自分の身の回りの整理をしておこう【日々の所作を大事にすること】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先生って、ご飯の食べ方とかキレイですよね

YouTubeを見てくださっていた方から、こんなコメントをいただきました。

僕自身、そこまで意識したことはなかったのですが、

確かにキレイ好きだし、食べた後の御膳とか丁寧に片付けるわなぁ

と思いました。

世界一周を皮切りに、ほとんど「モノ」を持たなくなった僕ですが、その後は日々の所作も大事にするようになりました。

今日はそんなミニマルな生活や、丁寧に生きることについて、改めて書いていきます。

ムダなモノを持たずにシンプルに暮らしていこう。その中で所作にも気を配っていこう。

そもそもミニマル

以前から書いてきたように、

  • キレイ好き
  • ミニマリスト

の資質があった僕は笑、身の回りにあまりムダなものがありません。

すると、そこに割くリソース(=認知資源)がなくなってきます。

よくミニマリストに対して、

それが全てではない

と言う人もいますし部分的には賛成しますが、やはりベースとしてはモノを持たないほうがいいなって思っています。

理由としては、「認知資源を使わないこと」に加えて、

  1. ムダなお金を使わない
  2. 見栄を張らなくなった
  3. 身の回りがスッキリする
  4. 引越しのことがあまりイヤじゃなくなる

などでしょうか。

特にモノを買うためにお金を使わなくなることは、僕らが生きていく上で一番いい効果だと思っています。

あまりミニマリストではなかった頃は、結構ムダに買い物をしていたことが多かったものです。

これも必要だし…あ、これもあったほうが便利だな

とね笑。

「モノを増やしたくない病」にかかりますと笑、

いやぁ…できればこれもこれも、買いたくないぞ?

と、モノを増やすことに対して、かなり抵抗が生まれてきます笑。

「モノ」に対してお金を支払うことが少なくなりますので、これは経済的な自由を目指す上でも、大きいことですね。

節約ができるだけでなく、処分に関しても考えなくていいのです。

このミニマルな性質を持ち合わせておくことで、生活が結構「豊か」になります。

個人的にはぜひオススメしたい生き方ですね。

ミニマルになることができたおかげで、身の回りがスッキリし、考えることや処分すべきものもなくなった。割くべき認知資源を減らせたおかげで、人生がだいぶ豊かになったのだ。

後の人のことを考えること

さて、ミニマリストについてはいくつか記事を書いてきたのでここら辺で。

コロナ禍をさまよっていた僕は、

  • ご飯
  • 自然
  • 生活

など、日常の “当たり前” に気づくようになります。

遠出の際、一人でフラッと立ち寄った美術館やご飯屋さんは、今でも鮮明に脳裏に焼き付いていて、あの時の僕の生活はまるで夢のようでした。

コロナ禍でフラフラしていた時ほど、逆に、

なんて幸せな生活なんだろう

と思っていたくらいです。

それくらい、今まであった身近な幸せに気づくことができていなかったのですね。

その時から、「自分の所作」についても意識するようになります。

特に一人で外出していた僕は、いろんな場所で「感謝」するようになりました。

もともとある、日本人の倫理観や気質から来るものであるとはいえ、

  • 飲食店
  • 美術館
  • その他サービス

を利用する時には、“後を濁さないよう” に意識していましたね。

次の人がいかに気持ちよく使うことができるか

これを意識し始めますと、自分の行動だけでなく、

  • 言動
  • 後始末
  • 考え方
  • 生活全般

など、自分の生活にまつわる様々なこともまた、他の人に影響を与えていることに気がついたのです。

次に使う人を意識するからこそ、「その場をキレイにしよう」という気概が持てます。

  • 逆の立場だったら?
  • 店員さんの立場だったら?

と、強く意識するようにもなりました。

それが食べ方のキレイさや、ミニマルな生活に繋がってきているのでしょう。

周りの人のことを考えなさい

とは、日本ではかなり口酸っぱく言われてきたことですが、それは「いつでも相手の立場を考えること」に起因しているのでしょうね。

次に使う人のことを考えられるようになってからは、いろんな “余裕” も生まれてきました。

いえ、これはむしろ「余裕が生まれてきたからこそ」、できたことなのかもしれませんね。

日本の独特の文化である、使い終わった後のことを考える文化は、僕の人生を豊かにしていった。余裕がある人は、自然と他の人のことを考えられるのだ。

所作も大事に

僕は「丁寧に生きること」を心がけるようになりました。

「丁寧」とは、

  • 食生活
  • 言葉遣い
  • 人間関係
  • 生活リズム

など、生きること全般におけることを指します。

特にその特徴が現れるのが、先述したように「諸々の所作」だと思っています。

  • 図書館を使った後
  • サービスを受けた後
  • レストランを使った後

はもちろんのこと、

  • コンビニでの会計
  • 人の会話での相槌など

日常に溢れる「当たり前」の時間や行動の中で、自分のすべき行動に気をつけることが多くなってきました。

ご飯を食べる時も、

残さないように

と思うことは当然のことであり、汚く食べることはありません。

偶然のことでしたが、YouTubeでそんな姿を見られていたことで、

この人は丁寧に生きているんだな

と思われるようにもなりました。

日本にいれば、「食べ方」なんてみんなキレイなものだと思いがちですが、実はそうでもなかったりします笑。

人それぞれ考え方も違くて、家にモノが溢れている人もたくさんいます。

でもこれは決して、僕が「キレイ好きだから」きた生活模様ではないのです。

僕自身もコロナ禍を経て、そうした「丁寧に生きること」を追求したわけですから、もともとの気質以上に、いかに意識できているかが大事だと思っています。

一人一人それぞれの所作とは、適当にやって身につくものではないと言うことですね。

逆に言えば、丁寧に生きている人とは、

  • 意識して生きているか
  • あるいは無意識レベルまで染み込んでいるか

ということ。

僕の場合、そう思われたくて意識しているのではなくて、いつでも自分の生活の豊かさや幸せの追求が、行動の根底にあります。

  1. 意識して所作を丁寧に生きると
  2. 自分も相手も幸せになることができる

こうした前提をもとに、今日も丁寧に生きていきます。

この積み重ねをしておくことで、生活もスッキリするようになり、小さなことにも感謝することができるようになるでしょう。

所作を丁寧にすることを意識してから、見られ方も変わった。ただ、よく見られたくて丁寧に生きるのではない。自分の人生を豊かにするつもりで、日々の生活リズムや生き方を見直していこう。

おわりに

丁寧に生きる人生を送るようになってから、だいぶ幸せになりました。

ご飯や周りに溢れるモノたちは、自分の人生の一部、あるいは全部だと思っていてもいいくらいです。

それらに対して “適当に” 対処している人は、人生が豊かになっていくことはありません。

そう、以前の僕のようにね笑。

気を遣えとか、細かく気を配れとか、そういうことではありません。

ただただ自分の人生に集中し、一つ一つ丁寧に生きてみてください。

きっと人生が豊かになりますよ。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました