こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、こんな動画を見かけました。
元教員として散々書き散らしてきましたが、僕は部活動には基本的に反対です笑。
もちろん、教員としてたくさん部活指導もしてきましたし、その「良さ」は誰よりもわかっているつもりです。
でもだからこそ言うのです。
と。
部活動の是非を考えますと、そもそも部活動はあったほうが生徒のためになりますし、そのおかげで何かを切り拓けた子たちもたくさんいますから、できるならあったほうがいいのですけれどね。
今日は改めて「部活動の是非」について書いていきます。
誰がそのお金を払っているの?
以前にも書きましたが、
とは、いまだに思っています。
先生たちがキツい状態であるのは、火を見るよりも明らかですが、決して感情的に「しんどい」と言っているわけではありません。
どちらかといえば、
という人ほど、僕はわがままで感情的だと思っています。
上記の動画では「全国大会」が引き合いに出されていますが、あの運営って本当に大変なんです。
部活動顧問たちが出張してまで集まって(今ならオンライン?)、トーナメントや審判を決めたり、やりたくもない仕事をやらされたりします。
それを「いつもありがとうございます」の一言で片付けられてしまっては、先生たちもしんどいです笑。
と思うのならば、
- 誰が大会を準備しているのか
- その対価は十分なものなのか
- 安くできる部活を当たり前に思っていないか
など、子どもたちに知ってもらうべき事実はたくさんあります。
それがまかり通っている大会に “ありがたく” 安く参加させてもらっておきながら、
は都合が良すぎるのです。
それが「仕事」として成り立っているのならば話は別ですが、これは教員の本分ではありません。
というコメントもありましたが、それでは本末転倒なのです。
もちろん、他の雑務にも課題はありますが、「部活動を残してほしい」という気持ちの裏側には「先生は部活動をやってなんぼだ」という間違った認識があるということ。
そのスポーツの専門でもない部活動は、先生の本分ではありません。
実態を知った上でなおかつ、
- 部活動をやる価値があるのか
- 教員たちを搾取しているだけではないのか
という疑問点をクリアにし、意見を言ってもらいたいものです。
お金を払って対価を得ることは当然のこと
また他の動画で、「課金しないとサービスが受けられない問題」について話が出ました。
「札束ゲーム」だなんてタイトルですが笑、今の時代課金システムはもう当たり前になっています。
実はこれ、部活動でも近い考え方があります。
こんな風な意見もあるわけです。
とても厳しい言い方をしましょう。
そもそも「そうあるべき」なのです。
結局「お金を払わなくてもいい」という考え方が横行した結果、部活動のような「悪」が生まれてしまったわけです。(何度も言いますが僕は部活動の雰囲気は好きですよ笑)
クラブチームのように「スポーツをさせたい」と思うのであれば、それなりにお金を払わなければならないのです。
考えてみてください。
- 予備校
- 英会話
- ピアノ
などの「習い事」にはみなさん、お金を支払うじゃないですか。
しかしこと部活動となりますと、
と思っている。
そういうことですよね。
つまり、“たまたま” あったからそうなっているだけなのです。
ちゃんとスポーツをやりたければ、お金のある家庭ほどユースのクラブチームに入れるなど、英才教育をするのです。
貧乏な人ほど、「タダでできないこと」にイラ立ちを覚えます。
この「貧乏人同士の問答」は、結果的に長続きせず、サービス提供者側が疲弊してしまうのです。(現在の教員たち)
上のディズニーの動画に関しても同じことが言えます。
しかしキングコングの西野さんの書籍のおかげで、
という話が常識の概念となりつつあり、
という空気は、日本でもできつつあります。
「貧乏人はどうのこうの」と言いたいのではなく、そうやって社会が回っていることを考えれば、
- タダでご飯が食べられるわけでもないし
- タダで電車やバスに乗られるわけでもない
ということは子どもたちだってわかっていることなのです。
だから「稼いでいこう」と思うことが大事なのではないでしょうか。
僕も公教育の畑で育った人間ですから、そうしたご家庭に機会を与えたい気持ちもあります。
それはみなさんが、
と思う気持ちと一緒です。
それは一時しのぎにはなりますが、永続的には難しいのです。
考えれば当然のこと。
部活動は業務としては勤務時間外ですし、先生たちはその「専門」として先生になっているわけではないのです。
どうするかを考えるほうが大事
ずっと書いている通り、僕は公立高校の先生として部活動を楽しく運営させてもらいました。
だからその良さは人一倍わかっていますし、部活動を絶対悪だなんて思ってはいません。
ただ、同時に行きたくない気持ちもなかったわけではありませんし、その対価は本当に少なかったものです。
僕らができることは、
- ちゃんとお金を発生させて
- それに見合ったコーチを雇うこと
です。
先生たちではなく、です。
学校としての敷地を貸し出し、”部活” を続けてもいいですが、専門家でもない先生(たかだかちょっと経験がある程度)たちが、16時くらいから体育館やグラウンド、各教室で吹奏楽や合唱の練習をさせるのは、
と思うわけです笑。
もし先生たちの「趣味」に付き合ってもらうのならば笑、
- 大会などは自主的にやるか外部で
- 練習はサークルのようなものにして大会も適当なものにする
くらいがいいのかと。
それがあまりにも「公式」になりすぎているから、大変なのです。
また、生徒たちも本当の意味で「やりたい」という気持ちがあるかということもポイントです。
野球やサッカーなど、メジャースポーツほど「お金を払って」適切な場所でトレーニングさせるべきですし、なんとなくで入っている生徒たちは違う意味での「機会損失」です。
運動は大事ですし、大会を通して仲間との思い出も作れますが、穿(うが)った見方をすれば「キレイごと」でしかありません。
その裏にある「先生たちが割いた時間」を、しっかりと考えられているかどうかということ。
投下されているお金も適切なものであるのか。
感情的になって、
と言っている人は、しっかりと対価を払うことを知り、
「実際に自分が大会を運営すること」
を想像してみてくださいね。
おわりに
日本も少しずつ「お金を払うこと」に対してポジティブになりつつあります。
僕自身も昔は「タダ」を求めていました。
でもそれではどこかで誰かが疲弊します。
- その人たちを救うためにも
- スポーツを本当の意味で持続させるためにも
僕らは部活動についてはしっかりと考えていかなければならないのですね。
それではまた!
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