こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日からインスタで英文法の投稿をするようになりました。
すると、ものすごい反響がきまして(バズったわけではない笑)、
と、ありとあらゆるところから、多くのコメントが寄せられました。(個人的にではありますが)
僕自身も教えることが大好きですので、時間はかかりますが文法に関することを投稿していますと、いろんな人から「ありがとう」と言われます。
そう思うのはなぜなのか。
今日は「人に喜ばれること」について書いていきます。
反響があったのは役に立ったから
結論、ここまで反響がすぐに出たのは、「人の役に立ったから」ということに尽きます。
僕は文法を教えることがとても好きです。
- 純ジャパで
- 自分なりに勉強してきたから
- 文法でわからないことはとことん勉強してきた
という経歴を持つ僕は、たぶんそこら辺の英語の先生たちよりも、
ということだけを考えて生きてきました。
もともと理系ということもあるので、
と疑問を持って常に取り組んでいたため、大抵の人が引っかかる「なぜ?」には、もう何千何万回も向き合ってきました。
だからほとんどのことにはすぐに答えることができますし、「なぜなのか」を事細かにわかりやすく説明することができるようになっていました。
そんな僕にヒントをくれたものまた、生徒のみなさんや友人たちでした。
と。
そう思ったらすぐにやるのが僕ですので、すぐさま作ってやってみますと、その反響はすごくて、
というお褒めの言葉をいただきました。
特に文法は、大学時代から教えていますので、
と思われるくらい、悩みの尽きない分野です。
教える甲斐(かい)があるというものですね。
思わぬ形でブーストがかかった僕の事業。
そう思わせるような投稿をできるように、
そう思ったここ数日だったのでした。
人の役に立つことは嬉しい
僕はかなり「自分のやりたいこと」をやってきたほうですが、
- 人の役に立つこと
- かつお金になるようなこと
の経験は、ほとんどありませんでした。
とはいえ去年から始めたオンライン講師は、単価が低いものの、
「自分の得意でお金を稼ぐ」
という意味では、ある意味「0→1」を達成していたようでした。
知らず知らずのうちに始まっていた僕の事業。
でもどこかで、「自分の好きなこと」しかできていなかったことも事実でした。
それがいざ、こうして「人の役に立てる」ということがわかりますと、
と思うようになりました。
そのように思えるということは、「稼ぎたい」という気持ちもさることながら、「人の役に立ちたい」という思いが強く出ていることも意味していました。
僕に限らず、誰かの役に立てることは誰だって嬉しい。
だからいつの時代も、「そんなサービス」が生き残っていくのだと思っています。
僕も嬉しいですし、
と言ってくれることはもっと嬉しいです。
人は基本的に、誰かの役に立ちたいものなのです。
すると作業にも力が入ります。
そういう風に考えるようになりました。
これは以前の僕には「ない考え方」でした。
だから、
と感じました。
- 人の役に立つことを発信する
- それを見た人が感謝してくれる
- もっといい投稿をしようと思うようになる
- 「この人から教わりたい」とファンがつくようになる
と、僕の価値提供と同時に、「稼ぐこと」にも繋がるようになったのです。
別にキレイごとを言いたいわけではありませんが、僕はあまり「そこ」には興味がありませんでした。
それでも、そのおかげでいろんなことが回るようになってきました。
「人の役に立つこと」は本当にいろんなことに繋がります。
これからも僕は、変わらずに続けていこうと思っています。
これから爆速で投稿する
さて、こうなると歯止めが効かなくなるのが僕のいいところ笑。
そう思ったわけですね。
先述した通り、人の役に立てたことがあまりにも嬉しかったのです笑。
もちろん、先生として英文法を無料で教えていたこともありましたが、また違う戦場に放り出されていた僕は、
そう感じていました。
稼げていないこともありましたが、どこかで、
という固定観念もありました。
それができない「=ダメな自分」を連想してしまっていたのです。
気にしていないとはいえ、やはり「食っていくこと」を考えれば、「稼ぐこと」は精神と深く繋がっているということ。
それは、高校教師時代に痛いほど経験したことでもありました。
何事においても、「無料で続けていくこと」は崩壊をもたらします。
お客さんのためにもなりませんからね。
例えばコンビニで何かを買うときに、「全部無料で買える」と仮定してみれば、どうしてそれが成り立たないのかがすぐにわかります。
- 運んでくれる人のお金は?
- 作ってくれている会社のお金は?
- バイトで入っている人のお金は?
と、いろんなところで不具合が生じ、結果的に僕らのところに商品は届かなくなります。
お金を払うからこそ、その対価が得られるわけですし、だからこそ提供者も「みんなに提供しよう」と思ってくれます。
僕の投稿が1つ1つ直接お金になっているわけではありませんが、「集客」ということを考えれば間接的にお金になります。
それを「汚い」と思わなくなったのは、上記のように「成り立たなくなること」を意識したからでしょう。
少しでもお金がいただければ、僕の生活は十分に潤(うるお)います。(すでに十分ですが)
そういう小さな積み重ねをしていくこと。
いろんなことを学びつつある埼玉での生活。
凹むこともあるのですが、こうして自分に返ってくるという意味では、やっていて本当にやりがいがあって楽しいですね。
おわりに
人の役に立つっていうのは、本当に楽しいものです。
僕は数字にこだわっていたわけではなくても、やはり多くの人に役立つ情報を届けられると思うと嬉しいですね。
ここ3日間くらい、楽しくてバリバリ働いています。
みなさんにも、人の役に立てることがきっとあるはずです。
僕はまだまだ成功していませんが、一歩ずつ夢に向かって頑張ろうと思っています。
それではまた!
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