「死」について考えることでわかること【無視をせず意識しすぎず】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人にインタビューしてもらう形で、Twitterのスペース機能を使って1時間以上話をしました。

僕の人生観から死生観まで、多くのことを語りました。

もし興味のある方は、僕のTwitterから飛んでみてください。

僕が「死」を意識し始めたのは、小学生頃です。

これについては、だいぶ前に記事を書きました。

今日は、改めて僕が意識している「死」と「生」について書いていきます。

「死」を受け入れること。逃げも隠れもしない「死」に対して、面と向かう勇気を持とう。

「死」を受け入れるようになるために

生きていますと、どうしても「今」や「生」に対する執着が先行してしまいます。

しかし人には必ず「終わり」があり、それを意識しない限りは、今を楽しめないと思っています。

ただ、

死を意識しよう!

と思って簡単に「死」を意識することは、なかなかできません。

そのマインドに至るまでに僕がしてきたことは、「読書」と「内省/内観」でした。

読書

「死」を受け入れるためには、先人たちのマインドを知ることはとても効果的です。

若かりし頃の僕は、なんとなく人生を知ったような気になっていました。

でもたかだか「人ひとり」、しかも30年程度しか生きてこなかった人間が、人生の全てを語れるわけがありません笑。

もちろんそれは、「長く生きた人だからわかる」ということでもありません。

ただ、

  • 功績を残した人たち
  • 世界的に有名な人たち

がどのように生きてきたのか。

これを知ることで、道が拓けてきたのです。

僕の知りたいことは、ほとんど本に書いてありました

本を読み進めていますと、自分が今までいかに人生を知ったかぶっていたのかがわかりました。

歴史上の偉人たちの共通点は、深く悩み、苦しみながらも、自分の持つエネルギー全てを自分の人生に捧げ、フルスロットルで生き抜いているということです。

では僕自身は今を一所懸命生きているだろうか?

こう考え始めますと、自分の24時間のルーティンをかなり意識するようになります。

1分1秒のムダもないように!

とはさすがに思ってはいませんが笑、できることはたくさんやろうと思うようになりました。

それくらい、歴史に名を残した先人たちは、当時の「今」を一所懸命生き抜いていました。

人の悩みとは、いつになってもそんなに大きくは変わらないものです。

もし「死」について知ったような気になっている人は、今一度読書することをオススメします。

内省と内観

これらはどちらも同じ意味です。

コロナがひどかった2020年〜2021年の間で、僕はものすごく長い距離を歩いていました。

とにかく「自分ひとりの時間」が長かったこともあり、これからの人生について深く、長く考える時間を、散歩をしながら十二分にとりました。

自分の人生は一度だけ。今は30代。さて、どうするか

この「思考の整理時間」は、本当に大切な時間でした。

何度も他の意見(読書や友人)を自分の人生観にぶつけ、

何が正しいのか、何が正解なのか

を模索し続けました。

もちろん、これと言った最適解はなかったのですが、

  • 仏教的な考え方から
  • 起業家や社長の考え方まで

いろんな思想に触れ続けました。

人と会い続けることや、読書を続けていくことももちろん大切なことですが、それらを持ち帰って、もう一度自分自身で反芻(はんすう)することが一番大切な時間でした。

インプットで終わらずに、ブログや日記、ツイートをすることなどで、自分の考えを整理することで、改めて自分の人生観や価値観を見直すことができました。

そうやって「自分自身にかけた時間」がかけがえなのない時間となり、「今の僕」へと繋がっていきました。

「死」を意識すると同時に(あるいはその前に)、

  • 自分軸
  • 人生の豊かさ
  • 幸せに思うこと

など、考えられることはいくらでもあります。

すべて自分に問いかけて、すぐに答えが出るのかどうか。

当時の僕は、すぐに答えを出すことができませんでした。

しかしその都度、自問自答をしてきたことで、死と向き合う準備ができたのですね。

死を受け入れる前に、読書をしたり内省をしたりして、自分の人生と向き合ってみよう。すると「自分の人生」という時間がどれほど貴重で、有限なのかがわかる。

死を受け入れる

僕がこうして、

明日死んでも構わない

と思えるようになったのは、「死」をもっと「ライトなもの」として意識することができるようになってからでした。

「死」とは極端に恐れるべきものでもないですし、誰にでも必ずやってくるものです。

その事実は変わらず、有機体である人間はいつか老いて灰となります。

それはいつかはわからないし、もしかしたら明日訪れてしまうものなのかもしれません。

「死」を受け入れられないのは、

  • もっと生きたい
  • もっとやっておけばよかった

というような、「望み」や「後悔」があるからです。

それをなくすために、今自分にできることは何か。

答えは簡単です。

今を精一杯生きること

です。

それ以外に、僕ら人間にできることは何もないからです。

もちろん、ダラダラとなんとなく生きたっていいです。

それもまた「精一杯生きること」として捉えたって構わないからです。

月並みな表現かもしれませんが、

  • 後悔なく
  • 楽しんで

生きることができれば、それはその人にとっての「正解」なのです。

人生にはツラくて苦しいこともありますが、成長のために必要な「痛み」であれば、本人だって望んで受け入れることができます。

  • 幸せに
  • 豊かに

生きていくことを目指しながら、「それに近い物」を自分で選択していくことが、今の僕がしている行動なのかなと思っています。

毎日を全力で生きているのは、

「死」を気にしないくらい死に物狂いで生きているから

というわけではありません。

むしろいつか来るであろう「死」と向き合い、しっかりと意識しているからこそ、今を全力で生き抜くことができるのです。

死を受け入れると、今を全力で生き抜くことができる。死を無視してはいけないけれど、極度に怖がる必要もない。今を幸せに、豊かに過ごすことを考えて行動していこう。

おわりに

「死」を意識したのは小学生の頃でしたが、それ以降も何度か、

あぁ、こんな幸せな時間が続けばいいのにな

と思ったことはありました。

でもその考え方は、「幸せではない時間」が自分にあったからでした。

  • 家族と摩擦があったり
  • 仕事でイヤなことがあったり

と、そんなことがあるから、

今この時間は幸せに過ごしているなぁ…

と相対的に考えてしまい、いつまでも続けばいいなと思ってしまうのです。

そうではなく、毎秒毎分、幸せを感じられるように自ら選択していくこと。

そうやって精一杯行動すること自体が、死に向かうまでの幸せな時間となるのだと思っています。

死を意識することで浮き彫りになる「今」という「生」。

今一度、自分の人生の終わりを考えてみてはいかがですか。

それではまた!

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