好き嫌いやルールは勝手な線引きから【主観による議論は面白い】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人たちと話していますと、

キャバクラとかホストって、なんか苦手

という話になりました。

僕も基本的にはいきませんし、『いいもの』として捉えているわけではありません。

しかし一方で、それらに対する考え方とは、実は「白か黒か」で決められるわけでもないんですよね。

じゃあさ、スパチャ(投げ銭)とかアイドルの推し活とかって、そうした風俗と何が違うの?

という質問も来ました。

た、確かに!

線引きなんて、本来は誰にでもできるわけではありません。

ただなんとなく
大体これくらい

みたいな感じで、世界とは回っているものです。

今日はそうした「主観による線引き」について書いていきます。

僕らが線引きをしているものとは、ほぼ自分の主観によるものだ。それを押し付けることなく、柔軟に話し合っていこう。

ルールとはあってないようなもの

僕も学校の先生をやっていましたから、

このルールってなんであるんだ?

と、半(なか)ばリベラルな考え方をしていたために笑、

  • 染髪
  • 服装

などのルールに疑問を持っていたものでした。

真面目な生徒たちから、

先生、スカートの下にスウェットを履いて帰ってもいいですか?

と、極寒の部活終わりに聞かれた時は、

なんでいちいち聞くの?俺は先生として「ダメ」としか言わないに決まってるじゃん

と怒ったものです。

「もっと上手くやれ」とね笑。

抜け穴(道)をうまく生きろ

という意味ではありません。

しかし、

こんだけ寒くて暗くて、学校の敷地外なんて、先生たちは見ていないのだから、自分で判断して帰れ

と思ったわけです。

風邪ひいてしまったら元も子もないわけですから。

見つけたらそりゃ注意はしますが、見えていないところまで注意なんてできません。

そうした「どうでも良いルール」に対して、目くじらを立てる人は多少います。

選挙においては「公職選挙法」というものもありますが、去年の参院選から衆院選まで、公選法を破っている政治家たちなんて、ごまんといました。

しかし、なんのお咎めもなし。(2026年2月に、票を買収したとして捕まった人もいました)

要は、「深刻なもの」でなければ取り合ってもらえないということです。

当たり前のことですが、「だから軽犯罪くらいならしていい」だなんて言っていません。(察してください)

少なからず誰しもが、多少なりともルールを破って生きてきましたし、それを見て罰を与える人なんてなかなかいません。

上に書いたような「主観によるもの」とは、人によって大きく異なります。

OKだと思っていた
これくらいならいいでしょ
これは俺は/私は受け入れられない

などなど。

いろんな人と話をしていますと、

えー、そこで線引きするんだ?

ということもあります。

これはみなさんにも起こっていることなのではないかと。

何が良くて何がダメなのか。

これは教員時代からの疑問でしたね。

世の中のルールでは、シビアなものだけしか取り沙汰されない。それぞれの価値観や線引きとは、異なることがほとんどで、見てないことがほとんどだ。

自分の主観と相手の主観

先ほどの「キャバクラうんぬん」の話もそうですが、人の主観による意見の相違とはよくあることです。

キャバクラは苦手だ

と思うことはなんの不思議でもありませんが、興味深いのは、

じゃあアイドルに対してお金を払って、推し活をすることと何が違うのだろうか?

と聞かれた時に、必ずと言っていいほど主観が介入してくるということです。

自分の中では、この点に関しては許せないのだ

というように。

これは、至極当然のことだと思っています。

いわゆる「好き嫌い」だって、主観そのものですからね。

その “主観” が世の中には無数にあるからこそ、一定数のルールがあるのですが、一方で、

「ルールそれ自体も主観である(=あるいは意見を無視したものである)」

とも言えます。

  • 旧態依然のルールから
  • 新設されたルールまで
なんでそれ作ったん?

とか、

そこは問題じゃねぇだろ笑
いいからさっさとそんなもん終わらせろ

というような法律、校則まで様々ありますからね。(これらの意見もまた主観ですが)

現在では憲法や既存の対外国人へのルール、夫婦別姓の議論や消費税なども、国民感情からすれば、

  • 余裕でアウト
  • 誰も望んでいない
  • さっさと変えてほしい

などと不満が募っているわけですから、ルールそれ自体に欠陥・問題があるということです。

大事なのは、それらの無数の主観をどう擦り合わせていくかです。

基本的には大多数の声を聞いていけばいい

とは思っていますが、なかなかそうもいきません。

かと言って少数派の意見ばかり聞いていても、全体は回らなくなります。

意見の相違とは常日頃起こっているものであって、それは個々人の間でも起こっています。

そんな時に、

お前のここの、この点は間違っている!

と言うのは簡単です。

しかし、それをどう受け止め、話し合えるか。

この姿勢が求められているんですよね。

ルールそれ自体も主観であることはあるし、自分の意見も多分に主観が混じっている。話し合うためにも、主観を押し付け合うことはやめにしよう。

いかに柔軟に話せるか

この「主観の違い」があるからこそ、SNSは荒れ、様々な意見が飛び交うのだと思います。

しかし僕は、

それはそれで健全なのではないか?

とも思うんですよね。

いろんな人の、いろんな意見があっていいわけですから。

話し合っている時に、頭ごなしに「それはダメ」「それは違う」と言っている人を見ていますと、

もっと柔軟に考えられないのだろうか?

とも思います。

もちろん、その背景に確かなデータや数字があるのかもしれませんし、「主観をぶつけて話したい」と思っているのかもしれません。

真相はわかりませんが、相手の話を聞こうとしない人とは、態度でわかるものですよね。

それは僕自身にも言えることでした。

  • 保険
  • 投資
  • 政治

などの呪縛から解かれる前は、あまり他人の意見を聞こうともしていませんでしたからね笑。

だから、柔軟に話すためには「反対側の意見」も知っておくべきです。

僕は英検1級の面接対策もするのですが、

労働力不足のためにも移民は必要
消費税は絶対にあったほうがいいと思う。インフレ怖いし

という反対意見に対しても、「なぜそう思うんですか?」と聞くようにしています。

根拠やその人の思いもまた、聞いてみたいからです。

その上で反論をして、互いに「なるほどね〜」と言いながら擦り合わせをしてゆく。

当然、お互いに譲れない部分もあると思いますし、それらの点を強引に歪(ゆが)め合うことは議論ではありません。

それらの意見を持ち帰って、また勉強する。

少しずつ、自分の意見を醸成してゆく。

そのためにある議論であって、

  • 誹謗中傷したり
  • 相手を打ち負かしたり
  • 主観を押し付けるだけだったり

こうしたことだけをしていては、

それはあなたの感想ですよね?

と言われてしまいます。

ルールに基づいて話してもいいですし、それを逸脱した広い視野を持って話してもいい。

ルール自体を批判してもいいですし、中身について自分の思いを語ってもいい。

しかし、お互いに考えていることや前提とは違うものですから、それらの擦り合わせをしながら「良い落とし所」を見つけていきたいですね。

主観がぶつかり合うからこそ、議論とは白熱するものだ。しかしそこに柔軟性がなければ先に進めない。ただの感想でしかないからだ。しっかりと価値あるものへと昇華していこう。

おわりに

みなさんと話をしていますと、

そんな考え方もあるのか!

といったように、良くも悪くもいろんな意見を耳にします。

自分の意見にそぐわないからといって、こうした情報を「すぐに/ノールックで」切り捨てるのはもったいないです。

一概に「役に立たない」とは限らないですしね。

いろんな人の意見やルールを疑いつつも、柔軟に受け入れて自分の意見を作り上げていきましょう。

それではまた!

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