分にやって来る「同じこと」であることを、自覚していなければなりません。
僕も小学生の時に「死」について考えたものでしたが、大人になるにつれて、
と思うようになってきました。
しかし、訪れた「コロナ禍」で内省(=自分の頭や心の中で考え抜くこと)を繰り返し、
- これからの人生をどう生きたいか
- 自分は一度きりの人生で何を成し遂げたいのか
と考え始めるようになりました。
僕の中で出たシンプルな答えは、
- 人
- 土地
の2つでした。
- 大切な人たちに会いに行き、
- 自分の知らない景色を見に行く。
これが、僕が生きている間にやっておきたいことでした。
後者の「土地」については、時間とお金(あと多少の若さ/体力)さえあれば、なんとか達成できる可能性が高いです。
しかし、前者の「人」については奇跡が重ならない限り、なかなか出会うことはできません。
- 性格
- 価値観
- タイミング
など、多くの条件がそろわなければ難しいことだからです。
例えば僕が未熟な時代に、現在の「仲の良い友人たち」と出会っていたら、たぶん速攻で「切られていた」と思っています笑。
そうした「複雑な条件」を考えていきますと、こうして今まで出会ってきた人/別れてきた人とは、運命的なものを感じざるを得ません。
だから僕は「人」に関しては、見たことのない景色以上に大切にするようになりました。
もう明日には会えなくなるかもしれないですし、僕自身も長い命とは限らないからです。
それは悲観的な見方ではありません。
もっと積極的で、生き生きとした考え方なのです。
今、会いたい人に会いに行く。
その気持ちを、死ぬ最後の瞬間まで持っておきたいと思っています。
ただし関係に固執しない
来るもの拒まず、去るもの追わず。
僕の好きな言葉の1つです。
自分のスタンスと言ってもいいです。
と、よく言われます。
自分で言うのもなんですが、実のところ僕はアツいほうだと思います笑。
会いたい人に会いに行くことも大切にしていますが、人間関係に固執しすぎないようにも気をつけてもいます。
それこそ、人間関係はふとした瞬間に切れることがあるからです。
あまりにも「会いたい会いたい」と思ってしまうことは、自分の人生を他人に委ねてしまっていることになるとも思っています。
「気の持ちようの問題」かもしれませんが、僕は「いつ死ぬかわからない」と思っていますので、人間関係においても、
と覚悟もしています。
人に会いに行くことは確かに大切にしていますが、「依存すること」はまた別の話です。
だからこそ、いつ切れるかわからない「出会い/関係」を大切にしているのです。
「別れ」を受け入れているからこそ、「その瞬間」を大切にする。
これからも、
- 世の中の理不尽で
- 人間関係のゴタゴタで
別れてしまう人は必ずいます。
その時に自分は何を感じ、どう思うのか。
現実をすぐに受けれることはできないかもしれませんが、「その姿勢を持っておくこと」は、今後何か起きた時に自分を救ってくれると信じています。
その現実もイメージをしながら、程よい距離感で人と付き合っていく。
とても難しいことですが、相手がどう出るかは「僕が取り組むべき課題」ではありません。
流れに身を任せて、付き合っていくのがちょうど良いのではないでしょうかね。
おわりに
今ある命。
その尊い存在に気づく瞬間は、ふと何かの折に訪れます。
もちろん、毎分毎秒感じることではありませんし、それを感じている人が偉いとかそういうことでもありません。
大切なのは、その時々でしっかりと自分のやるべきことと向き合い、また歩を進めて行くこと。
人との出会いに感謝しながらも、固執し過ぎずに生きていきましょう。
それが回り回って、自分を大切にすることにつながりますから。
それではまた!
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